「おじさん」たちよ、さようなら|松田青子『持続可能な魂の利用』書評


 初めてそのMVを見たとき、私の目は釘付けになった。社会への怒りを訴える反抗的な歌詞。ハードな楽曲に合わせ、トランス状態で踊り狂う制服姿の集団。そのうちの誰よりも激しく動き、挑むような強い眼差しをカメラに投げかける中央の少女。圧倒的存在感で私の心を奪った彼女は、松田青子『持続可能な魂の利用』の主人公〈敬子〉が、夢中になって推したアイドル〈××〉と、おそらくは同一人物に違いない。

 陰湿なセクハラを受けて派遣先を退職し、消耗しきった30代の敬子は、駅前の街頭ビジョンで××に出会った。映像の中で一切笑わない××に、敬子は強い感銘を受ける。従来のアイドルに求められてきた「笑顔」から解放され、パフォーマンスに専念する××たちは、敬子の目に力強く映った。

 可愛く、従順で、未熟。男性を「笑顔」で受け容れ、決して脅かさないこと。それはアイドルという虚像だけでなく、現実の生活で〈日本の女の子〉が「おじさん」から要請されてきた姿だった。

 今や不名誉な呼称となりつつある「おじさん」だが、これは決して中高年の男性一般を意味しない。老若男女「おじさん」はいる。既得権益で社会の要所に陣取り、身勝手なルールや価値観を他人に強いる者。自分たちが悠々と伸ばす手足の下で苦しむ人々の痛みを無視する者。「何をしてもセクハラ、パワハラと言われて息苦しい」。そう嘆く者は既に「おじさん」である。〈日本の女の子〉はずっと「おじさん」の手で自尊心を削られてきた。

 身長149センチの小柄な容姿により、長年痴漢・暴漢の脅威に晒されている、敬子の前職の後輩・香川歩。彼女は物理的に非力な自分を鼓舞するため、いつも鞄に〈ピンクのスタンガン〉を忍ばせて歩く。

 敬子の妹・美穂子がカナダに移住したのは、同性のパートナー・エマと結婚するためだけではない。女性に自己主張を許さない国、よりよい生活を、〈I want more.〉を口にできない故郷から、彼女は逃げ出したのだ。

 元アイドルの〈真奈〉はあるきっかけで、自分が赤の他人から仄暗い性欲の対象にされていることを知り、心の〈内側で確実に何かが損なわれ〉る思いをした。引退後の彼女は、〈魚が死んだような目〉で、アニメの魔法少女を〈エロい〉と視姦し返している。

 そして、××――

 ××たちのプロデューサーは、男性のニーズに即してアイドルを量産するシステムを作り出し、女子中高生に対する性的な意味付けを強化した筋金入りの「おじさん」だ。××たちの背負った反逆のイメージも、所詮はその人物の商業戦略に過ぎない。「勇ましい鎧を脱げば、中身はか弱い女の子」という二重の仮面の下で、××は何を思うのか。

 〈アイドルには人格なんてない〉と真奈に言わしめた「おじさん」は、生身の彼女たちを徹底的に黙殺してきた。彼女たちが何を感じ、どう生きたいか、その叫びに耳を塞いだ。それはアイドルに限らず、女性一般に対する「おじさん」の態度そのものだった。

 「おじさん」さえいなければ――。本書はそんな彼女たちの悲痛な願いに満ちている。

 そこいらの「おじさん」たちに告げたい。もう女性の容姿や年齢を品評している場合ではない。ちんけな自尊心を女性にケアさせるのはよせ。自由へ向かう女性の道を塞ぐな。「笑顔」の下で煮えたぎる怒りは、既に噴き出している。彼女たちは確信しているのだ。この世界に「おじさん」は必要ない、と。

 「おじさん」の消えた世界で、少女たちは不敵に笑う。彼女たちは学ぶ。かつて少女を「鑑賞物」として扱う「おじさん」という生き物がいたことを。そして思う。「ああ、こんな時代に生まれなくてよかった」。本書に描かれた景色はきっと、遠い未来の話ではない。

 松田は警告する。心の中の「おじさん」と戦わなければ、私たちに未来はない――と。

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