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新生児聴覚スクリーニングと片耳難聴(片耳聾)

こんにちは、蒼です。自分が脳梗塞という病を発症し、後遺症が残ってから「残せる記録は残さないと」という使命感に駆られています。
今回は自分の病から離れ、ムスメの片耳難聴(片耳聾)の発覚から現在までを綴ります。

Prologue:娘が産まれるまでの私。

私が「難聴」という病態と巡り合ったのは20代半ば。親友の友人である中途失聴の難聴者と知り合ったことがキッカケでした。

中途失聴者とは?(Wikipediaより)
中途失聴者(ちゅうとしっちょうしゃ)とは、聴覚障害者の一区分で、音声言語獲得後に聴力が下がったり、聴力を失った人のことである。音声言語獲得前の失聴者は、ろう者(又は難聴者)という。発声は不自由しないものの聞くことが不自由になるため、音声コミュニケーション自体が極めて不便になる。

私と出会ったとき、既に聴力をほぼ失っていた友人は、人との会話が必須の仕事をしていたそうで聴力を失った悲しみは計り知れないものだったでしょう。それを乗り越える術(手話・読唇術のマスター等)を身につけていたのも、ものすごい努力と執念の賜物だったと想像せずにはいられません。

その後、PCのタイピングが速かった私は中途失聴者向けの要約筆記者として活動することになります。(手書き要約筆記の講座も受けましたよ!)
今考えるとおこがましい話ですが、難聴者や中途失聴者についてある程度寄り添える、と無根拠の驕りがあった時期でもあります。

Episode1:理想と現実。

ムスコが産まれ、産院とは別の大きな病院で新生児聴覚スクリーニング検査を受けたのはもう20年近く前なんですね。当時は新生児聴覚スクリーニング検査が始まったばかりで、まだ検査を受ける人自体が少なかったような覚えがあります。下記参考文献に以下の記載があります。ムスコは2001年生まれのミレニアムなベビーですから、ちょうどこのモデル事業開始に該当したんでしょうね。

厚生労働省は2001年より新生児聴覚スクリーニングのモデル事業を 5 年間のみ予算をつけて実施し,2006年以降は各地方自治体に任されている。

※参考文献
新生児聴覚スクリーニングの光と影―海外の動向とわが国の問題点(2013,加我君孝)

ムスコは問題なくPASSし胸をなでおろしたのですが、2004年生まれのムスメの検査ではそうはいきませんでした。

ムスコの出産の際には、予定日過ぎても産まれる気配がない彼のために、清水寺の石段を登りにいったりダンスダンスレボリューションをしたりと呑気なものでした(しかも結局頭がでかすぎるとのことで誘発分娩になった)が、ムスメの出産には私なりの不安と危惧がありました。

37weekに入ったとき、ムスコの予防接種に行った病院で私がインフルエンザをもらってしまったのです。このことが無事に産まれるまで不安で不安でたまりませんでした。そんな不安を打ち消すように、亡き父の三回忌を行うはずの朝に陣痛、4000g超えの割にスタートから2時間半という超安産で生まれたムスメは「見た目には」普通そうに見えてほっとしたものです。

生後2週間、ムスコと同じ病院で新生児聴覚スクリーニング検査を受けることになりました。母乳かミルクを飲ませ、眠らせて検査を受けるのですがムスコの時に比べて妙に長い。30分以上かかったかなあ…?

難しい顔をした技師さんと先生に呼ばれて入った診察室で見せられた検査結果の用紙がコチラ。

新生児聴覚スクリーニング検査には2種類あるのですが、ALGO2eという一番上の文字からムスメはAABR(自動聴性脳幹反応)という検査を受けたことがわかります。下の方をずっと見ていくとRIGHT ear とLEFT earの表示がありますね。LEFTはPASS、RIGHTは「REFER(要再検査)」の文字が見えます。
念のために右耳だけ2度検査をしてくださっている(左の用紙と検査時間が違う)ようで、右側はRIGHTしか検査をしていません。こちらも「REFER」の文字が読み取れます。

この時に言われたのは「検査の結果、右耳が聞こえていないようです。ただし、羊水がまだ耳の奥に残っていて、聞こえが悪いだけかもしれないので再検査しましょう。ただし、左耳は聞こえているので大丈夫」という内容でした。

