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【エッセイ】ナイトクルーズ

何かを見て感動することが、創作意欲に繋がる場合もあれば、その反対もある。
僕が詩を書き始めたきっかけは無感動によるものだった。

十年前、二十五歳の誕生日に、当時付き合っていた彼女とお台場デートをして、
その夜、サプライズでナイトクルーズに乗せてもらい、コースディナーでお祝いしてもらった。

当時、僕は七年間、活動してきたバンドが解散して、ギターにも触らず、新曲も作らず、本屋でバイト生活をして、まるで宙ぶらりんの状態の時だった。

天王洲アイル駅から出航した、エンペラー号という大げさな名前をした客船がゆっくり動き出す。
内装はヨーロッパ調で揃えられていて、
煌びやかだけど、どこかドラマのセットみたいに安っぽく見えた。
テーブルに座ると彼女は誕生日おめでとうと言い、チシャ猫のように微笑む、ウェイターを呼んで、二人はシャンパン・グラスで乾杯した。
フランス料理はどのお皿も冷めていて、複雑な味がして、あまり僕の口には合わなかった。

食後にオープンデッキに出て、十一月の冷たい風に打たれながら夜景を見た。
東京タワーや、レインボーブリッジの眺めに、
何故なのか、僕は一ミリも感動できなかった。
感動しているのかもしれないけど、
何ひとつ言葉が思い浮かばなかった。
言い訳のように「綺麗だね」と彼女を後ろから抱きしめた。

このままだと自分の感受性が死んでしまうと思った。それが、怖くてたまらなかった。

その日から僕は詩を書くようになった。
何かを少しでも感じたら、どんな言葉でも、
ノートや紙切れに書き殴った。
感受性が死なないようにと、
書いて、書いて、書きまくった。
結局、その彼女とは別れてしまったけれど、
僕は今でも詩を書いていて、
十年前より感受性は敏感で鋭くなっていると思う。

そうゆう意味で、あのナイトクルーズが、
僕の創作意欲の源になっていることは間違いないだろう。

もしも今、彼女に会って一言いえるなら
「最高の誕生日プレゼントをありがとう」と
そう言うだろう。

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