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息子たちの成長

今後の計画があって、noteへの投稿を増やしていきます。
今までブログは、自分や子どもたちのための記録という気持ちが強くて、アクセス数を増やしたいと思っていなかったけど、有料で書きたい記事がいくつかあり(金儲けってよりは、無料では公開したくない特別なお話)、それらに向けての素地をつくっておくために・・・

1ヶ月くらい前から次男(高3)が私と口を聞かなくて、原因は、これまでも繰り返してきたお風呂のスイッチの問題なんだけど(笑)、私が忘れずにお湯を入れるべき、と考える次男と、忘れちゃう時もあるのだから手伝いとしてスイッチくらい入れればいい、というくだらない攻防です。
どちらも自分は悪くないと思っているため、冷戦が長引いている・・・
(少しずつは会話が復活しているので心配していない)

私からは話しかけるけど、どうも口を聞きたくない次男は、こたえたり、こたえなかったり、連絡事項はLINEがメインになっていて、そんな状況だから、バスケ部の最後の大会がいつかわからなかった。
確か、インターハイ予選は多くの部活がゴールデンウィーク頃だったので、そろそろかも?と思って次男に「大会はいつ?」とLINEで聞いたら、「23」という返事。
もう一週先かと思っていた私は、あさってじゃん!!と焦り、トーナメント表も次男にお願いしたけど、それは見せないので、コロナ禍で無観客とは思いながらも、高校の顧問の先生に電話をして、様子を聞いてみた。
(次男に顧問や担任の先生の名前を尋ね、筆談でこたえてきたところ、両方同じ先生だったことを、4月が21日過ぎてから知った(笑))

やはり親の観戦はできず、対戦校を聞いたら、1回戦目は勝てそうな学校に感じたけれど、2回戦目は地元ナンバーワンのインターハイ常連校とわかり、ショックを受けてしまった。これじゃあ、すぐに終わっちゃう!と。
次男たちは、コロナとともに始まったような高校生活で(2020年入学)、入学式の翌日から休校、6月に学校や部活が再開、その時の3年生は気の毒なことに、大会自体がなくなってしまった。(*次男の中学のチームは、中3の時、最後の夏の大会で市、地区と優勝を重ねて県大会まで行き、親も8月の頭まで応援や観戦を楽しませてもらえた。しかし、その下の学年(もっと強かったチーム)は中3の時に大会がなくなってしまったわけで、本当に気の毒に感じた)

高校での次男たちの学年は、3年連続親の観戦は禁じられたわけで、高校生にもなって親が観に行くとは過去は思っていなかったけれど、全く見られないとなると寂しさや悲しさが募る。我が子に加えて、中学時代の部活仲間たちの成長も見たかったなあと思った。

そのようなモヤモヤした気持ちを、バスケ部の保護者のグループLINEで分かち合いたいと思い、本来は顔を合わせるはずだったのに、個別には少しだけお会いした方もいるけど、全体としては一度も会えないままだった12人(一部の2年生のお母さんも参加)に向けて、無観客や強豪校とすぐに当たる(部活が早々に終わってしまう)残念な思いを伝えた。

すると、グループ上と、個別に複数の方々から反応があり、みんな同じ気持ちで、それを読んで泣いた。

個別にくださった方の中に、先週次男が右手を負傷したのだけど、それは自分の息子が出したパスによっての骨折だったので申し訳なかったです、とお詫びしてくださったお母さんがいた。次男は私と口を聞かないから、骨折!?とそこで知ったような状態で(笑)、部活帰りに自分で寄った病院に保険証や診察券を持って行くことを頼まれたので、怪我をしたことは知っていたけれど、翌日から部活に参加していたので、突き指程度と思っていた。
おそらく、厳密に言えば剥離骨折等だけど、そこまでひどくはないのだと思う。次男は、3歳で階段7段跳びをして足の小指を骨折してから、今回も骨折だとすれば6回目で、身体が小さい割には負けん気が強く、動きも活発なので怪我が多く、本人も怪我慣れしているところがある。

私としても、大学受験の直前に気分転換でバスケをして骨折、とならないためにも、大会直前の負傷は気の毒でも、良かったかも、と思っている程度だった。

今回、打ち明けてくださったお母さんのおかげで、怪我の時の様子が知れて、こんな風に書いてくれてあった。

<〇〇くん(次男)は普段から本当に良い人で怪我の後でも何度も「いいよ、大丈夫」と言ってくれていたそうです。>

この、「良い人」というのが、我が家とのギャップが大きくて笑ってしまったのだけど、同時に、友達にはやさしくしているんだなあ~と、うれしく思い、泣けてきた。

バスケ部は、進学校の割には帰宅が19時半を過ぎることもあるほど(次男は自転車通学で高校も近いから良いけど、遠方から通う電車の子たちは20時過ぎがざらだったと思う)、熱心で、昨年は顧問ではなく非常勤の先生に男女とも反発した時もあり、次男はみんなを思いやって行動に移したりしていた。クールなタイプなのに、練習のTシャツは自由なのでドラゴンボールの亀Tシャツを着ていったり、部活を通して意外な一面を知ることが増えたこの半年くらいだった。残念なはずの大会直前の怪我でも、最後だからか変わらず熱心に、楽しそうに部活に出かけていた。試合に出れるかどうかや、試合の勝ち負けよりも、「次男が部活に楽しそうに向かう」というその姿だけでうれしかったし、そのような仲間に恵まれたことがありがたかった。

