見出し画像

音楽制作業 OFFICE HIGUCHI 10周年までの道のり#43 〜産まれて初めての禁断の工程・・・GOOD MUSIC VS BAD MUSIC わるい音楽つくる篇〜

お世話になっております。代表の樋口太陽です。

“音楽はとても大切である” このことを広く感じてもらうために、よい音楽と、わるい音楽を誰でも簡単に比較することができる実験の場を作るプロジェクト"GOOD MUSIC VS BAD MUSIC"という企画が始まりました。

今回は、わるい音楽つくる篇です。


もはや後戻りできないところまで企画を進めていたにも関わらず、肝心のBAD MUSICにはなかなか手をつけれておりませんでした。オーケストラアレンジを手掛けていただいた斎藤ネコさん、映像作家の林響太朗さんが別々の場所で二人とも口を揃えて言っていたセリフがあります。


BAD MUSICつくるの、むずかしそう・・・


僕もうすうす、BAD MUSICはどうしたものかと思っていました。取り組むにあたって「音楽の良し悪しとはいったい何なのか」という非常に難しい問いに向き合う必要があります。

特にそういった文献を読んだことはないですが、こういった話は、きっと誰もが論じているだろうし、一度は考えたことがあるでしょう。

福岡で音楽活動をやっていた大学生の時、まさにこの話題で兄と一緒に夜中に議論した記憶があります。詳しくどういう内容だったかは忘れましたが・・・その時の結論はたしか、

音楽に良し悪しなど、ない。

だったと思います。歌の音程がぴったりだからといって、良い音楽なわけではない。お腹から太い声が出ていたからといって、良い音楽なわけではない。ギターの早弾きができたからといって、良い音楽なわけではない。だから、究極的には音楽に良し悪しなど、ない。全ては好みだけの問題だ。

たぶん当時、そういう結論に至りました。

時は経ち、プロとして音楽制作を行うことになります。経験を重ねるにつれ、肌でわかってくることがあります。

音楽に良し悪しは、ある。

大学生の極論と、プロの現実は違いました。音楽制作の現場では、確固たる良し悪しが存在します。

「間違いなく良い」と思える音源は、実際にプロの現場にてクライアント、代理店、制作会社など、立場や年齢の異なる多くの人を貫いて納得させる威力を持ち、「間違いなく悪い」と思える音源は、ただ一人も納得させることはできず、一銭の価値もつきません。

好みの問題で片付けるには、あまりにも結果に違いがありすぎます。これは実際に数多くの音楽制作の仕事を経験しなければわからないことでした。

この良し悪しが、どうやって分かれるかの要因は、一概には言えません。音質がどうとか、世代の違いによる趣味的なものがどうとか、演奏のテクニックがどうとかいう話ではなく、複合的なフィーリングの話です。

だからこそ音楽をつくる仕事はとても難しいし、だからこそ機械化や自動化による量産はしにくく、人間の感覚を注ぎ込んで取り組む価値のある仕事だと思います。

---

さて、そんなことを踏まえつつ、実際に今回の企画においてBAD MUSICをどのように形にするか。GOOD MUSICとの対比のBAD MUSICであることを手軽にクリアするならば、適当に安価なライセンスフリー音源をネットで拾って、貼ってもよい気がします。

しかし、この企画において、その手段は「ズル」だなと思っていました。それをやってしまえばGOODとBADの対比が、親和性のないものになってしまい、説得力を持ちません。曲がまったく違うのであれば、良し悪しを比較するのもナンセンスです。

おいしいローストビーフ VS まずいショートケーキ

の、どちらがおいしいかの比較をするのは、あまり説得力がないようなものです。比較するにはやはり、おいしいローストビーフと、まずいローストビーフでなければ、よくわからないことになる。

