関ジャニ∞とともに歩んだニブンノイチ

関ジャニ∞が好きだ。自分のアイデンティティの1つだし、10年モノである。

もっと早く出会いたかったと思うことも多々あるが、『ハマった時がベストなタイミング』は本当にそうだと思う。

アラサーに片足突っ込んだオタクの半生支えてくれてありがとう。関ジャニ∞!!!!!

※ここからは自分語りなので読み飛ばしてもらって大丈夫です。


1.関ジャニ∞との出会い(2005-2010)


2005年、忍たま乱太郎ヘビーウォッチャーだった少女はエンディングの和のテイストにカッコ良さを覚えた。歌詞の意味なんか小学校上がりたてには理解不能だが、今考えればかなりませていると思う。周りはケロロ軍曹にハマっている子が多かった。私の家は教育番組が正義みたいな風潮があり(のちにピラメキーノのチャンネル権を私が得たことで瓦解)、ほぼ毎日見ていたため刷り込み的に好きな曲になった。

ジャニーズ?嵐?ユニットとは?状態だった私だが、嵐が人気になるにつれて色々理解し、小学生特有の(?)『CD買ってないやつはファンじゃない』風潮が苦手で、オタクは怖いと思っていた。


2.T.W.Lと仕分けエイト(2011)


中学生に上がる前に震災があり、テレビから「ポポポポーン」、卒業式も入学式も式辞はお悔やみの言葉が最初に来ていた。
震災の少し前にT.W.Lがクレヨンしんちゃんの主題歌としてエンディングで流れ、関ジャニ∞が一気に広まった。少し後に隣の席だった金持ちのギターキッズが「サビなら弾ける」って言ってたっけ。
中学生に上がると、小学生の時に同じ習い事していた2つ上の友達が「先輩」になって、上下関係ができていた。

この時期から錦戸亮が気になり始め(犬を飼うということ・パパドル)、これまたタイミングよく24時間テレビや関ジャニの仕分け∞で、太鼓の達人のお兄ちゃんこと大倉忠義が、田舎ではイオンのゲーセンヒーローになった(過言)。そりゃもう刷り込み的に(2回目)好きな人たちになっていくわけで。


3.キセキ(2011-2014)

好きになったとはいえ、私の周りには嵐のオタク、オタクキモいムーブを隠れて出すヤツ、進撃の巨人にハマっている人が多く、公に好きと言ったのは少しあとだった気がする。

中2になるとクラス替えがあり、元ヤン上がり()の女の担任になった。クラスには不登校の子がいて、最初は存在も知らなかったが、後に元ヤンから「教室に入れるようにしてほしい」と頼まれた。
この元ヤン()のおかげで、今でも一緒に参戦するマブダチができたが、当時は「何押し付けとんねん💢(エセ関西)」である。

当時から面倒見の良さは確かにあったと自負できるが、不登校の子をどうにかするなんて普通に考えて14歳に頼むことではない。

今でもこの話を当人とするが、当時は「元ヤンに押し付けられて、嫌々お世話されてるのわかってた(要約)」と言われる次第だ。マジでとんでもねぇ。笑い話にできるだけの仲になったので今こうして書けるが、一歩間違えれば私が人間関係拗らせる原因になったかもしれない。

拗らす原因にならなかったのはお互いに関ジャニ∞が好きとわかってからだと思う。語れる相手がいるだけで指数関数的に楽しみが増える増える。

JUKE BOXのコンサートに行くと言っていたのも、グッズ代行を頼んだのも覚えているが、どんな会話の流れでオタバレしたかは覚えていない。卒業間近で、セブンイレブンコラボのキャンディマスコット(村上ver)をもらった記憶はある。

4.パスポート取りたいんです(2015-2018)

高校時代は月1くらいで中学からのマブダチと遊ぶようになったが、学校が離れたためまたオタクを何年か隠した。とはいえ、通学はWALKMANでセトリを組み、有線イヤホンを何回も買い替えるくらい関ジャニ∞を聞いていた。

『大倉くんと高橋くん』が始まった頃、推しグルのメンバーと推してるアーティストがラジオに出ることに興奮して、そこでオタバレした(確か)。

そのうち、『関ジャニ∞クロニクル』が始まり、オモロくてちょっとカッコいい兄ちゃんくらいに周りが認識していたおかげで、大学では関ジャニ∞が好きと言ったら、「俺あれ好き、パスポート取りたいんです。笑」と言われた。

たしかに、住んでいる地域は番組自体が入らなかったが、誰があげたかわからないYouTubeの切り抜きを見て、俺も好きと言われたことにちょっと悔しさを覚えた。ただクロニクルの企画自体は神企画連発で、いきなりドッジだってまだおもしろい。
クロニクルが始まった頃から渋谷すばるのちょっとしたコメントや、下ネタをポンという感じが高校生には面白くて、すばる担になっていた。

SMAPが解散し、本来ならSMAPが使うはずだったとか言われた夏の5大ドームをエイトが埋めた。JAMはバンドとアイドルターンの2部構成だったが、個人的には結構好きだった。ただこれが最後の7人の姿だとは思わなかったし、それくらい無双状態で、天下取れるぞと思っていた。


