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音楽制作業 OFFICE HIGUCHI 10周年までの道のり#8 〜図らずとも飲み込まれていく組織化という渦〜

お世話になっております。代表の樋口太陽です。

2012年、僕らはぼちぼち軌道に乗っていました。
せっかく駐車場付の一軒家に住んでるし・・・ということで、車でも買おうとなり、兄弟ワリカンでベンツを購入しました。

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あの上京直後のありさまから一転。会社役員、コンクリ打ちっぱなし一戸建ての駐車場に停めてある愛車はベンツ・・・たった2年でわかりやすいほどの発展です。「収入が不安定な業種」とはよく言いますが、それは裏を返せば「急に調子が良くなる可能性もある業種」とも言えます。

もう一つ言うと「収入が安定している業種」というのは裏を返せば「急な上昇は見込めない業種」ともとれます。お子さんの進路アドバイスの際に、参考にしてください。

さて、その冬のこと。
地元、福岡県田川の後輩から一通のメールを受け取りました。

オフィス樋口は、スタッフ募集などしていないですか?東京で音楽の仕事をしたいという友達がいまして

兄と二人で「形だけ会社」にしただけのつもりだった当時の自分からすると、

いやwww スタッフとかそんなwwwwww

という感じでした。しかし、地元にそういう人物がいることは無条件で嬉しいもの。今度田川に帰ったタイミングにでも相談ぐらいはのれるから、よろしく伝えておいて、と返信しました。

そして宣言通り田川に帰省した際、喫茶店で初対面をしたのが、大西浩二くんでした。

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彼はバンドマンとしてベースを弾いていたが、今後は個人で音楽制作の仕事がしたいと思っている、とのことでした。一通り話を聞いた後・・・

自分たちはこういう仕事をしているよ、田川にいるよりは上京した方がよいと思うよ、阿佐ヶ谷に住んでいるから引っ越すなら相談しやすい近くがいいかもよ、どこでもいいなら中央線あたりはおすすめだよ、おすすめの音楽制作ソフトはCubaseだよ・・・

などなど、細かな事を伝えました。

しばらくして、彼は本当に上京することになりました。引っ越し先は、私たちのオフィスのすぐ隣駅の高円寺です。面白いほどアドバイス通りに進めてくれたので、なんかうれしいという気持ちもあり、事前の音楽制作の遠隔レクチャーから、引っ越し作業の手伝いまで。やりすぎかというぐらいサポートしました。こうして彼はいよいよ東京生活をスタートしましたが、ひとつ気がかりな事がありました。

上京して、
キャリアなしにフリーランスのプロの音楽家として、すぐにそれだけで東京で生活していくのは基本的にはまず無理だという現実です。

その事を兄と僕は痛いぐらいにわかっています。相談にのるだけのつもりが、本当に彼は上京してしまった。そそのかしてしまった自分はどうすべきだろうか。

幸い、当時の僕は仕事を忙しくさせていただいておりました。そこでしばらくの間、大西くんに計画的に発注していくという行動をとりました。それまで音楽制作の仕事を自分から人に発注する事はほとんどありませんでしたが、何か大西くんに部分的にでも分担してお願いできるものはないか、と探して発注します。平均して彼の一ヶ月の家賃プラス@の生活費ぐらいにはなるかな?という金額になることを目指しました。

クライアントワークの音楽制作は、特殊な仕事です。誰しもすんなり出来るようになるわけではありません。1 to 1で、徹底的にレクチャーを受ける必要があります。兄から学んだスキルを、今度は自分がとことん伝えるつもりで大西くんと共同作業をしました。正直なところを言うと、手が空いて助かるというよりは教える負荷の方がだいぶ高い状態です。しかし地元の先輩として彼を見過ごすことは出来ませんでした。その時の大西くんの存在は会社のスタッフではありません。あえて言うなら、「弟子」でした。

音楽制作の作業は孤独な時間が長いですが、人にスキルを伝えるのがわりと好きな僕にとって、話しながら作業を行える弟子という存在ができたことは、新鮮で楽しいことでした。阿佐ヶ谷のオフィス兼自宅に、大西くんが顔を出して共同作業をするのが日常になりました。

そんな僕たちの姿を見て、兄が言いました。

弟子って うらやましい おれも募集しよっと

まもなく兄はSNS限定で弟子募集の告知を出しました。これがオフィス樋口の初めての求人広告です。

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※オフィス樋口 Facebookページより

見てのとおり、とてもまともな会社の出す文章ではありませんでしたが、意外な事に多数の応募をいただきました。その中で兄の面接を経て決定したのが、宮川祐史くんでした。

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他に、音楽的な才能ある方の応募もあった中、なぜ宮川くんに決めたのか、と兄に聞くと・・・「探偵のエピソードがおもしろかったから」とのことでした。宮川くんは、バンドマンでもあり、なんと元探偵でもあったのです。
 
そんなこんなで2013年。兄と僕に、それぞれの弟子が加わりました。大西くんと宮川くんが阿佐ヶ谷に通う日々がしばらく続いた後、兄と話します。
 
なんか、せっかく会社っていう形にしてるし、大西くんと宮川くんも、いちおう社員ということにする?
 
今振り返ると、めまいがするほど短絡的な流れで、大西くんと宮川くんはオフィス樋口の正社員になりました。

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兄も僕も、正社員として企業で働くという経験したことがありません。会社組織とは何なのか、何のためにあるのかを経営者自身が理解していないまま全てはノリで形成されました。それぞれのペースで仕事をしているので、兄&宮川タッグと弟&大西タッグの、稼働時間はバラバラです。全員揃っての会議もありません。規則もありません。言語化された共通の目標なども・・・もちろんありません。
 
 
こうしてオフィス樋口は4人の会社になりました。兄と二人で形だけのつもりで会社化したオフィス樋口が、すこしずつ渦を巻くように「法人」という生き物に変わっていく序章だという事を理解するのは、だいぶ後の話です。

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