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0220週 鯉になった気分

0220 月

昨日後輩と酒を飲んだからか胃が重い。体重計に乗ったら案の定体重が増えていた。結婚式が終わってから体型を維持するモチベーションが如実に失われているし、仕事で疲れるとどうしても酒やら味の濃いおつまみやらを欲してしまう。
先週までで繁忙期は過ぎ去ったものの、繁忙期に放置していた仕事をせねばならず、ばたばたと働く。お昼どきをまたいで打ち合わせが続いたのでこれ幸いとプチ断食をする。お昼ごはんは16時前くらいに食べた。
なんだかんだで22時ごろまで働き、買い物をして帰宅したらオットがすでに飲み会から帰宅していて驚く。最近の食生活を反省したので野菜スープを作ったけれど、スープを飲む前に普通に酒も飲んだのでプラマイゼロかもしれない。仕事やらで心に余裕がないと生活を慮ることができなくなってしまうが、本来は生活ありきの仕事であるということを忘れてはいけない。

0221 火

午前中の打ち合わせを終え、昨日作った大量の野菜スープとパンを食べて午後から出社。社内のフロア移動の影響で私物ロッカーを片付けなければならず、3年前から仕事の荷物を溜め込みまくっているロッカーから全てのものを一旦取り出して仕分ける。わたしは本当に物を片付けられない人間なのだけれど、片付けられないというより、捨てられない、というのが大きいのかもしれないと思った。絶対使わない書類とか、飲めない缶コーヒー(誰かが差し入れてくれた)とかがどんどん出てきて、まるでブラックホールかのようにロッカーに物を放り込み続けていた自分を呪う。なんとか最低限の仕分けをして作業完了ということにする(本質的な片付けからは目を逸らしてしまった)。
22時に会社を出て帰宅。また野菜スープを食べる。

0222 水

オットと話して、今日はふたりとも早めに仕事を切り上げてゆっくり晩ごはんを食べよう、と決めていた。その割に仕事が捗らず、結局20時半過ぎに退勤。ふたりでスーパーに買い出しに行く。オットは「家でご飯食べるの久しぶりかも」と言っていて、わたしも、余裕のある気持ちで食事の献立を考えたりするのは久しぶりだな、と思った。
とはいえそんなに早い時間でもないので、炊き込みごはんとお味噌汁だけ作ることにして惣菜を買い込む。はじめて冷凍餃子も買った。
わたしの母はフルタイムで働いていながら土鍋で米を炊き、自作の梅干しを漬ける人なので、わたしのなかには冷凍食品や出来合いの惣菜に対する無意識の忌避感がある。だけど冷凍餃子は安くて美味しくて、これが冷凍庫にあれば帰宅が遅くてもスーパーに行かずに済むなんて最高の発明じゃん、としみじみしてしまった。オットが作ってくれた炊き込みごはんもめちゃくちゃ美味しくて、酒を飲んだあとの〆なのにしっかりお代わりしてしまった。
こういう日も必要だね、と言いながら眠る。

0223 木

仕事に行くような時間に起床。朝イチで不動産屋に向かう。先週末に内見をしてから夫婦揃って引っ越し欲が高まってしまい、少し本腰を入れて物件を探してみようという話になったのだ。
午前中に行った不動産屋は「営業マン」という雰囲気の社員さんが多くて一瞬たじろいだけれど、条件に合う物件をいくつか探し出してくれた。まだ入居中の物件も多いとかで、いったん判断は保留にしつつ、希望条件に合う物件がこの世に存在するという事実にひとまず安心した。
もう一件お昼前に内見を入れていたのだが、マンションに着いてから「鍵がなくて部屋に入れない」などと言われ、きちんとした謝罪や状況説明も特にないまま20分間外廊下で待たされたので、内見を諦めて帰った。共用部の管理もあまり良好ではなかったし、この部屋にはご縁がなかったと思うことにする。とはいえふたりの職場からのアクセスは最高の街なので、この駅に住むのはありだね、などと話しながら昼食。
今回引っ越し先を探していて、東京在住といえども知らない街が多いということに気付かされたので、アクセス面から候補に上がってきそうな駅をふたりでめぐってみることに。A駅、A駅から30分くらいのB駅、B駅隣のC駅、と3駅を30分ずつくらい散歩する。どの駅もあまり馴染みがなく、何度か訪れたことはあっても「住む街」として眺めたことがなかったので、とても勉強になった。いま住んでいる街も、まったく馴染みがないながらも立地条件で即決しており、まあそれなりに気に入っているのだから、結局は住めば都ということなのかもしれないが。
夕方に湯島に移動して、湯島天神の梅まつり。近くの和菓子屋さんで購入した豆大福と、神社内で購入した甘酒をいただきながらライトアップされた梅を眺める。人出はそれなりにあったけれども騒がしい雰囲気ではなく、梅のよい香りに癒される気持ち。そういえば、わたしずっと文京区に住みたいと思っていたな、と唐突に思い出した。湯島や根津あたりの雰囲気がとても好き。
せっかく湯島まできたので上野で飲む。中華と立ち食い寿司をはしごして帰宅。それでも21時。朝早かったこともあって健全なデートだねえ、と話す。洗濯して長風呂して、0時過ぎに就寝。

0224 金

午前中から出社。打ち合わせが長引いてランチタイムを逃し、コンビニで買ったおにぎりを詰め込む。お昼過ぎの打ち合わせがやや紛糾していて複雑な気持ちになる。良くも悪くも立場で人の意見は変わる。
最近少し忙しさが落ち着いてきて、「急ぎではないけれどやったほうがいい仕事」に着手できるようになった。追い立てられずにできる仕事は心穏やかに取り組めてよい。結局だらだら働いてしまい、22時に退勤。

