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佐渡島でカゴを編む (2021年作)

 日常的に竹細工をしている職人は、広い佐渡でも今は数人らしい。私がカゴ編みを教わっているNさん(八九歳)は「田植えカゴ編んどるのは、 もうオレだけだろうなぁ」と言う。田植えカゴというのは、口径が三〇センチ程度の楕円、深さは二〇センチ程の竹カゴ。稲が手植えだった頃、縁に紐を通し腰にくくり付けて苗入れとして使った。その他にも野菜や果物の収穫、 キノコや山菜採り、釣りの獲物入れ、といろいろな場面で役立つことから「七 成(しちなり)カゴ」の別名もある。
 佐渡島はかつて竹製品の一大産地だったそうだ。島の環境は竹の生育に適し、その質もよいことからカゴやザルなど製品ばかりでなく、包装用としての竹皮、刈り取った稲を干すハザ木や庭木の雪囲い材、土壁の芯などとして、切り出した竹そのものも島外に移出していた。とくに竹の少ない東北や北海道でよく売れ、多くの農家が竹細工を冬場の現金収入とした。 Nさんが住む集落では竹細工を専業とする家もあり、カゴやザル、 水のうなどさまざまな竹製品が作られていたそうだ。
「おれん親父は専業でやっておったもんし、弟子やら近所の農家のもんもうちへ来て編んだんだ。そらぁ賑やかなもんだっちゃ。毎日のように問屋が仕 入れに来るだろ、日銭が稼げるわけだぁ。若えもんは銭入りゃ町へ行って遊ぶわけさ。そぉらもう今じゃ考えられんくらいに町も賑やかでのぉ」

 竹細工にはマダケやモウソウチクなどの大竹を材料にすることが一般的だが、師匠翁の住むエリアでは篠竹(しのだけ)と呼ばれる細身の竹による竹製品が主流だった。 竹の子が成長してその皮が落ちるのが竹、成長しても皮が幹に残るのが笹といわれるが、その分類でいくと篠竹は笹の一種になる。篠竹は島南部でとくに盛んに生育しているように見受けられる。人里、低山、川原とそこらじゅうで見られるし潮風にも強いようだ。
 それでもカゴ作りに適した竹を伐ろうとなると場所を選ぶ。どこにでもちょうどよい太さ(手の親指くらい)の竹が生えるわけではない。同じ竹やぶでも、位置や株によって太さや高さに傾向が見られる。
 育ちに影響する要素はいろいろあるはずだが、よい竹が出る条件はまず日当り、そして風通しが関係するようだ。細過ぎる竹が密生している辺りを昨年の冬に間に引いてみたら、 思惑通り今年の竹の子は太めの物が増えてきたようだ。

 竹皮草履を作る人に聞いた話では、昔の人はよい竹を育てるために竹の間 を傘をさして歩けるくらいの間隔になるよう竹林の手入れをしたという。竹 に限らず資源をより良く得るために、人々は山に入り手入れをして里山を 保ってきた。竹カゴ作りのために家の竹やぶや周囲の木々を整備してみると、ちょっと里山を育てている気分になる。大きくなって欲しい木が、手入れの 結果で元気になってくると嬉しいものだ。家の敷地の日当りや風通しもまたよくなった。
 木々に手を入れることで得られるのは住環境向上と竹製品だけではない。 まだまだある。切り出した竹を割ってヒゴを作るわけだが、端材や失敗作な どで廃棄材がたくさん出る。するとこれが整理した木の枝とともに我が家の風呂の燃料となる。そして風呂を炊けば灰が残る。これは土壌改良のために畑に蒔いて使う。
 さらに、灰に熱湯をかけた灰汁をろ過すればその液は洗濯洗剤の代わりになる。液は透明で洗濯物が灰色にくすむようなことも生地が傷むこともない。もはや洗濯洗剤を買う必要はなくなった。 狩猟文化では獲物を余すところなく利用すると聞くが、竹細工も似ている かもしれない。 いくら働いてもゴミが出ない仕事、物の循環の中にある仕事は精神にとてもよい。そしてまた、知識をこの地の人から得、材をこの地に採るという地縁の環に与る仕事ができることは、移住者の私にはありがたいことだ。

 かつて島では勤め人になるより竹細工職人になった方がずっと稼げるという時代があった。Nさんは子どもの頃を思い出して言う。
「街の酒場で働く女の子達が、昼間に親父らの仕事場を冷やかしに来たりなぁ。華やかな時代だったなぁ」
 竹カゴ作りが商売にならなくなったのは昭和三十年代。安価なプラスチック製品が広がり暮らしは使い捨ての時代となった。手作りの道具とそれを作 る職人は日常から消えていったのであった。

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