5.混沌(2019-2021)

自担が脱退した。北海道公演のGR8ESTはちょっと雰囲気が違った。暗いというか、よそよそしいというか。次の年、出戻り錦戸担とか言って十五祭に行ったが、その頃週刊誌で錦戸脱退説が流れ、そんな雰囲気もあった。

当時、北海道・名古屋公演は行けたが、その後実習があるのもわかっていたので名古屋の天井席で、最後のアイドル『錦戸亮』を見納めた。脱退は実習中に知った。

正直、そうだろうなって思ったし、考える暇がないほど、勉強ができない私は実習に追われた。それが逆に良かった。

その後すぐ47tourの当落があり、全然縁もゆかりも無い岩手が当たった。それをモチベに生きていたがコロナであえなく…おじゃんになる。

6.再開(2021-2022)


5人の関ジャニ∞に会えたのはコロナも明け切らぬ2021年。4年半ぶりのアルバム『8BEAT』は名曲揃いだった。

札幌に行くにも職場に許可が本来必要で、帰ってきたら検査義務があった。面倒臭くて職場にはオタバレしないよう注意してたし(何回か東京に舞台も見に行っていたが、それも細心の注意を払った)、休みは2日間だけもらった。

1曲目のRe:Liveで大号泣だった。
社会人1年目、正直職種間違ったとか思ったし(今も思ってる)、感染症対策に気をつけて旅行する人生になるなんて思っていなかった。

目の前に関ジャニ∞がいるだけで、ここにきた意味があると確信できた。
でも欲が出る。次はもっといい席で会いたいし、関ジャニ∞ともっと会える機会が欲しい。

オーラスは配信で見ていたが、夏の予定が発表され生きる希望が湧いた。
職場が人員不足過ぎて月に8回も夜勤に入っていたが、資金集めと思って上司にイイ顔振り撒いて頑張った。

7.希望(2022-2023)


インスタにスタジアムの写真が上がった頃、野外だとわかった上で浴衣を発注(4月)。着付けの練習をボチボチして楽しみにしていた。

台風に怯え、熱中症に怯え、対策グッズでパンパンのバッグを抱えいざ出陣。

初日は開演時間に合わせ雨が弱くなった。人数は変わったが、そこに私が好きだった関西のオモロくて、歌えて踊れて、人情深い関ジャニ∞がいた。

雨なのか汗なのか涙なのかわからないくらい楽し過ぎて、日産スタジアムの公演が終わって、帰ってボディーシールを落とした時に信じられないくらい泣いた。
楽し過ぎて、終わってほしくなくて、嬉し泣きみたいな。駄々っ子が泣く感じのような。

ボディーシールを取ったら全部終わってしまう感じがした。
ただ、横山さんの「(今年中に)また会いましょうね」って言っていたことが妙に頭に残っていた。横山担になって歴は浅いが、あの人嘘つくのが下手過ぎる。笑

すぐに冬のドームツアーが発表され、生きる希望…チョロオタ過ぎる。

冬のドームはインスタで繋がったeighterともたくさん会えた。名古屋は行けなかったが、どの公演も楽しくて、また無双状態に戻ったと思ったし、キラキラ輝いていた。

ヨコヒナが歓喜の舞台のあと、花道を2人で通ってくるのを真横の席で見ていた。スポットライトがもはやご来光にしか見えない。(幻覚…?)


8.夢(2023-)

ドームツアーが終わって、次は20周年と思っていたところに翳りが見えた。自分が生きてる間に事務所の終焉を見届けることになるなんて考えもしない。けど、それは実際に起きた。

(事務所関連のことに関しては以前noteに書いているので、そちらを参照ください。)

ロッキンと富士急を見届けて、新規ファン獲得に向かっているのがわかっていた。改名の噂はあったが、まさか本当になるなんて。夢であれと思った。

件の会見は見たくなかったが、職場のテレビで嫌でも目に入った。「グループ名を変える」と表示された時、スッと自分の中で受け入れるしかないんだと悟った。怒りや悲しみが度を超えると冷静になると知った。

それでもすぐFC動画を上げた5人の対応に驚いた。検討〜決定にかけて時間がかかること、商標登録のこと、自分たちも手探りなこと。

赤裸々過ぎるところもあるけど、「あぁ、この人たちなら大丈夫かな」と思えた。


正直、名前を変えることは今だに悔しいし、変えなくても良いよ‼︎って伝えに行きたい。どうせ世間はそこまで関心もないくせにとスレてる自分もいる。

最近話題の芸人や、某スポーツ選手のことは?とか、それとジャニーズ問題は別か別じゃないかとか。もう憶測でしか語れないし、皆んな捏造なのか現実なのか区別ついてなくないか?

新しい名前を受け入れる覚悟は年が明ける前からできている。
でも『関ジャニ∞』の屋号がなくなることに覚悟はまだない。

五転六転した名前を愛すから、5人のアイデンティティをまた一緒に育てていきましょう。
そして、新しい名前と一緒に嬉しい涙いっぱい流していきましょう。

新しい屋号まであと…

fin


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?