0127(続き)

(承前)その時まだティーンエイジャーの佐藤さんが大きなストレスを抱え始めたことは、高校の文化祭のときはあんなに楽しかったライブがライブハウスに出て人気バンドになっていく過程で「楽しくなくなった」という発言から容易に想像できました。つまり佐藤さんにとってはあくまで「いっこ上の先輩と同級生の軽音の子とやってるバンド」である「赤い公園」が、――これまで対峙することのなかった「はじめて会う」聴衆に向けて演奏を重ねていったことで――(「あれ?どういう風に歌えばいいんだろう」「どういう風に見えてるんだろう」)と自分のパフォーマンスの見せ方に心を砕くようになったからなのです。でもほどなくして彼女は持ち前のユーモアセンスでそのスランプを乗り越えてみせ、飛躍的に表現の幅を広げ、そしてバンドは東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)からメジャーデビュー。「実力派ガールズバンド」として多くのファンをつかむようになっていきました。そして彼女たちは2014年9月ニッポン放送「オールナイトニッポン0(ZERO)」のパーソナリティーとしていってみればカルト的人気を博します。その過程で2014年オンエアされた「ものまねグランプリ」に出演し、以前からの持ちネタである倖田來未、神田沙也加などのモノマネが絶賛されたことが自信につながり、ライブ活動にもガンガン邁進していくことになるのですが、後にスタッフのひとりから

「モノマネは出ないほうがよかったかもね」と言われたというのです。それは平たく言うと「ガールズバンドのボーカリスト」という立場を逸脱するパーソナリティーが佐藤さんというアーティストに付加されたことを多少懸念する向きが事務所内にあったのでしょう。彼女はなんとなくまた窮屈さを感じ始めていました。(続く)



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