政治スタンス「熱狂」と「冷笑」

ツイッターで2020/5/9とかその次の日とかに  #検察庁法改正に抗議します  というタグが流行った後  #検察庁法改正に興味ありません  というタグが出てきた。抗議の反対は、興味ありませんになるのだろうか…?興味なければ、わざわざタグ付きで言わんのだろうに…不思議な話だなぁ…と見ていたんだけれど。

この時、興味ありませんタグをつけていた人は(本当に興味がない人もいただろうけど)実質的には「左翼嫌い」の人たち…つまり、どちらかというと右翼的な思想の人たちだった。右翼の武器は「政治への無関心」なのかと思った時、左翼の人に「冷笑主義」といって揶揄されたのを思い出した。

政治には「熱狂的」「冷笑的」っていうのもあるのかと思い至り、その思い付きをちょっと整理してみようと思う。

政治に対して、熱狂的な人たち

政治に関する話で何かを強烈に支持したり、強力に批判したりするのが熱狂的で、普段から政治の話をしているほとんどの人がここになるんじゃないだろうか。日々の生活のうち時間を割いて政治に参加していて、何かを意見言えるのであれば、今の日本だと熱狂的の部類になるのではないだろうか。

政治に対して、冷笑的な人たち

一方で生活の時間を政治に使わない人たちで、普段は政治に参加してなくて、選挙も行ったりいかなかったりの人たちが政治に対して冷笑的だと感じる。日本人のほとんどは政治に「冷笑的」で、投票率も低いし、政治の話もタブー視されがち。毎日忙しいし、政治もそんな追えない、第一、「熱狂的」な人たちみたいなちょっとアヤシイ人になりたくない…と感じている人が多くいるのだろうと思う。

政治に興味がないのに勝手に政治参加させられる「冷笑」の人たち

僕がおもしろいと思うのは、この「冷笑的」な人たちは、政治に興味がなく、右翼でもないし、左翼でもない(たぶん)。なのに実質既定路線(要は与党)の支持層になるということだ。

考えてみれば当たり前なんだけど、政治を考えない、今の政治のに文句を言わないということで、既定路線を支持することになる…というか、「何かを変えよう!」としている人(革新しようとしてる人)にとっては、「それでいい」って言ってる人や同じように声を挙げない人は邪魔だというだけなんだけども。

この冷笑的な人たちは、自分が与党を支持しているとは思ってもいないのでは?と勘ぐっている。「毎日仕事で忙しいんだよ!それに、自民党も嫌いだし、でもそれを批判する野党も嫌いだし、ぶっちゃけ国会も小学生の帰りの会みたいで見てらんないよ!」という感じだろう。だけど、この「冷笑主義は既定路線支持になる」という性質は、現在の与党である自民党の支持層に見なすことができるということは自覚しなければならないと思う。熱狂的な自民党支持層にとっては冷笑主義をたくさんいると見せれば、野党側を黙らせることができる(実際、ほとんど冷笑的な立場だろう)。それが、 #検察庁法改正に興味ありません というタグが出てきた理由なんだろうと考えている。

政治に「冷笑的」な人たちはきっと、与党が左翼なら左翼なのだろうし、与党が右翼なら右翼の支持層になるんじゃないか。左右関係なく(ひょっとしたら無自覚に)与党の支持層になるんだろう。

なんとなくの今の政治勢力の分布

仮に熱狂的な右翼と左翼が同数だとすると、それぞれ2割ずつ計4割で(口汚く)争っていても、のこりの6割はそのやりとりに興味ない。なんならやりとりを見ずに、6割は(そうとは想ってないかもだけど)今の日本だと与党支持になる。そうすると、ざっくり8割与党支持、2割が野党支持。今のままだと左翼側の意見が政治を動かすのはちょっと難しい。

これは、与党をチェックする機能がほぼほぼ死んでいるということになるる…。僕はどちらかというと右翼寄りの思想だとは思うけど、民主主義でチェック機能が死んでいるかもしれないというのは、かなり怖いことだと思う。

救世主のような独裁者をうまないための冷笑

じゃあ政治に冷笑的なのが全くよくないのかと言われると、そんなことは無いと思っている。冷笑的な見方は、「熱狂を浴びて登場する独裁者」というのを抑制する効果があったのではないだろうか。「みなさん!今不幸でしょう!現政権が悪いんです!私が当選したら何もかも変えて見せます!」みたいなことを言って、民衆を熱狂に巻き込む救世主みたいに見える独裁者が来た場合に、「…は?別に今のままでいいけど」と冷静に言えるのは、それはそれで効果的だ。

歴史に詳しくないけど、きっとこの冷笑というのは、そういう独裁者を生まないために僕たち日本人が身に着けたものなのかもしれない…と思っている。

与党の独裁者を冷笑で抑制することはできない

とはいえ、すでにトップの席に座っている独裁者を抑制する機能は冷笑にはない、ということは自覚しなければならない。僕たちが持つ「冷笑」という武器は、怪しい新入りをはじく機能はあってもすでにその場にいる怪しい人を批判するような能力はない。つまり、本当に今トップの席にいるのが独裁者だったらマジでやばいかもしれないのだ。

余談…
一部の左翼の人が安倍総理に対して日本のヒトラーだ!みたいなことを言うけど、それは違う。ヒトラーが熱狂から生まれた独裁者であるのに対して、安倍総理はそうではないから。でも逆に(もし安倍総理が独裁者だったとしたら)その違いこそが問題が表面化しない原因になりうる。

他人を冷笑から熱狂にするのは難しい

冷笑が多すぎるとやばいのではないか、ということは整理したけれど…じゃあ冷笑主義の友人に「政治にもっと興味を持ちましょうよ」とか持ち掛けたらちょっと引かれる自信がある。そもそもワケのわからないものに熱狂している人たちってのは、興味のない人にとってはキモいだろう。

正直どうしたらいいか…結論は出ない。でも、僕は今回のタグ騒動はかなり興味がわいた。在宅中はノー残業なので、余暇がたっぷりあったのもそうだし、いつも(左翼の人たち)とは違う有名人からの発信があったし、ツイッターという自分にとって身近なツールでムーブメントがあったからだと思う。左翼と右翼からそれぞれの反論が出てきて次々と論点が整理されていくのは大変興味深かった。

そう思うと、ある程度の暇と、政治への見える化が必要なのだろうと思う。

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