その他にも、グループLINEで私が次男が口を聞かないことをありのまま書いたので、面識のないお母さんから個別に、「我が子も口を聞かない期間が長い時があったので、うちだけじゃないんだ~と救われました」という「そこ?」というメッセージもいただき(恥を書いたことで楽になる方ができるのはいつもうれしい)、すべて含めて、みなさんの親心を知ることができて、感動した。

試合当日、一回戦は勝ったと、あるお母さんがグループLINEに入れてくれて、私としては今日2回戦があるのかどうかもわからなかったんだけど、新たにふと飛び込んできたLINE・・・中学時代の部活仲間で、違う高校に進んだ仲良しくんのお母さんが、なんと、現場の外から撮影した動画を送ってくれた。これには笑ってしまった。行ったお母さんがいるんだ~~と(笑) また、熱血や熱心なタイプではなく、ほのぼのとしたお母さんなので、天然ぶりにウケてしまった。

その動画(はっきりと映っている)を見て、私は涙があふれた。
身体も小さいし、中学時代は補欠で、点差があれば出してもらえるという位置の選手だったのに、スタメンかはわからないけれど、しっかり試合に出て、ポイントガード(司令塔のポジション、身体が小さい選手が多い)として、果敢に動き回ってがんばっていた。
右手に包帯を巻いた状態で・・・

ママ友がよくわかってくれているので、次男の良いタイミングを撮ってくれたとは思うけれど、なんと、シュートの場面や、シュートに結び付くいいパスを出した場面も撮影してくれてあり、感激した。

自分たちは行かなかった応援の場に他のお母さんが行っていることをとがめる気持ちは全くなく(私は行かない選択をしたけど、すべてにおいて感染対策の基準も、実際の因果関係もあいまいな中、本来は誰も強制されることではないと思っているので)、ただただ、見せてくれてありがとう!!という思いだった。

この動画は、同じ高校のグループLINEでも、今後の様子を見て(マネージャーが撮ってくれる動画が回ってくる可能性もあり)共有しようと思っています。

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動画を見て泣きながら実感したけど、本当にお母さんって我が子が好きだよなあって思う。成長した姿を見れるだけで、こんなにうれしい気持ちになるなんて驚いた。
たとえ私にはしゃべらなくても冷たくても、外の世界で仲間たちと、こんなにいい関わりをしていて、我が子が幸せならそれでいい、と、反抗の仕方がまた違った2年先(学年は3年)を行く長男を見ても思っていたところだった。

すでに長いけれど、すべて重なり合っての日常なので書かせてもらうと、

昨日、いつも突然の長男(大学3年生で静岡で一人暮らし)が、母校の高校に教育実習の手続き(実習は来年)のためにやってきて、とんぼ返りしました。最初は土日に来ると言っていたはずが、急きょ日帰り金曜日となり、しかしその当日のLINEが表示されなかったので気づかず、私の予定が終わった夕方に、頼まれた靴や衣類や、節約のために買ってきて欲しいという野菜や、義母からいただいた茹でタケノコ(保冷バッグ)や、私の母作の新玉ねぎ(畑から掘りたてで、美味しいけどにおいがキツイのでビニール袋二重にして)を届けた様子(笑)

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高校への手続きにふつうはスーツで来るらしいところ、ジャケットの中は、友達からもらった誕生日プレゼントのブルックスブラザーズのラガーシャツ。それでも、ふだんしたくないマスクをして、古いリュックを背負い、ちぐはぐな格好で訪問した様子。

この写真の後、車で駅まで送り届ける間、ほんの10分くらいお話。
(夜に飲みの予定があり、5月の連休に田植えで帰ってくることが決まっているので泊まらずに)

長男もコロナと同時の入学で、2年間オンライン授業ばかりで大学を辞めたいほどに不満を重ねていたけれど、この春から対面授業が大幅に復活し、ゼミも始まり、とても楽しそうだった。
長男は中学時代までは勉強へのやる気がなく、料理人や就職を目指して商業高校に進んだけど、そのおかげで、暗記型、詰め込み型の受験勉強に追われずにバイトを続けながらアメリカや中国へ行ったり、簿記やパソコンなど実践的な勉強をし、余裕を持った社会(世界史等)の授業を受けたりしたことから勉強への意欲が芽生え、大学生の今が、いちばん勉強している。

