約1年前突然消えた推しがYouTuberになって戻ってきた話

はじめに。

このnoteは、彼のYouTuberとしての復帰を喜ぶファンを批判する目的で書いたものではありません。

また、彼自身を批判する意図もありません。

私自身の気持ちを整理するために、現在の率直な気持ちを書き連ねています。

加えて、彼の脱退の要因とされるプライベートでの行いを擁護する意図もありません。


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2018年春

私の推しは突然芸能界から姿を消した。

理由は「炎上」

彼がモラルに反すること(法律には触れていないが、社会的には到底許されることではない)を行ったことが、彼の元交際相手を名乗るアカウントにて暴露されたこと原因である。

そのアカウントは主にファンによって拡散され、みるみる燃え上がり、その数日後に彼は所属していたロックバンドを脱退、所属事務所も退社することを発表した。

もちろん、表向きの理由は「本人の希望」とのみ記されていたが。


あれから11ヵ月がすぎた2019年2月

 突然彼がTwitter上に姿を見せたのだ。


「YouTuber」を名乗って

見知らぬ4人と共に。

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私が彼を好きになったのは、彼が所属していたロックバンド(まだその当時はバンドと呼べるようなグループ形態ではなかったが)が結成2年を迎えようとしていた頃だった。

軽い気持ちでフリーイベントに足を運んだことをきっかけにどんどんハマり、ひょんなことから彼が私のことを認知(顔を覚えてくれること)してくれたことで、彼は私の「推しメン」になった。

私は地方在住であるが、関東東海関西のイベントは時間とお金が許す限り通っていた。

CDも沢山(と言っても、ファンの中ではそれ程多くというわけでもないが)買って、彼と接触(サイン会やツーショット撮影会の通称)することに躍起になっていた。

特にサイン会については、サインを貰うことが目的ではなく、彼と話をすることを重視し足げく通っていた。


彼の笑った顔が好きだった。

他のメンバーのくだらない話を聞きながら、手を叩いて嬉しそうに笑う彼が好きだった。

ベースを弾く彼が好きだった。

メンバーのことが大好きな彼が好きだった。

彼の全てが、大好きだった。


それは彼がモラルに反し、他人を傷つけ、その代償にグループを脱退、芸能界から姿を消した後も変わらなかった。


彼と同じようなことをしている人間は、この世の中に沢山いると、私は感じている。

(他の人もしているのだから何をしてもいいと思っているわけではない。しかし、「複数人と同時に交際する」ということを行っている人間は、私が思っている以上に多いということを別界隈を通じて感じているため、このような表現を行った次第である。)

そして、決定的に「許されない」と感じる振る舞いについては、証拠がなかった。

だから私は、彼を嫌いになれなかった。


一般人と呼ばれる人間なら、プライベートでどんなにモラルに反していようが、法に触れていない以上は早々解雇(事実上の自主退社含む)にはならない。

でも彼は「芸能界を引退せざるを得ない」という罰を受けた。

それ自体は芸能人だったのだから仕方がないと思う。

でも心のどこかで、また彼が活躍する姿を、どんな形でもいいから見せてくれたら嬉しい、そう思っていた。

思っていたはずだった。


それなのに私は、いざ彼が「YouTuber」を名乗り表舞台に戻ってきたことを、どうしても受け入れられないのだ。

理由は、わからない。

わからないなりに考えて、心の整理をつけたくてこの「note」を書いている。

ここまでは長すぎる前置きである。

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私は彼が大好きだったが、それと同じくらい、彼が所属していたバンドが大好きだ。

