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上海ロックダウン9〜中国人はどう感じているのか〜

今日で上海ロックダウンも31日目となりました。僕の住んでいる地域でロックダウンが開始したのが4/1なので、結局2022年4月はすべてロックダウンとなりました、生涯忘れられない月になりそうです。

度々書いていますが、僕のロックダウンの日数は上海に住んでいる人の中で最短のレベルにあたるので、多くの人はさらに長い日数を家で過ごしています。SNSを見ていると50日を超える人も出てきていて、終わりが見えない状況が続いています。

そんな状況の中、今日は「中国人は今、この状況をどのように感じているのだろうか?」について書いてみたいと思います。

簡単ではないテーマのため、以下の内容はあくまで個人的に感じていることであることを、最初に理解頂ければと思います。

まず、一言で「中国人」と言っても14億人もいますので本当にいろいろな人がいて、多様性に溢れています。

生まれた場所、住んでいる場所から世代や年収、親の考え方まで、それぞれまったく違いますので一言で表すのは難しいですが、ここでは「上海でロックダウンされている中国人」としたいと思います。

(逆にいうと、↓に書いていることについて「上海以外の人」はまったく異なる意見を持つ人も多いのでは?とも感じます)

毎日報道やSNSを眺め、週に数回受けている中国語の先生たちからリアルな声を集めて感じているのは、彼らの「怒りを通り越した大きな落胆」です。

上海のことはわからない

最近よく耳にしたのが「上海のことはわからない」というセリフです。

冒頭書いた通り中国は非常に多様性に溢れており、一言で中国人と言ってもその考え方や趣向は全然違います。その中でも特に彼らは「生まれた土地」で人を語ることが多いように感じます。

例えば「自分は東北人なので真っ直ぐな性格です」とか「やっぱり彼は南の人だ、表と裏が全然違う」など。とてもステレオタイプなモノの見方ですが、そういう言葉をよく聞きます。

どうしてそんな見方をするのか?の考察もとてもおもしろいと思っていて、ここではスペースがないのでSKIPしますが、個人的には島国日本と四方を敵に囲まれる大陸での考え方の差に起因するのかな、なんて思っています。

で、最近聞く「上海のことはわからない」というセリフ。上海の人は「上海は中国で最も国際化が進んでいて、自分達は先進的な考えを持っている」と考えている人が多いようです。
(個人的にも上海の街は、他の中国の街と比較すると頭2つくらい抜けている感覚があります)

「上海のことはわからない」という言葉は「そんな自慢の上海のコロナ対策がうまくいっていない理由、それは上海の人ではない人が政策を行なっているからだ」ということを言いたいときに使われるように感じています。

個人的には「爆発寸前のフラストレーションを、直接今の政権やそのやり方を批判するのではなく、回避しながら発散させるときに使っている言葉」と解釈しています。

ある中国人はこんなことを言っていました。

「深圳と上海、同じようなタイミングでコロナが発生したのに深圳は1週間のロックダウンで復活した。上海は1ヶ月たってもダメ。なぜだかわかりますか?上海のトップは上海人ではないんです、一方、深圳のトップは上海人なんですよ。」

では、なぜ上記のような物言いが出てくるのか?もちろんロックダウンが長期化しているから、なのですがそれに追加していくつかのことがあるのでは、と感じています。

食糧危機で生命の危機を感じ、不信感が増加

ひとつは「生命の危機」でしょうか。

今でこそ少しずつ良くなってきましたが、ロックダウン当初はロックダウン中の市民への食料対策がしっかりと煮詰まらないうちにロックダウンへ踏み切ったことで、深刻な食糧不足が発生しました。

中国では3世代家族6人で暮らしているという家も多く、しっかりと備蓄する時間がなかった家はあっという間に食料がなくなり、本気で生命の危機を感じた方も多かったようです。

一方、市民はSNSでさまざまな人と繋がっていて「XX区はもっともらっている」「今日配られた肉はダメになっていたけど、隣の街道のマンションは違うそんなことないようだ」など、自分の状況と他の人を簡単に比べ、そこに存在する格差を強烈に認識しました。