0225 土

8時台に起床して仕事で使う書籍を読んでから、旅支度をして新幹線に乗る。ずっと楽しみにしていた、温泉旅行!
東京から1時間ちょっとであっという間に長野駅に到着。降り立った瞬間寒さにびびる。駅前がすでにスキー場の空気。駅から10分くらいのお蕎麦屋さんで日本酒、山菜の天ぷら、なめこおろし、お蕎麦。胡桃蕎麦、たぶんはじめて食べたけどとっても美味しかった!
蕎麦を食べて長野駅に戻ったら次の電車が1時間後だったので、おみやげを眺めながら時間を潰す。栗に野沢菜に日本酒にビールにりんごに、長野県、美味しそうなもの多すぎる。
長野電鉄の特急電車(旧ロマンスカーの車両だった)に乗って湯田中駅へ。「雪見温泉ができる」ということで、今回は「加命の湯」というお宿に泊まることにしたのだ!湯田中温泉に近づくにつれて列車の外が本格的な雪景色になっていき、それだけでワクワクする。
16時前にチェックインして、派手な椿柄の色浴衣を選び、早速温泉へ。あいにく露天風呂の雪は溶けていたのだが、雰囲気のよい石風呂をひとりで独占できてとってもよかった。しばらくお部屋でのんびりしたのち、姉妹館の「よろづや」さんへ。「加命の湯」に宿泊すると「よろづや」のお風呂に入れるのである。お得。文化財に登録されているお風呂で、タイムスリップ気分。やたらに広い庭園露天風呂で「鯉になった気分だな」と思っていたら、あとから入ってきた家族連れの娘さんが「マーメイドみたい!」とマーメイドごっこをはじめており、自分の発想の濁りを感じた。夕食もとっても美味しくて嬉しい。夕食のあとに再度お風呂に入り、ふやふやで就寝。

鯉の気分になれたお風呂。変な表現をしてしまったけど、非日常的で素敵な空間だった。HPから引用。

0226 日

朝5時台に起床。だって朝風呂がしたいから!「加命の湯」のお風呂に行ったら、なんと雪が積もっていた。昨日、雪見温泉ならずだな〜と思っていたので嬉しすぎるサプライズ。朝ごはんを食べてから「よろづや」の温泉にも入りにいく。風呂入りすぎて身体が溶けそう。
名残惜しすぎるけれどチェックアウトして、「温泉に浸かる猿がいる」で有名な地獄谷野猿公苑へ。あんまり下調べをせずに向かったのだが、雪山を片道30分登山しないと辿り着けないことが判明し、まあせっかくきたので頑張って登る。本当に猿がたくさんいて面白かった。寒すぎたので一瞬猿を見て退散。
長野駅に戻り、善光寺へ。史料館がおもしろかった。参道で甘酒を飲んだりおやきを食べたりおにぎりを買ったりする。駅前の店で蕎麦と馬刺しを食べ、駅ナカで日本酒を飲み、大満足で帰宅。長野駅を出るときには「お腹いっぱいすぎる」と言っていたのに、帰宅しておみやげのおにぎりを食べた。

写真は旅館の朝ごはん。
本当に素敵なお宿だった。こういう旅行を定期的にやっていきたいな。

★日記に収まらなかったメモ

水曜日だったか、上野千鶴子さんが「入籍」していたことが週刊文春に報じられた。Twitter上では上野氏を「嘘つき」呼ばわりする声も散見されるが、結婚制度を批判することと、個人の利益のために現状の結婚制度を利用することは両立しうるので、そのような中傷は論点ずらしではなかろうか、と思う。
わたし自身、家父長制の名残のような婚姻制度のあり方(夫婦同姓や結婚式にまつわる慣習、などなど)にはまったく納得していないながらも、現実的なメリットを優先して法律婚という選択をした。その際、とある知人から「苗字変えるの嫌とか言いながら事実婚にしなかったんでしょ」と笑われて地味に傷つき、制度に文句を言いながらも結局その制度の旨みを吸おうとする自分は一貫性のない人間なのではないか、例えば「本当の」夫婦別姓論者は夫婦別姓が認められるまで事実婚を貫くのではないか、と、そのことがずっとどこかで引っ掛かっていた。法律婚を選べる立場にいること自体が特権的なのだし、法律婚のメリットを享受しておきながら声高に婚姻制度の不備を訴えるのはダブスタになるのでは、という気持ちもあった。
でも、上野氏でさえも、相続や看取りという場面で「入籍」という手段をとっていたと知って、ほんとうに勝手ながら、自分は別に矛盾していないんだ、制度を批判したらその制度を使っちゃいけないことにはならないんだ、と認識することができて救われた。上野氏が「入籍」を隠していらしたなら、勝手に知って勝手に救われる外野ってめちゃくちゃ迷惑な存在だろうなと思いつつ、そういう結婚の「使い方」もあるんだよ、と教えていただいたような感覚。何事も、自分が正しく、生きやすいと思うやり方を探っていくしかないのだろう。そのために制度を壊すことを選ぶのか、制度を内部から再解釈することを選ぶのかは時と場合による。脱構築ってそういうことなのかもしれない。
※記事を読むと、「入籍」が婚姻なのか養子縁組なのかも定かではなく、単純に「戸籍上の繋がりを前提とした相続を受けていた」ということのようなので、やはり見当はずれな感想なのかもしれない。そもそも会ったこともない他人のプライベートに対して「感想」を書くこと自体が間違っていることは重々わかっているが、自分のなかで印象的な心境の変化だったので、備忘録として。

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