Ryu Reed

小説・音楽・映画・漫画などが好きです。面白かった作品の感想など

Ryu Reed

小説・音楽・映画・漫画などが好きです。面白かった作品の感想など

最近の記事

夢日記①

ファミリーレストランのアルバイトを学生の頃やっていたが、その頃に戻っている。しかし、当然だが、その夢の中での自分の意識は現在の今の自分で、過去に戻っているというよりは、二度目の人生として、現在に至る未来までの記憶を持ったまま、アルバイト、おそらく、初日の出勤日という設定のようだった。実物の自分が働いていたレストランの内装とは全く違う内装の店内に夢の中の自分はいるが、それが現実に昔自分が働いていたレストランであるということは夢の中でははっきりとした事実になっている。 そこで気

    • おひな様をかたづけよ!(短編小説)

      真夜中ーーー 家族が寝静まった家の廊下をトウマは息を殺しながらゆっくりと歩いていた。 今よりもっと幼い頃から、まるで我が家のように行き来してきたはずの離れまでの道がやけに長く感じたのは、きっと明かりが無いからだけが理由じゃない。実際、これはトウマにとって、かつてない冒険だった。 同時に、きっと明日の朝には、家でも、学校でも、これまで優等生として通してきた自分には、もう戻れなくなってしまうような行動ーーーつまり、ある種の背信的な行動ーーーだったわけだが、男としてのトウマの人生

      • 読書感想文②

        『ここはとても速い川』を読んだ。まずは、不思議な語りだな、と思った。 一人称でも、なかなか流れが掴みにくくて、油断すると誰がしゃべっているのか分からなくなるような感じがあったり、意外と早く読めない。 いちいち注意が必要な、緊張感のようなものが文体によって生み出されている。しかし、関西弁の面白さ、朗らかさがあるので、リズムよく楽しく読めるところもたくさんある。 ずーっと、集(主人公)の視点から見えるもの、聞こえること、感じることがつらつらと書かれている。全く説明的な文章はほ

        • 『客観性の落とし穴』を読んで、思いがけず小説について考えることになった

          意図せず、昨年ベストセラー新書である『客観性の落とし穴』を購入し、読んだところ、これはまさに小説についてのことが書いてある!と思ったので、客観性というキーワードから、小説について考えてみることにした、というのがこの記事を書こうと思った理由である。 と言いながら、私自身、どこがどう『客観性の落とし穴』と小説が結びつくのかをスパッと一言で言い表せるほど考えを纏めきれていないので、章ごとの私なりの要約のメモを辿りながら考えていきたいと思う。 第一章 要約 19世紀から20世紀

        夢日記①

          Only in dreams(掌編小説)

          入り口側のドアの向こうで、キーンと高い音が鳴り続けていることに、部屋に帰ってきた瞬間には既に気づいていたかも知れなかった。 ーーー劣化のせいだろう、竜一は思った。 23時をまわったくらいだったと思う。 最後に時計をみたのは、まだ明るい時間帯だった。 テレビはあっても、ろくにスイッチは入れない。 だから、みたい番組がない。 みたい番組があったのは、もう随分昔のことだ。 だから今では、換気扇の異音にも気がつくことができる。 こんなことは特段、幸とも不幸とも呼べない。 事実、幸と

          Only in dreams(掌編小説)

          ●REC(ショートショート)

          という訳で見てのとおり、何万年も生きてんスよ、コイツ。 と、諦めたように、吐き捨てる感じでディレクターらしき男が笑った。 蹴り飛ばしかねない勢いだった。真っ白のスニーカーのつま先がエメラルド色に発光する粘り気の強い液体でべっとり汚れてしまうことが躊躇の理由だろう。 撮影が押しているであろうスタジオ内にはピリついた雰囲気が流れているであろうことが充分に見てとれる。ちらちら出入りする撮影スタッフたちの表情にも疲労の色がはっきりと現れていた。 仕方なく、たくさんのモニターの前

          ●REC(ショートショート)

          映画『枯葉』をみたら”スタイル”について考えていた

          映画『枯葉』をみた。良い時間だった。 感想とか考察とか、考えること自体もはや無粋だ。 こういう気持ちになってしまう映画は他にもある。 例えば、ニコラス・ウィンディング・レフンの『ドライヴ』、クエンティン・タランティーノの『パルプフィクション』、ポール・トーマス・アンダーソン『リコリスピザ』など。 物語自体に強い主張がなく、何気ない感じで、映画としては比較的、特別なことが起こらないところが共通点だと僕は思っている。 そして、もう一つの共通点は、物語よりも”撮り方”で、面

          映画『枯葉』をみたら”スタイル”について考えていた

          FALLING…(掌編小説)