だから彼が脱退後も、グループのファンを続け、ライブやイベントにも足を運んでいる。

彼がいなくなった当初は辛かったが、最近は彼がいないことがそれ程気にならなくなってきていた。

でも、彼のことを少しも思い出さない日は、1日たりともなかった。


彼のYouTuber転身の第一報を知った日、奇しくも私は彼が所属していたバンドのイベントに参加していた日だった。

長年のファン友達とイベントを大いに楽しみ、感想等を述べながら食事をしていた時に知った。


最初に出た言葉は   「無理」   だった。


ここで出た「無理」という言葉は、世間一般で使う拒否的な意味だけではなく、現代のヲタク文化圏でオールマイティに使われる感情表現の1つである。


私は彼が突然Twitter上に現れたことに対し、「喜び」と「拒否」の両方の感情を抱き、それを「無理」という言葉で表そうとしたのだと思う。


彼が脱退したあの日以降も、ずっと彼のことを考えていた。

今何をしているのだろう

どんな気持ちで過ごしているのだろう

生活は出来ているのだろうか

楽しく過ごせているのだろうか

いろんなことを考えて、勝手に想像し、勝手に苦しんでいた。


時を近くして事務所を退社した人物たちは、軒並みTwitterやInstagramでその現状を発信していた。

彼だけが消息不明だった。

それが突然、Twitter上に姿を現したのだ。

彼の消息がわかったのだ。

単純に、嬉しかった。

あぁ、生きていたんだ

楽しく過ごしていたんだ

そう感じた時は、安堵のような感情も芽生えたように思う。


しかし、YouTube上に公開された短い動画で、聞き覚えのある彼の声が聞こえた瞬間

彼が憎くて憎くて堪らなくなった。

彼の動く姿を見た瞬間

とてつもなく嫌悪感を抱いた。


そこにいたのはあの頃と変わらない、大好きだった笑顔で、仲間の言ったことを嬉しそうに笑う彼だった。

私が大好きだった彼そのものだった。


だから余計に、憎かった。


反省していないのが憎いんじゃない。

嘘でも謝罪をして欲しかったわけでもない。

バンドマンだった彼が「YouTuber」なんて肩書きを名乗ることを拒絶しているわけでもない。


あの頃と環境は変わっているのに、周りにいるのは彼が大好きだったバンドのメンバーではないのに、彼自身はあの頃と同じように笑って、楽しそうにしていることを受け入れられないのだ。


私は「推しているバンドのベーシストである彼」が好きだったわけではない。

芸能人として、ファンの前に立つ彼が好きだった。


そう思っていたし、今もそのつもりでいる。


でも、本当に私が好きな彼は、ちょっぴりネガティブで天然なボーカル、ムードメーカーなギター、おふざけ担当のくせにしっかりもののキーボード、そして途中加入だけどグループに溶け込んで周りを明るくするドラム、その4人に囲まれて笑う彼だったんだと思う。


しつこいようだが、別にそれは「そのバンドのベーシストの彼」が好きだったという意味ではない。

自分でも何を言っているのかわからなくなってきていることは重々承知している。



彼がやったことが許せないわけでもなければ、彼が戻ってきたことを素直に喜ぶわけでもない。

反省の色を見せないことに憤っているわけでもなければ、楽しそうにする姿に歓喜するわけでもない。

これは、完全に私の身勝手な感情だ。

私が思い描いていた「彼の復活劇」ではなかった。

それが彼に対する憎しみの根源だと思っている。

(ちなみに「思い描いていた復活劇」が「グループへの復帰」という意味ではない。これについては後日noteに記すかもしれない。)

しかしながら、

彼のことを嫌いになんてなっていないのだ。

むしろ「やっぱり好き」なのだ。

「それでも好き」なのだ。


憎くて憎くてたまらないのに、大好きな気持ちはなくならなかった。

そんな自分が本当に気持ち悪いと思う。

いっそ嫌いになれたほうが、随分と楽だと思う。


YouTuberとしての彼を応援するかどうかはわからない。

彼のことはもう「推しメン」とは言いたくない。

それでもなお、私は彼のことを追いかけてしまうのだろう。


私は身勝手なヲタクだ。

これからも彼のことを、勝手に期待して、勝手に憎んで、勝手に好きでいるのだろう。

全ては私の「身勝手な感情」によるもの。




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