そのためにはGOODとBADで何かリンクするところがないといけません。ひとつの決め事を定めました。

GOOD MUSICと同じメロディーを奏で、同じナレーションを読むのにもかかわらず、表現のディティールによる違いでBADに仕立て上げる。

「同じメロディーと同じ言葉を使っているのに、取り扱いしだいでこんなにもBADなものになるんだよ」と、示せるものを目指しました。

また、今回どうしても死守したかった点は「ある意味カッコよい」BADにはならないようにすることです。BADという言葉は、カッコいいと紙一重のもの。ちょっと油断をしたらカッコよくなってしまいます。パンクバンドを思い出してください。演奏が下手でもカッコいいことがある。歌が下手でもカッコいいことがある。音質が悪くてもカッコいいことがある。

そうなってしまうと、もはや純度が高いBAD MUSICとは言えず、GOOD MUSICに片足を突っ込んでしまいます。

この企画では、決してそう感じさせてはなりません。ロークオリティ、なおかつ絶対にカッコよくはならないものを目指さなくてはなりません。

かなり難しいお題です。もちろんこんなお題で楽曲制作を行ったことは、ありません。わるい音楽を追求する。それは産まれて初めて取り組む、音楽制作者が決して足を踏み入れることのない禁断の工程でした。

---

まず最初に行ったのは、ぶちがデモで形にしていたGOOD MUSICの全ての音源を、打ち込みの安価なPCソフト音源に差し替えること。きっとこれだけでそうとうBADになるだろう・・・。聴いてみたところ、意外な感想を持ちました。

うん、もちろんクオリティは下がったが、そこまでBADではない・・・。

フルオーケストラの生演奏に比べると、音色は格段にチープになりました。しかし、完全にBADとは言えない。その理由は・・・

いい曲だったからです。

これは誤算でした。なるほど・・・曲自体がいい曲だと、ただ音色をチープにすればBADになるわけではないのか・・・。ではさらに、書き出す時に、思いっきりデータを荒くするとどうだ?高音質のハイレゾ音源というものがありますが、それの真逆です。ビットレートをすごく荒くしたら、もっと悪い感触になるのではないか。聴いてみます。

チープな音色が、ビットレートの荒さでいいかんじに誤魔化せて、逆に悪くない。

そうか・・・これもだめか・・・。音楽とは、本当に難しいものです。

おそらく高確率で成功するであろう方法も、思いついてはいました。それは、学生かクラウドソーシングか何かで大勢の方に向けて、5000円ぐらいの、安価なギャランティで手掛けていただくことです。企画内容は伏せて、GOOD MUSICのメロディーの譜面だけ渡して、コード(和音)は知らせずに、このメロディーに適当にオケをつくってくださいと、依頼する。

これをやれば、きっとその中にはいくつかのBAD MUSICが紛れるはず。ドキュメンタリー的にもなるので、このやり方は、よさそうな気がします。

しかし、この方法は・・・自分の中で倫理的にNGでした。もしかしたら広く知られるコンテンツになるかもしれない。BADの方を、企画を伏せつつ騙すような形で担当させることは、無垢で経験の少ない方にとって、一生の恥になる可能性だってあります。音楽制作者にとって不本意な結果になることはしたくない、と思いました。であれば、どうやって形にするのか・・・人が誰も傷つかない方法・・・

そうだ!AIだ!


AIならば、誰も傷つきません。現在は、AIで編曲ができるソフトも存在します。もちろん、AIだからといってクオリティが低いわけではありませんが、じゅうぶんBADにできそうなポテンシャルを持っているAI編曲ソフトもあります。

というわけで、いくつかAIの編曲ツールを手に入れて、試しました。しかし・・・メロディーを指定しつつ編曲をAIが手がけ、細かくその後の調整もできるような機能を持つソフトは、現状で自分が知る限りは存在しませんでした。かなり惜しいところまではいきますが、この案件での理想的なBAD MUSICには届きませんでした。


AIでも難しい・・・やはり、自分がこの手でやるしかないか・・・


消去法で、僕が実際に手を動かし、BAD MUSICの編曲を手掛けることになりました。ぶちが産み出した珠玉のメロディーをそのまま使いつつ、なるべくBADな感触になるよう、調整していきます。

