どぶろく
パン屋店主の住む山間部は、地域のお祭りがあって、そのときにふるまわれるどぶろく(お酒)があるそうです。そのお酒を搾った後の粕を頂いて鮭を漬けて焼いて食べたのだそうですが、どろどろの酒粕に残っているアルコール分が高くて、酔うほどだったらしいです。
そういえば、自家製のお酒を造るということが以前は普通にあったのに聞かなくなったね、という話題になりました。昭和の時代、味噌でも漬物でも、何でも自分の家で造る習慣がありましたが、お酒も造っていました。かつて我が家にも、伯母が造ったブドウ酒がありました。母はお酒を飲まないし、酔えないくらいのアルコール度数だったので父も飲まなかっただろうし、いったい誰が飲んだんだろうか、今になっては確かめる術もありません。
そして、自家製でお酒を造って摘発されて、捕まる人がいたよね、となりました。酒税法が改正されたらしく、いまは厳しく取り締まりがされないからなんでしょうが、かつては結構いました。
私は下戸なのであまり考えませんでしたが、そもそもお酒って、人が生きるために不可欠な、とても重要なアイテムだったのではないかと思います。生きていれば、憂さを晴らすことも必要ですし、何といっても人が集って、わいわいがやがや語り合うことは、人が生きるために欠かせないもののように思います。そこにお酒が果たす役割は大きいです。
若い頃、登山で訪れた山間部の奥深い小さな集落に、「こんなところにも酒屋がある」と驚きましたが、それほどお酒は人が生きるための必需品なんだと改めて思ったりしました。
店主によれば、かつて自家製でお酒を造って摘発されたのは、酒屋からの密告があったからだ、ということです。村の小さなコミュニティですから、「最近あそこの家はお酒を買いに来ないな」となって、家で造っていると知れますから、チクるらしいです。酒屋も、みんなが家で造り出したら、商売が成り立ちませんから、みせしめにやったらしいです。国も酒税を取り損ねますから、ニュースとして取り上げることが多かったのかもしれません。
コロナ禍が続いて家飲みが一般化して、アルコール中毒が増加するのではないかという記事を読みました。やっぱり、集って食べて飲んで話して、みんなで過ごす時間を取りもどすことが喫緊の課題のように思います。
【写真:パン屋の店舗前の山桜、実を鳥が食べにくるそうです】
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