自分がいくら難聴や聴覚障害に知識があっても、現実世界で自分のムスメに「聴覚に異常がある」と言われたら平静ではいられないものですね!ここからいろんな壁にぶつかるたびに理解していたつもりであった聴覚障害への理想と現実にずっと苦しめられることになります。

新生児聴覚スクリーニング検査の種類
・自動聴性脳幹反応(AABR)
・耳音響放射(OAE)
ハイリスク児に対しては、ABRまたは自動ABRでスクリーニングすることが勧められています。この理由は、auditory neuropathy(後迷路性難聴) が、OAEでは正常な反応を示すため、検出できないからです。
参考文献:新生児聴覚スクリーニングマニュアル(日本産婦人科学会)
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2018/10/28付西日本新聞で報じられた新生児聴覚スクリーニング検査でPASSしたにもかかわらず小学校5年生になって難聴が発覚した件についても、OAEによるスクリーニング検査を受けてauditory neuropathyがわからなかった不幸な事例です。
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ある大学病院で生まれた 1例は新生児聴覚スクリーニングがなく,首のす
わりや独立歩行が遅いため発達障害児として小児科でフォローされ,1 歳半になって初めてABR 検査が実施されて無反応であることがわかり,われわれの外来に紹介された時は既に 1歳 9 カ月になっていた。
※参考文献
新生児聴覚スクリーニングの光と影―海外の動向とわが国の問題点(2013,加我君孝)

Episode2:焦りだけが募る日々。

状況がうまく受容できないままに、ムスコの幼稚園入園、そのころは自営で仕事をしていたので案件・人員管理、ムスメの耳についての情報集めと普段からサメのように動き回っているタイプの人間でさえもこれムリ、って思うようなハードスケジュールが続きます。
特に片耳だけ、ということもありお医者さんたちはものすごく呑気です。「聞こえる方の耳を大事にしましょう」「特にフォローはいらないと思います」これが精密検査で右耳がまったく聞こえていない、と診断されたときの医療者側の言葉です。
確かに片方から音が入っていれば言葉の発達などに遅れはみられないはずですが、当時の私は「だいたい、人間に二つ付いてるものが一つになったら何か不便なことはあるだろう!」と憤っていました。
情報を集めるために聾学校に問い合わせ、いろいろお話を聞かせてもらったのが私には一番たすかったかな。
早期の療育につなげる必要のある両耳難聴の子だけではなく、片耳難聴の子(スクリーニングをする前は小学校に上がるときの聴覚検査でわかることがおおかったそう)までスクリーニングにひっかかる割に、何のフォローもない現状を憂えていた先生と出会い、ここからのご紹介で府立医大でフォローしていただけることに。

途中中耳炎になって「ABR(聴性脳幹反応)の結果が悪いからもしかしたら両耳難聴の可能性もあるかも」とか言われてドキドキしたりも。CTをとって聞こえない原因を探ったりもしました。(奇形はなく、聴神経の問題だろうという結論でした)
1年たってようやく「ここまで見てきたら全く聞こえないというのはありえないから、左耳を大事にしていきましょう」と太鼓判を押してもらったときは膝から崩れ落ちそうになるほどほっとしました。
府立医大でも、児童福祉センターでも検査のたびにSTさんには非常にお世話になりました、ハイ。

Episode3:自分自身に余裕がないとできないこと。

ムスメが産まれてから、私は要約筆記のボランティアをやめました。というかできなくなった。
聴覚障害の方がどれほど苦労されているかそばで見ている分、自分のムスメに重ねてしまってどうしても無理になったんです。

また、私の母や家人、はたまた医療関係者からも「私が聴覚障害に詳しい、慣れている」という理由でいろんなところへの問い合わせや病院に連れて行くなどの雑務、ムスメが片耳聾であることを受け入れることさえも「お母さんなら詳しいから大丈夫よね」なーんて任されてしまったものだからさあ大変w

片耳聾がわかったあたりから締め切った部屋にいるのがなんとなく息苦しく感じたりという自覚症状はあったのですが「片耳は聞こえる」となった瞬間からバーンアウト、いわゆる燃え尽き症候群とともにパニック障害を発症。薄皮を一枚ずつ剥いでいくようにいろんなことができなくなっていく、という経験をしました。家人からは病院の名前を書いた紙をピラッと渡されて一人で心療内科を受診した思い出(苦笑)そのあたりの記憶はあんまり定かではありません。今回の脳梗塞発症でも家人の登場はほとんどありませんが、アテにしない、するだけムダと10年前から思っています。あ、いまはパニック障害も軽快しましたが、いまだにMRIと飛行機は苦手ですw

Episode4:ムスメ、その後。

いくら「大丈夫」と言われても、言葉が出るまでは本当に心配でした。半年に一回の府立医大でのフォローは小学校にあがるまで続き、同時に児童福祉センターでの聞こえチェックも続きましたし。

ただ、彼女がいつから言葉を発しはじめたのか、最初に話した言葉はなんだったのか全く覚えていないんだから不思議なものです。(自分が絶不調だったからかしら?)

