考えると疲れるから考えない
このタイトルは僕が普段考えないようにしている不都合な何かを記述するという意味ではなく、自分が知らず知らずのうちに考えないようにしていることってなんだろう?という…そういうタイトルです。
考えることってとてもストレスだと感じないだろうか?
例えば、今日の晩御飯のメニュー、を一週間分考えての買い物、とか。
僕たちは考えることにものすごくエネルギーを割いているため、日常生活ではできるだけ考えないように生活しているのではないだろうか。自分でも全く気づかないうちに…。
そう思って「これって実は考えないようにしようとして発生してるんじゃない?」という例を挙げてみたら複数出たので書いてみる。(僕は考えるとき、帰納的な考え方らしい、例がないとなかなか話が展開できない)
新しいツールやアプリを導入できない
僕はめちゃくちゃ身に覚えがあるが、個人レベルでは別にそれほど身に覚えがない人もいるだろう。では、組織レベルではどうだろうか?
僕の会社、まだエクセルでいろいろ管理しているところがあって、すごく面倒だ。エクセルではなくてこういうツールを導入したらどうかとか、僕が入社する前からずっと先輩が言ってくれてるらしいが一向に変わらない。このクソめんどくさい作業を新しいツールをいれることで改善されるならば、社員全員の作業負担が減って簡単に元が取れるように思うが、会社の上部はそもそも「どのくらい改善されるか?」というのを考えてくれない。提案者に全部丸投げだったり、提案しても精査せずにまだ早いだのなんだのという話になってしまう。
つまり、ツールを入れたらどうなるか?と考えるリソースが足りていない。だからもう考えられない。どのくらい工数削減されるかとか、正直計算しようと思えばいくらでもできるが、もうとにかく、考えるのがめんどくさいのではないだろうか…(気持ちはわからなくもない)
しかも考えて判断した方の責任になりがちだ。考えずに判断しないのがノーリスクなのだ。
差別
人種差別や性差別といったものには、考えなくても済むというメリットがある。
外国人だからこの辺の仕事やらせておけばいいやとか、女性だから論理的な思考は苦手でしょとか。
そうやって能力も見ないで決めつけて機会を奪うことを差別というが、それはそのまま「この人には本当はどれくらいの仕事ができるんだろうか?」とか「論理的な能力はどれくらいあるのだろうか?」とか考えるのを削減したいからやっているんだろう。おそらく本能的に。
僕たちはどうしても真面目に考えるということをやめたいらしい。そのために、属性で人を決めつけて判断してしまう。人種や性差別で例を言ったが、学歴差別とかもそうだ。人間の考える力というのは無尽蔵ではないので、こういうところで節約しようということなのだ。よくないことだけども。
ポジショントーク
僕も前noteの中で「左翼」「右翼」という用語を出したが、そういうアカウント名のひとがいるわけではない。僕が想像する左翼と、僕が想像する右翼のイメージでしゃべっている。このポジショントークも考えないというリソース節約術が使われている。
そもそも複数の話題にまたがっていて、ポジションとはいったい何なんだという話だ。話題が変われば、チームがわかっても何の問題もないのに、いつの間にかいつも同じ面子VS同じ面子になりがちだ。
身に覚えのある感情ではあるけど、先入観から「この人が賛成しているってことは賛成ね!」とか、逆に「あの人が賛成しているってことはこれは反対ね!」みたいになっているんだろう。問題そのものを考えるのではなく、依然得た人物の知識をそのまま流用して判断している。(この話を聞いて、左翼は右翼を、右翼は左翼を笑っていそうな気がするがどっちにも言っている)考えるのがめんどくさいのだ。だから本当にそうか?とか知らない人に突然言われるとちょっとめんどくさくなったりする。
一度嫌いになった人を好きになれない
上のポジショントークを書いていて思ったが、嫌いな人ができるということも、ひょっとしたら考えたくないから怒っているのかもしれない。
もう完全に予想だけども、一度嫌いになった人を再度好きになるためには、もう一度その人の人格や行動を見つめなおして評価する必要がある。つまり考え直す必要がある。でも、たいていの人は嫌いになった人のためにそこまでのリソースを割かない…いや、割いてもやっぱり嫌いなまま、というのも多いだろう。
どちらかというともうこれは先入観とか言う話ではなくなっている気もするが…。では一度嫌いになった人でも再度その人格や行動を見つめなおして評価する人類が少数派に思えるのはなぜか?を考えて見る。もう仮定からしてワヤワヤとしているが。
でももし、それに理由があるのだとしたら、たぶん1回1回その人について見つめなおして考え直してって超大変だろうし、評価を一定にしないというのもすごくリソースを使う。ともすれば、判断も遅くなる。
野生動物で一度相手に噛みつかれたのに次は舐めてくれるかもしれないと思って相手の様子を観察してるような動物はいいカモになってしまうだろうしね。
フレネミーで疲れる
これはもう完全に受け売りで、最近動画を見たから「そうなんだ」と思って紹介するレベルなのだが。フレンド+エネミーでフレネミーという友達だったり敵だったりするような人間がそばにいるとすごくストレスを感じてしまうらしい。
これは歓迎すべき行為か、どうなのか?と対応を迷って考える分ストレスがたまるということらしい。
就活でめっちゃ疲れる
精神がしんどいわ。転職出来ないのもこの経験があるからだという人も少なくないのでは?これも、自分の可能性とか、価値とか、向ているのかとか、そういうのを全部考えなきゃいけないからではないだろうか?
受験の時もまあまあ疲れはした。選択肢が多ければ多いほど、考えるリソースがめちゃくちゃかかってしまう。
しかも!しかもだ。一度選択肢を選んだ後でも「これで本当によかったのだろうか?」なんて考えてしまって、考えるリソースを割き続けてしまう。僕の弟がそうだった。(選択肢が多いほど後悔が多いという心理学実験があったはずなのだけど、すみません忘れました…)
まとめ
他にも考えるのが疲れるから考えないようにしていることはたくさんあると思う。実はこのNoteはもともと「差別は合理性がある」というタイトルで書こうと思っていた。差別の合理性は、例で述べた通りだ。でもそれを考えているとほかにも例がたくさん浮かんでしまって、ああ、僕たちってひょっとしてこの呪縛から抜けられないのか?と考えてしまった。
これがいけないことだとすると、その対策とかは別の日に考えよう。
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