意欲に燃えて入学したからこそ、知の追及に関して教授たちに体当たりできないような(画面越しを強いられるような)この2年が悔しくてならなかった。

大学に入って以来、ずっとネガティブな気持ちを聞かされ、私も心配だったので、今回初めて、晴れやかにイキイキと(本来の長男を取り戻して)、ゼミの先生や授業の様子などを話してくれてうれしかった。

この春休みの帰省時でさえも不安定で不機嫌で、私はやたら八つ当たりをされたけれど、夫も長男も次男も、私への態度の悪さは何なんだ?と思う時もあるけど、それぞれ社会ではがんばっていて(イイ顔をしていて、とも言えるが)、私に甘えていること自体もそりゃもちろん情けない時もあるけど、まあいいか、と思う。

長男が1人暮らしをするようになり、この2年ほどの明らかな成長も感じ、今回は車を降りて歩き出した時に、今まで一度も振り返らなかったのに、角で私を見てもう一度手を振った。友達には自然に向ける思いやりを初めて私にも向けた瞬間だった。

それでいい、少しずつわかっていけばいい って思うのです。

noteで初めて読んでくださる方もいるので紹介すると、
去年の夏はバイクで日本一周したような長男でした。
これはインスタの動画の画像で、インスタは非公開にしていて、動画が直接見れないので、イメージとして・・・

①20歳の誕生日に編集して投稿した東日本1周(北海道も一周)の音楽入り動画の画像。

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②私に内緒で夏に引き続き西日本一周(フェリーで沖縄にも行った)をし、サプライズとして、成人式の日に「母へ」と題して明かした『アンマー』(沖縄でお母さんの意味で、反抗期頃の長男との思い出の曲)入りの動画の画像。

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まあだいたい、夫自体が万年反抗期で、22年前、お姫様扱いで求愛・求婚されたのに、その甘さは姿かたちもなく、結婚当初は夫の実の母親(私にとっての義母)への態度があまりに冷たくて呆れたし注意もしたけれど、今ではそのような態度を私にとり、母親にはやさしくしている。
私への態度に腹が立つこともあるけれど(それも甘え)、母親にやさしくなれて良かったと思っている。

長男次男は、妻にやさしくして欲しいし、そう伝えているけれど、目の前の息子らの態度に一喜一憂することはなくなった。いつかはほど良く仕上がると信じているので・・・

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こちらは、昨日、夫がくれた会社からの景品。
(1月に会社から頼まれて、ホットケーキミックスを使ったお菓子作りの写真を応募したことへの謝礼)
中身はモンスターズインクの水筒でした(なかなか良い!)。
ディズニーが全く似合わない夫が、この袋を差し出したのがおもしろかったので記録。というか我が家全員、ディズニーの世界観が似合わない(笑)

いろいろな時期がありました。
長男の中学時代には父子ゲンカで警察にも何度か行きました。
家族4人で行かされて、次男はさぞかし迷惑だったと思います。
でもそれも、ネタにして子育ての講座で語っています。
だって、隠すことじゃないというか(うちの家族は私が語ることを気にしない)、今回も部活のグループLINEに次男が口を聞かない恥ずかしい状態を正直に書いたことで、みんなが声を寄せてくれて本当にうれしかったです。
精一杯生きています。
息子らの成長を感じています。

次男の部活はこれで終了となり、早くも受験勉強が中心となっていきます。
次男は長男と違って、辛抱強く勉強をするので(やるべき勉強はがんばるけど、必要ないと思う教科の捨て方はひどいし、小学校の頃から媚びたところがずっとないけど)、得意の理系でがんばって欲しいと思う。

母親と口を聞かないとか、骨折して包帯巻いた状態で試合に出るとか、そういう根性(幼少期からの「きかん坊」)を、彼の夢や未来へのエネルギーに向けて欲しいです。

あ、トップ画像は、朝、自転車で試合会場に向かう姿。
試合の映像が見られるとは思っておらず、これが節目の姿かなあと思って慌てて撮影しました。

次男の競技の始まりは、夫の希望でやらせた柔道だった。

小1での初めての大会の時、結果的に優勝した子と1回戦で当たり、途中まで優勢だったのに負けてしまった。

負けがわかった瞬間、「うわ~ん!」と泣いて、先生よりも私の方に向かって歩いてきた。次男を抱きとめながら、「こんな風に人前で泣いて私の胸に飛び込んでくれるのは、この試合が最初で最後だろうな」と思った。
その通り、お母さんの元に駆け込むことなんて、以降一度もなかった。

長男も次男も、もう私の腕の中にいない。
そのことが寂しいし、そのことがうれしい。
彼らが彼らの世界で楽しみ、幸せを感じながら世の中や人と関わっていくことを期待し、応援しています。

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