幼稚園の年長の時に発達障害の可能性を担任の先生から指摘され、1年半まちで診察してもらって確定したのが小学校2年生だった、というお話はまた今度するとして。

片耳難聴(片耳聾)の人は方向角(どこから音がしているか)を感じるのが非常に苦手です。だってステレオで聞こえている音がモノラルで聞こえるんだもの。一回ショッピングセンターで買い物をしている時、何かに興味がわいて駆け出してしまって、いくら読んでも振り返ってくれなかったときは泣きそうになりましたとも!

■幼稚園で気を付けてもらったこと
・ガヤガヤしているところでお話をされるときは聞こえていない可能性があるのでちょっと気にかけてやってください。
・大勢の中で呼ばれるとどこから呼ばれているかわからないので肩をたたいたり、体に触れて注意をひいてやってください。

■小学校で気を付けてもらったこと
幼稚園の時にプラスして、
・聞こえる方が教卓(先生が話しておられる方)をむくように座席の配慮を。
※小学校の時はこれに加えて保護者会で聞こえのことを説明し、後ろから呼んで振り返れないことがいじめにつながらないように理解をしてもらっていました。

■中学校で気を付けてもらったこと
基本的には小学校と同じですが、2つの小学校が合流することもあり、保護者への説明はやめました。(彼女にも自我が芽生えてきたので)

■本人の特性や変化
◆幼稚園のころ。

耳に入るものだけを聞いている感じ。集中して何かを聞く場面が少なかったのも要因の一つかもしれません。

◆小学生のころ。
発達障害の影響もあるとは思いますが、処理のキャパシティを超えると聞こえる方の耳をふさいでそれ以上情報が入らないようにして自己防衛していました。

◆中学生になってから。
聴きたい話をしている人の方へ健側をむけて聴く姿を目にするようになっています。また食事の際の座席も、聞き取りやすい耳が私の方に向くように座ります。(私の麻痺側を彼女から遠いほうにするとお互いに幸せ)

Epilogue:そして、これから。

片耳難聴(片耳聾)がわかってから特に気をつけていたことは「風邪をひいたらすぐ耳鼻科」「耳に関わる急病はすぐ救急」「後ろから迫る車への注意」ですね。

・風邪をひいたらすぐ耳鼻科
小さい時は中耳炎になりやすいので、とにかく耳鼻科でした。(聞こえの検査も定期的に行っていました。自分で聞こえの異常などを訴えられない年齢の間は定期的に検査をしたほうが良いかもしれません。かかりつけ医に相談を!)
耳鼻科の先生方はめまいとか成人難聴、小児難聴など専門がわかれているので「小児難聴が本来専門の開業医さん」に見てもらうようにしています。あまりの混雑ぶりに府立医大から紹介された耳鼻科→最初に府立でかかった先生が開業された耳鼻科にかかりつけ医は変わっているものの小児難聴の専門医にずっと診てもらっています。

・耳に関わる急病はすぐ救急
健康な左耳を守るため、異変があればすぐ休日救急などで診察してもらいます。今でこそ中耳炎はすくなくなりましたが、聞こえの悪さを訴えることがあれば様子をみつつかかりつけ医に、って感じですね。

・後ろから迫る車への注意
方向角を認識することがとにかく苦手なので、後ろの車には気をつけろ、っていうのは口を酸っぱくして言っています。

両耳難聴の子の早期発見に新生児聴覚スクリーニングは非常に有効な手段ですが、フォローがあまりない片耳難聴(片耳聾)の親御さんは苦労されているのではないでしょうか?
私はたまたま成人した片耳難聴を持つ教育者とムスメが0歳の時に出会っているのでいろんな知識を付けることができましたが、言葉が出るまで、環境がかわるごとにご心配はつきないと思います。
片耳難聴(片耳聾)を持つムスメの一例ではありますが、少しでも心安らかに子育てができますように…

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