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≠絵画 2022/5/9

そんなことわざわざ言わなくても見りゃ分かるだろというスタイルで行きたかったのですが、どうも説明責任があるようなので面倒だけど簡潔に記しておきますね。まあ誤解されたままってのもなんか嫌ですし。

「僕のやっていることはスケッチであって絵画ではありません」って話ですね。いやいやいや紙に鉛筆やら絵の具で描いてるんだからスケッチでも絵画だろうがって思う人がいるかもしれませんがそれは全然違うんですね。わざわざしつこいくらいスケッチって書いてあるじゃんちゃんと読めよとも思うんですが僕は小心者ですので知っている言葉で説明しますね。

僕は本がほとんど読めないので偉い人の論文とか全然読んでませんので話半分で聞いてくださいね。僕の通っていた小学校は夏休みに感想文の指定図書の回覧があって本がまわってくるんですね。読んだら次の人に渡すシステムなんですが僕は頑張っても全然読めなくて、次の人に回せない内に夏休みが終わってしまうんですね。出席番号後ろの人ごめんなさい。そのくらい昔から本が読めません。

話が脱線しましたね。なんでしたっけ。ええと僕のスケッチが絵画ではないって件ですね。スケッチと絵画を別のものに置き換えて考えてみますね。何でも良いんですが、素材と料理に置き換えるとどうでしょうか。素材と料理って同じですか?違いますよね。ニンジンを畑から引っこ抜いてそのままボンって皿に乗せて「さあ料理だ食え」って言われたら「いやいや料理じゃないじゃん」ってなりますよね。何が違うんですかね。けど何かが料理を料理たらしめているんですよね。次に音と音楽はどうでしょうか。違いますよね。何が違うか説明は難しいけど感覚的にみんな知ってるんじゃないでしょうか。次に僕は建築の出身なので“建物(たてもの)”と“建築(けんちく)”はどうか考えますね。急に難しくなった気がしますね。なんてことはない料理や音楽と同じですよ。

もう言っちゃいますね。「その物に込められた意図や思い」のことですよ。これを概念=コンセプトって言ってるんですが、これがその物を芸術たらしめるんですよ。ということになってますね。「ということになっている」と書いたのはその限りじゃないからですけど今回は置いておきます。

ちょっと古い話かもしれませんが僕が大阪の芸大にいたときは学部の時にこのことを徹底的に叩き込まれるんですね。概念こそ建築(芸術)の本質なんだという具合ですね。ちょっとばかし極端だろとも思いますが、そんな感じですね。僕も納得していますね。

でスケッチと絵画なんですが、僕のスケッチはそこに意図は入ってないんですね、見たままをそのまま描いてメモして日付と場所を記録したものをスケッチと僕は称しているんですね。なので全くもって絵画ではないんですね。だけど間違えたらダメなのは、素材と料理、音と音楽、“建物”と“建築”もそうですがそこに優劣があるという話ではありませんからね。全く別次元のものであってスケッチと絵画も上下の関係ではないんですね。そこは勘違いしてほしくないんですね。

僕は絵画の勉強をしてませんから正直絵画の人のスケッチの事は詳しくないんですが、知り合いの画家に聞く分には建築の人が大切にしているスケッチと美術のスケッチは全く別なんですね。
あ、さっきから僕が言ってるスケッチはラフな下絵って意味ではなくて、観察して描くいわゆる写生に近いものです。

絵画だと模写したりデッサンしたりしますね。建築だと写生したり実測したりしますね。
建築のスケッチは空間を体験しながら観察して紙に記録してまた再現する為の側面が大きいと思うんですね。図面ともいえますね。
建築には絵画とは別にスケッチの文化文脈の蓄積があるんですね。
僕はもう今は建築を含まない風景をスケッチしていますが考えてることは建築のスケッチと同じですね。
建築も絵画も互いに影響しあってきた芸術だけど別物と考えた方が健全ですね。

というわけで僕はスケッチを絵画ではなく建築の文脈だと思って描いてるんですね。
また一層僕のスケッチが絵画から離れた訳ですが、それは別に悪い話ではないんですね。

画家 フンデルトヴァッサーのつくった建築は絵画だし、建築家 西澤文隆の実測図は(絵画のようだけど)建築だと思うんですよね。
そう、表現の技法は大した問題じゃないと思うんですよね。その本質の概念は目に見えないところに宿っているのですから。なんか星の王子様みたいになりましたね。本を読んでないから本当はよく知らないんですけどね。それでは今日はこのへんで。

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