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音楽制作業 OFFICE HIGUCHI 10周年までの道のり#12 〜「都心のスタジオ」という欲望に取り憑かれた弟(前編)〜

お世話になっております。代表の樋口太陽です。

新体制が始まり、社長になった僕は、2014年6月30日に会議を行いました。その名も「無敵会議」というものです。無敵会議とは何か。

まず最初にQueenの名曲「We Will Rock You」を大音量で流し、気持ちを盛り上げる。そして延々と、無敵とは何かを語り、無敵になるための案を披露し合う。

そんな、極めて自己啓発的な会です。この時から続いていく行事、いや、儀式になりました。

兄弟だけで始まった会社、それまではもちろん、会議なんてかしこまったものをする必要はありませんでした。しかし、この新体制になったからには、何か会社っぽいことをやらなければならない。そんな強迫観念もあったのかもしれません。いや、ただただノリがそうさせたのかもしれません。

第一回の無敵会議の時に僕が作った資料が出てきました。

無敵会議

オフィス樋口 無敵化への道

というものが中心にあり、それをどのように実現していくのかの計画図です(全文を見られると恥ずかしいので、ボカしています)。
 
その一部をズームしてみましょう。 

スクリーンショット 2021-10-09 1.53.43

上にちらっと見える「なぜ我々が無敵なのか を置いておいては無敵にはなれない」という一文は、資料をつくった当人の僕が見ても意味不明です。どれだけ当時、気持ちが高揚していたのかが伺えます。

その下には

第二オフィス(スタジオ)を構える

という文字が見えます。この時、マップを使った資料を作成しました。

マイマップ再現1

※当時のマップ資料は残っていなかったですが、記憶を元に再現してします。

なるほど、今まで気にして生きてきた事がなかったが、主要な広告代理店や映像制作会社は港区周辺の、ごくごく狭いエリアに集中して存在する。つまり・・・

広告・映像業界の彼らにとって、阿佐ヶ谷の我が社は、遥か遠くにあったのです。

福岡から上京した僕には、全く思いもよらなかったこと。阿佐ヶ谷は「新宿にも吉祥寺にも出やすくていいね〜駅近だし!」と、住宅としては評判がよかったが、ビジネスにおいては別物なのか・・・。23区内というだけで、大都会というわけではないのか・・・。無敵を目指す僕は、この立地的な弱点の解決を目指しました。


無敵というからには、第一線の彼らと、同じぐらい都心でないといけないはず。もっと彼らに近づこう。いつの日か無敵の名にふさわしいスタジオを都心につくろうと思う。

そういったプレゼンを、会社のメンバーに対して行いました。その夜か、次の日の夜か忘れましたが・・・初めての無敵会議を終え、テンションが上がっている状態。僕はインターネットで勢いのままに・・・

「防音スタジオ 賃貸 港区」

などのワードで、検索を始めました。たどりついたのは
防音賃貸.com というサイト

へぇ、こんなサイトがあるんだ・・・個人向けの小さなものから、本格的なスタジオまで。いくつもの防音物件が出てきます。面白半分で探していたら、はい、ありました。

築地の居抜きスタジオ 家賃 50万円

なるほどー、居抜きだったらもう防音工事は終わっているし、いいなぁ。それに、築地なんて魚市場のイメージしかないけど、あのマップでいうと、かなりよいところに位置している・・・。

マイマップ再現2


ふむ。築地。

株式会社電通さんと、近いではないか。

ちょっと、内見だけ行ってみようか。


無敵会議からわずか三日後の7月3日に、内見に行くことになりました。その物件の写真は残っていませんが、広めのオフィススペースと、黒い壁でスタジオらしい雰囲気のブース。居抜きなので、ソファまで置いてある。悪くはないのでは。そして、魚市場だと思って来てみたら、思わぬことに銀座が近い。日本一華やかな街が、すぐそばにある。