生命の危機に対して格差が発生しているわけですから、不満や不信感は増大します。そしてそれを後押ししているのがSNSだと感じます。

さらに「どうしてこんな格差が起こるのだろうか?」と考えた市民の中には「なぜなら役人のXXが賄賂をもらっていて横流ししているからだ」のように懐疑的な見方をする人が現れます。そしてそれをSNSで共有する。

「自らの生命の危機の原因のひとつが役人の汚職」と人々が考え始めた時、そこにある不信感とフラストレーションがどれほど大きくなっているか、は容易に想像できると思います。

ゼロコロナへの疑問

もうひとつは「ゼロコロナそのものへの疑問」です。

日本で報道されているように「感染力の高いオミクロン株へロックダウンで対抗していくことの難しさ」は多くの中国人の間でも議論されています。

政府はオミクロンの危険性とリスク、ロックダウンの有効性を説明していますが、オミクロンに関する海外の取り組みやデータはさまざまなソースから中国へ輸入され、SNSで広く共有されています。中国人の医者や感染症の専門家も、オミクロンとの共存に関する論文を発表したりしています。

感覚的に、特に海外留学経験があったり外資や中国の大企業で働きいくつかの情報ソースを持っている人の多くは、オミクロンに対してロックダウンで対抗していくことの難しさを十分理解しているように感じます。

「オミクロンの脅威以上に、ロックダウンによる経済や違った健康被害の方が大きな問題なのではないか」

そういった考えです。

削除が不信を増長する

上記の2点(①生命の危機と不信②ゼロコロナへの不信)から、次に行われるのはSNSでの発言や拡散です。

オミクロンに対する考えや、ゼロコロナの負の側面、食糧不足についてたくさんの投稿がSNSに行われ、コメントやシェアが起こっています。

そして、多くの投稿が削除されています。

削除されても削除されても新しいコンテンツは生まれ、共有され続けています。
でも、それも削除されていきます。

コロナ問題発生前も、SNSで何か記事が削除されるということは珍しいことではありませんでした。ただし今回はその内容と量が全然違います。内容というのは、市民の共感を得るような記事や自身の生命に関わるような記事でも削除されるものが多い、ということを指しています。

また、削除対象となるような記事を発信、共有する人の量も膨大で、SNSで友人の共有した記事を閲覧しようとしたら、すでに削除されていて読めない、ということは1日に何回も、日によっては何十回も起こっています。

このような状況の中で、先日ある中国人がポロッと発言した言葉が何かを物語っている気がしました。

「結局自分のためなんだ、市民のためではない」

政策も、発言も、賄賂も、削除も、細かすぎるルールも、ルール通りに運用しないための特別ルールも、どれも市民のためではなく「それぞれの自分の保身のためなのだ」と。

先日の日経新聞の記事で以下のような記事がありました。
「中国脱出」SNS投稿急増

今回の上海コロナ問題が発生するまで、中国の人たちは自信に溢れていたように感じていました。国の経済は成長し、デジタル技術は世界最先端、有名海外大学へ留学経験のある多くの優秀な若者がいて、中国産のイケているブランドはどんどん増えてきている。残すはアメリカに追いついて追い越すだけだ、と。

もちろん当時からうっすらと感じてはいたのでしょうが、それ以上に国が豊かになっていることを自信に感じていたように思います。

その自信と信頼を裏切られ感覚。上海の人が感じているのは、こんな感情なのかもしれません。

そして、改めて多くの人たちがそこに存在する「深く巨大な違和感」の一端を垣間見てしまった、その一端に自身が触れてしまった。

中国の人たちの発言や発信を見ていると、そんなことを感じているのかな、と思いました。


これからどうなっていくのでしょうか。

間違いなく言えることは「逃れられない同じ時代を僕も生きている」ということだと思います。今回のロックダウンで改めてさまざまなことを考えさせられています。

上海は多くの友人や仲間が暮らす大好きな街です、引き続き見守っていきたいと思っています。


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