          水平に伸びる、舗装された道路をまるで落下するような勢いで動き続けている肉体、それが僕だ。 というか、実際に落下している。落下し始めて、かれこれ二年になる。 二年…ずいぶんと長い歳月だ。もちろん、絶えず落下しているので正確に二年かと言われると自信はないのだが、だいたい二年くらいだと思う。たしか、修学旅行に行ったのが三年前の六月だったので、感覚的にはおそらく、そのくらいだ。しかし、二年も落下し続けているような人間の感覚が、一体どこまでアテになるというのだろうか。僕にはわからない

          FALLING…(掌編小説)

          わだす、チョコ、渡す。(掌編小説)

          「なぁ、おめ、きょうはなんの日かしってっかぁ?まぁさか、しらねぇわげねぇよな、いぃトシしてよ。あぁあ、とぼけでもムダだ、そのニヤげたツラはごまかせね。わだすぐれぇんなっと、おどこがなに考えてっかぐれぇ、手に取るようにわがんだ。あれだ、…ヒャクセンレンマ?っちゅうやつだっぺ。あんだもこの辺のもんなら、あだすの名前(なめぇ)ぐれぇ、きいだごどあっぺ?」 花恋はmajiでkoiしているつもりだった。 当然、5秒以上前からである、そうでなければ、この日の為にリボンでラッピングした手

          わだす、チョコ、渡す。(掌編小説)

          『プラダを着た悪魔』を観る、スウェットを着た35歳の私

          白状したいと思う。 僕は、本作が名作として名高いことを実はかなり前から知っていた、そう、知っていたのだ。 知ってはいたものの、よし、観てみよう! という決心がつかないまま、気がつけばなんと35歳になっていた。 きっとプラダにも、そして悪魔にも、親近感が湧かなすぎたせいだろう。 思い返してみれば、「いや、まぁ、これはおれの観る映画じゃないよね!」 とかなんとか言って、心のどこかで何気なくブレーキを踏んでいた節がある。 うまく共感を得られるかわからないが、どうせなら「これは

          『プラダを着た悪魔』を観る、スウェットを着た35歳の私

          春が来る(掌編小説)

          地球は回っている。 それを初めて知った時のことをもう、ユウコは思い出せない。 勿論、それを知ったそのときも地球は回っていたし、こうしている今も回っている、ユウコの生まれる前から、ずっと回り続けている。それは、間違いない。 でも、それは知識だ、ユウコは思う。知っていることと、できることは違う。 これも、ユウコが誰かから聞いた言葉だった。なんか、偉そうな人が言っていた。偉そうな人の言う言葉には、説得力がある。でも、偉そうな人たちの中でも、地球が回っているところを、実際に見たことが

          春が来る(掌編小説)

          ”記憶”についての映画『aftersun/アフターサン』を鑑賞して考えたこと

          まえがき 記憶という名の”心のカメラ”「あれ、おれどうしてこんなことをいつまでも覚えてるんだ?」と、そんな具合に大人になった今でも不意に思い出してしまうような特別な記憶があなたにもあるだろうか?幸いなことに、僕にとってのそれらほとんど全ては取るに足らない、そしておそろしく平凡で下らない、どこまでも個人的なものばかりだ。しかし、そんな断片的でおぼろげなイメージの集積が自分自身のパーソナリティの構築において、何か重要な役割を担っているような気がしてしまうのも事実である。そういった

          ”記憶”についての映画『aftersun/アフターサン』を鑑賞して考えたこと

          コント作りにおいて考えたこと Part1

          今日みたコント、千原兄弟のタイピングのコント、巨匠の学校のコントなど。 まず、コント作りにおいて始めに(始めにじゃなくてもいいかもしれないけど)考えるべきは、前提となる状況、フリの部分で、そこが決まればその逆のオチを考えることで骨組みは出来上がる。今書いていて思ったのは、コントならではの強みというか醍醐味は、複数の人間による(ひとりでもいいけど)やりとりが作り出す”状況の面白さ”であるということ。(そう、まるでセザンヌの静物画に描かれる物と物との絶妙な関係性のように!) つま

          コント作りにおいて考えたこと Part1

          読書感想文①

          夏目漱石『草枕』 夏目漱石ということで、『こころ』のような雰囲気の小説とイメージしていたが、予想とは全く違った小説だった。 全体の7割くらいが主人公(画家)による語り(芸術論)であり、残り3割で旅先で出会った人々との何でもないやりとりが展開される、筋らしい筋は存在しない。 作中で主人公が語る芸術論はそのまま本作にも反映されており、その代表的なものが芸術作品に対して人情の介入を拒否する(非人情)というものだ。 おそらくそれの意味するところは、わかりやすくエモーショナルな

          読書感想文①

          エヴァ初号機

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