#くぼたの歴史小話 の原案

劇団そとばこまちのアカウントで  #くぼたの歴史小話 というものをやっているのですが、最近は後輩の山﨑ひなに構成をお願いして漫画風の形で発信しています。
9割ぐらいはひなの能力なんですが…(笑)
一応、何をするか?どんな内容にするか?の原案は僕がちゃんと(?)調べて作ってます。

今回は、どんな原案を書いているかを公開します。
これは前回のHIMIKO のです。
以下の内容を実際は第一回と第二回、第三回で漫画風にしてもらいました。

くぼたの歴史小話
今回は「HIMIKO 」という事で、
卑弥呼がいた邪馬台国についてのお話。
邪馬台国は2世紀〜3世紀に存在した国なのですが、しかし!邪馬台国ついて書かれた文献はほとんど無い!中国で280年〜297年に書かれた
「魏志倭人伝」にてその名前が出てくるのみなのです。
ちなみに日本最古の史料、文献は「古事記」と「日本書紀」
この2つは「記紀(きき)」と呼ばれ、神話という形で古代日本の成り立ちが書かれているが、これらが書かれたのは古事記が712年、日本書紀が720年の奈良時代であり8世紀。
さらに記紀には邪馬台国や卑弥呼の事は書かれていないのです。
魏志倭人伝を研究し、邪馬台国について最初に触れたとされているのは、江戸時代の学者、新井白石(16571725)。彼は「古史通或問(こしつうわくもん)にて邪馬台国は大和(奈良)にあったと書きましたが、後に別の書では九州にあったと書いたそうです。さらにその後、本居宣長(17301801)が「古事記伝」にて九州説を唱えました。
この2人の江戸時代の学者から始まった「邪馬台国はどこにあったのか?論争」は現在も解決されないまま、研究者たちが自説をぶつけ合っているそうです。
まだまだ謎の多い、邪馬台国、卑弥呼。
次回はなぜ場所がわからないのか?について触れてみます。

#くぼたの歴史小話
邪馬台国がどこにあったのか?そもそも何故、場所がわからないのか?
前回も触れましたが、邪馬台国についての文献は「魏志倭人伝」なのですが、これに朝鮮半島にあった帯方郡(たいほうぐん)からの道のりが記されています。
しかし!この通りに進むと太平洋の海の上に着くらしいのです。
邪馬台国は海に沈んだのか??
どうやら、そういう事ではなく、
現代のようにGoogleマップもカーナビもないので間違った記述や書き間違いがあったみたいです。
遺跡や発掘物などを調べる考古学の知見から考えると畿内・大和説が有力らしく、
魏志倭人伝の邪馬台国の様子を描いた記述や記紀(古事記・日本書紀)から読み解いていくと、九州説が当てはまるらしいです。
どちらが正解なのか?は現在も決め手に欠けるそうですが、「HIMIKO 」はどちらの説に寄って物語が描かれるのか?
ぜひお楽しみにしていてください!!
次回もお楽しみに!

漫画風の歴史解説は、まず僕から原案を送って、ひなに構成を作ってもらって、話し合いながらコマ割りや言い回しを修正したりなどの調整して、劇団の制作部にツイートしてもらってます。

元々、歴史解説はツイートの文面だけでやったり、動画でキャストさんに話してもらったりとやっていたのですが、今年の劇団そとばこまち第121回公演 『五右衛門』の歴史解説ツイートをどうしようか?と打ち合わせしている中で「例えばやけど、、、写真とフリー素材の画像で漫画風にしたりとか無理かな?無理やんな、、」という僕のなんの技術的なノウハウもない思いつきを聞いた後輩達が「それいいじゃないですか!できると思います!」と取り組んでくれたのが漫画風の始まりです。

近日、新しい漫画風、歴史解説がアップされる予定です。
公開されたら原案も晒してみようと思ってます。
これをよく上手に構成したな!と後輩を褒めていただけたら幸いです(笑)


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