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音楽制作業 OFFICE HIGUCHI 10周年までの道のり#2 〜広告音楽の先人たちとの出会い〜

お世話になっております。代表の樋口太陽です。
 
オフィス樋口の歴史を語る上で欠かせないのが、広告音楽プロデューサーの先人たちとの出会いです。

TVCMなどの音楽をはじめ、ラジオCM、Web、SNSなど、現在の広告に使用される音楽は、多岐に渡ります。広告における音楽の責任者が、広告音楽プロデューサーです。音楽業界よりは、広告業界の方に近い、極めてニッチな職業ですが、この世界について、あまり話題に上がることはありません。現在、日本に活発に仕事をしている広告音楽プロデューサーが、何人ぐらい存在するか、知っていますか?

僕の調べによると、推定130人〜150人です。

・自分の面識のある方
・一方的に知っている方
・業界紙であるコマーシャルフォトの最近の数年分のスタッフリスト
・会社のサイトがある場合、そこで公開されてあるプロデューサー情報

を、可能な限り挙げたもので、あくまで独自の調査によるものですが、そこまで大きく外れてはいない数字だと思います。
 
日本の人口が1億3000万人ほどおりますが、およそ100万人に一人の割合ですね。ちなみにその棲息地域は、東京に集中しています。東京以外の都道府県には、ほとんど広告音楽プロデューサーはいない、と言ってもよいでしょう。

つまり、一般的な生活圏で、広告音楽プロデューサーに出会うことは、ほぼないのです。

広告クリエイティブに関わる人口としては、クリエイティブディレクター、CMプランナー、CMディレクターなどの職種よりも、圧倒的に少ないはずです。そして、広告音楽プロデューサーは職業としての認知度も低く、メディアへの露出もほとんどありません。

僕は、広告音楽制作業が天職だと思っているので、福岡の田舎で育った僕がこのニッチな職業にたどり着けたのは、奇跡的です。その発端はこの方でした。


広告音楽プロデューサーの池田勇治さんです。

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いかついティアドロップのサングラスに見えますが、当時、僕の家に転がっていた視力矯正メガネをかけているだけです。

彼は、広告音楽プロダクション キーノートシャープを経て、Nice to Music として独立しました。オフィス樋口のメンバーではありません。しかし、設立前から非常に重要な関わり方をしてきた人です。

彼は、福岡県の田川出身。そう、同郷なんです。幼い頃に田川の地で交流があったわけではありません。東京で初めて、兄と池田さんは出会いました。

どうやって出会ったか。それは、池田さんが「東京にいる福岡の人集まれ!」的な、mixiコミュニティを徘徊していた事に始まります。その理由は・・・


池田さんが mixi で異性との出会いを求めていたから

その一点だと聞いております。


そのネット徘徊の中で、池田さんは兄のアカウントを見つけました。兄は異性ではありません。しかし、「田川出身で東京で音楽制作の仕事をしています」という、兄のプロフィールを読んで、池田さんは本来の目的である異性との出会いを一旦忘れ、兄に連絡をとったそうです。

兄と池田さんは意気投合。仕事でも遊びでも、一緒に過ごすことが増えました。その数年後に、何もわからない僕が上京してきて、ジョインした形になります。

池田さんが音楽プロデューサー、自分は音楽作家という役割で、当時いろんな案件をご一緒させていただきました。

なつかしぃ〜。

当時、音楽作家として、あたりまえ体操のイメージとはかけ離れた、こういったインスト楽曲の制作も数多く関わらせていただきました。

僕は音楽作家になったばかりの頃、広告音楽を勘違いしていました。

なんか、いわゆるCM曲っぽいやつ作ればいいんっしょ??
15秒の音楽作るとか、短いからラクでオイシそう!

実際に仕事に関わりだすと、思っていたのとはまったく異なる世界でした。短いCM音楽が適当に作られたようなものだとします。それが通用するのは適当な案件のみ。レベルが高い案件では、決して通らない。

仕事が終わらないのです。


音楽作家の自分と、プロデューサーが話し合い、吟味して、しっかりとクオリティを練り上げて、だんだんと各所のOKが頂ける確率が上がっていく。プロデューサーが、これならいけると思った段階で、それを初めて提出する。予想を超える厳しさではありますが、ある意味ではとても純粋な世界でした。

さらに、こういった案件は、全て単発。持続的な契約は結んでおりません。つまり、一回でも「なんかイマイチだなぁ」と思われたら、未来永劫、その人からの依頼はなくなります。

当時未熟だった僕が、池田さんに提出した音楽が「なんかイマイチだった」事は、きっとたくさんあると思いますが・・・社外の人間にも関わらず、とことん妥協せず鍛え上げ、引き上げてくれました。兄に鍛えられた後は、池田さんに鍛えられ、自分の中でクオリティの基準値が出来てきました。

このクオリティで、兄なら何て言うかな?
このクオリティで、池田さんなら何て言うかな?


自立して仕事を始めた時の自問自答の際の基準値は、この二人によって定められました。

さらに、池田さんには色んな業界パーティーに連れていっていただきました。そこで出会ったのが、メロディーパンチ濱野さん。最初に兄弟で会ったので、兄弟キャラである事を覚えていただき、数ヶ月後に、一気に4曲まとめての依頼をいただき、兄弟で分担して担当させていただきました。このようなものです。

↓僕が作曲。僕と兄とで歌ってます。

↓兄が作曲。兄が歌ってます。

↓僕が作曲。僕と、プロデューサーの濱野さんが歌ってます。

↓兄が作曲です。


お笑いの音楽などで、だんだんと経験を積んでいた僕らにとって、こういった歌を交えた音楽企画は瞬発力と情熱を持って取り組める分野でした。それが、広告にとっても力を発揮できるんだ、という体験は、とても嬉しいことでした。
 
会社設立した初年度は、会社経営のことなどを考えれるフェーズではありません。まずは一個人としての基礎体力をつけていくような時期でした。
 
池田さんをはじめとした社外の音楽プロデューサーの方々に案件ごとに鍛えられ、音楽作家としてのスキルを身につけていきました。当時、上京して1年ぐらいの若輩者ですが、キャリアに見合わないような責任ある案件に関わらせていただき、とても感謝しております。今は、広告音楽プロデューサーとしての役割を担っておりますが、僕の原点は、この時期の音楽作家としての制作業です。
 

今までお世話になったみなさま。

Nice to Music 池田さん
キーノートシャープ 金さん、阿部さん
GO ON 梅本さん
メロディーパンチ 緑川さん、河副さん、濱野さん、丸橋さん
otoco 内山さん、鶴丸さん

この場を借りて、本当に、ありがとうございました。


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