コード(和音)がそのままだと、いい曲のままになってしまうので、なるべくグッとこない和音になるよう、調整していきます。ルート(ベースの音階)がどこを支えるかもとても大事です。なるべくグッとこない方。感動しない方。普段だと絶対に選ばないコード進行へ。すると・・・

けっこうBADになってきました。

おおっ、この調子で進めていけば、いけるかも!ここでやっと、自分の中でのBAD MUSICの定義が見えてきました。それは・・・なるべく心に響かないこと。映像を見て、感動しないこと。ナレーションのメッセージが、うわっつらに感じること。そうなるように、ディティールを調整していく。

なんという背徳的な音楽制作でしょう。

だんだん、楽しくなってきます。映像に合わせて、変な音をつけていったり、時々、不協和音にしたりします。

マジでBADだ、これ。

制作をしながら、笑いが出てきます。こうやって、BAD MUSICのデモが形になりました。自信満々に作曲者であるぶちに聴いてもらいます。すると、少し神妙なリアクション。彼いわく・・・

わるくしようとする意志と技術をもってやっている感じがするから、それがない方がよい

とのことでした。つまり、BADを表現するにも、人工感でなく天然感があった方がよいということですね。となると、あまりにも絶対にやらないような不協和音が存在するのも、NGということになります。

やっぱりBAD MUSICは難しい・・・。

しかし、この状況においては、自分が手掛ける他にはないと決めたものなので、なんとか自分の手によって「天然のBAD」を表現するしかありません。

今までに触れてきた、よくない音楽デモを思い出しつつ、少しずつ、少しずつ、ナチュラルな形でBADを表現していきます。なるべく心に響かないよう、響かないよう、笑いを狙ってわざとやっている感じではなく、本当に実力とセンスと音への配慮が足らないことをイメージしつつ・・・。

音色がチープだったり、演奏が下手だったり、書き出しの解像度が荒いという点は、表層的なものでした。良し悪しの本質は、きっとこれでしかないのです。


グッとくるか、グッとこないか。


音楽の良し悪しの違いは、そういった極めて感覚的なものでしかないというのが、現時点での僕の考えです。

さて、GOODとBADの対比をわかりやすくするためには、ナレーションも大事な要素。一流のナレーターによってグッとくる仕上がりになったナレーションとの対比のため、BADの方のナレーションは合成音声でいくことにしました。様々な手段を試し、最適な音声をチョイスします。

楽曲の盛り上がりパートで入ってくる歌声も、どうやって表現するのか迷います。ナレーションが合成音声であれば、歌声はボーカロイドという手段もあります。しかし言わずもがな、ボカロだからといってBADというわけではありません。しかし、歌手の方に下手に歌ってくださいと言って汚点となるような仕事を渡すわけにもいきません。どうしよう・・・。

迷ったあげく、近所でご協力いただき、歌の専門家ではない方々に、メロディーを歌っていただきました。なるべくリアルに、雑に録ったサウンドになるよう、型の古いiPodのボイスメモで収録します。なるべく音環境がよくない場所で、しかもオケも聴かないのでリズムも合わせず収録します。

・・・理想的な歌データが手に入りました。やはり、BADの最後のひとおしは、人間の声の力が必要でした。

また、グッとこないアレンジなだけでなく、制作の過程で音が雑に扱われた様をリアルに表現することも目指しました。音の位相がおかしかったり、編集のつなぎめが変なことになっていたり、雑にセレクトされたであろう効果音がふんだんに入っていたり。

BAD MUSICは僕が形にしているものではありますが、今までに経験した色々な例を思い返し、ひとつひとつ表現していきました。

今まで僕は、よい音楽をつくることを目指し、それを生業としてきました。それが今、わるい音楽を、必死に追求しています。

"GOOD MUSIC VS BAD MUSIC"というテーマの企画を思いついていなければ、こんな事には、一生取り組むことはなかったでしょう。

 
難しいながら、こうしてBAD MUSICも、だんだんと形になっていきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?