今度はみんなで行ってみようよ、ということで、メンバー全員で築地に向かいます。銀座を通ってスタジオまで歩くという新鮮な体験をしてもらいたくて、わざと手前の駅で降りて、田舎者の僕たちは、銀座の街をブラブラ歩きます。ハイブランドのお店がひしめきあう、きらびやかな通り。阿佐ヶ谷とは一味違います。

改めて全員でスタジオを内見しつつ、もしも借りたらこういう使い方ができるだろうね、ここだったらどんなお客さんでも呼べるだろうねなどと話し、近所で築地の新鮮な魚をふるまう海鮮丼を食べ、勝どき橋で海からの風を浴びて。夕陽を見ながら、この築地という新天地、このスタジオができた未来について語らいます。

うん、契約しよう。

もう僕には、その道しか見えませんでした。無敵会議の時には「いつかは自分たちのスタジオが出来たらよいね」という数年後の話かと思っていたであろう会社のメンバーたちからは、いくらなんでも早すぎるのでは?という声もありましたが、ぼくはもう、築地のスタジオに取り憑かれていました。

なぜ、当時の僕は、スタジオに対してここまでの執念ともいえる思いを持っていたのか。振り返ってみます。阿佐ヶ谷オフィスのリビングは、このような空間でした。

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男三人のシェアハウスとしては、明るくて広くて申し分ないリビングです。しかし、とあるCM仕事の案件の時に、ここに、制作会社、代理店、クライアントのみなさまが勢揃いをしてテレビに映像を映しながらの立ち合い作業をしたことがあります。今考えると、そういった方々が集まって、そういった作業をやる、ビジネスの場所としてはふさわしくありません。まず、広さ以前に玄関で靴を脱いでスリッパを履かなくてはなりません。それだと、やっぱり家っぽい・・・。

この二階のリビングを、スタジオっぽく整えるのも限界がある・・・そう思った僕が次にとった行動はこちらです。三階には個室がふたつありました。オチさんと僕が使っていた、そのふたつの部屋の壁をブチ抜くことを思いつきました。「こうすれば広くなるじゃないか」そんな猟奇的ともいえる発想です。オチさんには、無理を言って二階の個室に移っていただきました・・・。

壁をブチ抜くといっても、ここは持ち家ではありません。賃貸です。大家さんに了承を得るための電話をしたところ「現状復帰してもらえれば、壁をブチ抜いてもOK」との、おおらかすぎるお返事をいただきました。業者の方を呼んで容赦なくブチ抜き、その結果、三階は15畳ほどの広い空間になりました(ちゃんとその後に現状復帰しました)。

こうやってかなり無理をして三階の広めの空間を手に入れたものの、やはりついて回る問題があります。


玄関で靴を脱がなければいけないこと
ここは阿佐ヶ谷だということ

です。この一軒家をどう頑張っても都心の商用スタジオにはならないことに、壁をブチ抜いた後にやっと気がついてしまいました。

自分たちの音楽制作のスキルには絶対の自信がある。今からの俺たちに必要なのは「それっぽさ」だ。音楽制作会社にとって最も「それっぽい武器」は、スタジオだ。そんな僕にとって、この都心のスタジオ計画は、オフィス樋口の無敵化のために、なんとしても実現させたい野望だったのです。



・・・さて、話を戻します。築地の居抜きスタジオの家賃は50万円。なかなかの家賃です。しかし当時の売り上げは、三年連続で右肩上がり。このまま成長を続けていけば、きっと払えないことはない。出会ってしまったものは仕方ない。俺たちはこの運命の築地で成り上がる。早々に判子を押し、申込を進めます。無敵会議で話してから若干早すぎたが、これで俺たちはもう無敵だ。どこまでも行こう。この築地で。どうぞよろしく。築地。


しばらく経って、連絡が来ました。審査が通らなかった、とのことです。
  
えっ・・・俺たちの無敵が・・・築地が・・・
 
(後編に続く)

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