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【エッセイ】僕の好きな先輩

 人との出会いと、場面を経たことで、無意識にやりたかったことに、自然とエンジンをかけられることがある。

 僕は体育会系のノリが苦手で、運動部には一度も入ったことないし、先輩付き合いもほとんど経験がないけど。高校時代、美術部の先輩だった、北村さんのことはたまに思い出す。

 北村さんは、僕が入部した時の三年生で、天然パーマに青白い顔色を浮かべて、貧相な身体に似合わない学ランを着て。揺らいでいるネオンみたいな瞳は焦げ茶色で、頬にはそばかすがあった。

 学生寮に住んで新聞配達をしていたから、苦学生だったのかもしれない。北村先輩はロック音楽を偏愛していた。いつも白いエレキギターを背負って、部室の隅っこで絵も描かずに、ロッキンオンジャパンという雑誌を読んでいる、不良というよりはオタクという雰囲気で、美術部でも浮いた存在だった。
同級生には「ゾンビ君」とか呼ばれていた。

 僕がブルーハーツを好きだと知ると、北村先輩はちょくちょく近づいてきて。名前も知らないスウェーデンのバンドの話を、まるで昨日ライブを見たみたいな熱量で、身振り手振りで語ってきた。僕はミロのヴィーナス石膏像を前に、鉛筆やぬりけしを動かしながら、適当に相槌を打っていた。

 すると北村先輩は気を良くして、帰りに自販機で苺ミルクなどを奢ってくれた。それくらいは可愛がられていた。

 ある冬の放課後、僕が石油ストーブで手を温めながらグスタフ・クリムトの、メーダ・プリマヴェージを模写していると。北村先輩が妖怪みたいにヌルっと現れて、
「笠原君、外は雪が降っておるぞ。屋上に上がってみんかね?」と誘ってきた。
 僕は「いいっすね」と答えて、画材を机に出しっぱなしのまま、足音を殺して部室から抜け出した。どうやって細工したのか分からないけど、北村先輩は屋上の扉の鍵を入手していて。
得意顔でキーホルダーを指に嵌めてクルクル回していた。

 重たい扉を開けると冷たい突風が、粉雪をかきまぜていた。遠くに榛名山や赤城山が見えた。北村先輩は室外機に腰を下ろして、
「なんとも絶景じゃのう」と喉を鳴らすと。
 ズボンのポケットから煙草を出して、当たり前のようにマッチで火を灯した。
「笠原君も吸うかね?ハイライト」「いや、大丈夫っす」
 この状況で教師に見つかった場合、僕も謹慎になるのだろうか?と考えたけど。まぁどうでもいいやと何も言わずに、屋上の地面に寝そべり、天使の羽のように降り注ぐ白を眺めた。

 頬が切れるくらい寒かった。北村先輩は卒業したら、東京の大学に行ってバンドを組んで、ロッキンオンジャパンフェスに出るんだと。いつもにも増して青白い顔で、
 にやりと微笑んで紫煙を吐いた。僕は「いいっすね」と返事をしながら、この人あんまり長生きしなそうだなと思った。

 北村先輩はソフトケースから、白いストラトのギターを取り出すと。火のついた煙草を咥えたまま、ブランキージェットシティの『sweet days』のイントロを弾き始めた。
 雪景色にギターリフが溶けて、映画みたいでちょっと格好よかった。あの瞬間だけは北村先輩にスポットライトが当たって、世界の主人公になっている気がした。

 北村先輩は卒業するとき、僕にクリムトの画集をプレゼントしてくれた。
「保護されるのはまやかしの弱い芸術だよ」と。クリムトの名言を真似して言った。
画集は今でも部屋の本棚に飾っている。
北村先輩が上京したあと、
一切連絡も取っていないけど、
風の噂で商社マンになったと聞いた。
ちゃっかり出張でスウェーデンとか、
行っていたりしたら面白いけど。
 僕が顧問と揉めて美術部を退部したあと、
他校の生徒とパンクロックバンドを組んで、
ライブハウスで歌い始めたのは、
少しだけ北村先輩の影響があったと思う、

 そのまま上京して僕は歌手になった。知らずに北村先輩に、エンジンをかけられていたのだ。

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