胸が大きいことがコンプレックスな女の子がグラビアアイドルに憧れる話についての考察
胸が大きいことがコンプレックスな女の子がグラビアアイドルに憧れる話という漫画がタイムラインに流れてきた。
簡単に言えばこれは、周りの偏見によって苦しめられていた女の子が、その偏見を乗り越えていくお話で、一見して何の問題も無いように見える。けれども、一部ではこのお話が批判の的となっている。その理由を考えてみた。
話の前提となっている胸の大きさへの偏見
このお話の世界では、まず前提として女性にまつわる様々な偏見があふれている。
クラスの男子の持つ偏見
クラスの男子は胸が大きいことはエロい!と感じている。登場してくるのはクラスの男子だけど、結構な数の男性がそのような認識だろうと思うし、心当たりのある人も多いのではないだろうか。思ってるだけなら趣味嗜好かもしれない。
男性は胸の大きさで女性の(性的な)価値を測るというのは至極当然で当たり前の事実であって、たまに例外があるとしたらそれはその人の個性、くらいの感覚なのだろう。だから、それを公言してしまっても平気なクラスの男子たち。ただ、それを公言しちゃったらその至極当然で当たり前の事実と思い込んでる自分勝手な評価をそのまま強化することになってしまう。
クラスの女子の偏見
クラスの女子は「逆にスレンダーが可愛い」という。これは「巨乳ばかり評価される男性目線の可愛さ」に抵抗するために、その男性からの評価を無に帰す目的で対抗馬として出てきた価値観だろう。クラスの女子は「胸が大きいと性的な評価を受ける」という偏見の場において、「性的な評価以外の評価(女子から見るとの評価)をする」というような対策を取っている。いわば逆張状態になってしまってる。
母親の偏見
母親は、少しでも性を感じるものをかなり嫌悪していて、批判する。いわゆる"はしたないもの"は大嫌い、といった感じ。この母親は、女性が性的な目で見られることを嫌うあまり、女性に対して性的な目で見られないような努力を求めている。その結果、少しでも肌を出していると「なぜ性的な目で見られないような努力をしないのか?はしたない!」と憤ってしまうのだ。
男性の偏見から女性の偏見が二次的に発生している
ここは物語の本筋ではなく一般的な話として、僕の意見だ。このクラスの女子の逆張や、母親の憤りは、もともと「男性が女性を性的に消費する」という偏見があって、その結果生まれてきた二次的な偏見だ。
クラスの男子が女性の胸に性的な意味で言及しなければクラスの女子が「むしろ女子的にはスレンダーの方が可愛い」ということもなかっただろうし、男性がどんな格好に興奮するかといった話をしているのを特に耳にしたことがなければ、母親が「肌が出ている!」「胸元が見えすぎ!」といった怒り方をすることはなかっただろうと思うのだ。
物語の構成
次はこんな偏見だらけの世界で、主人公がどのようにして自分らしく生きられるようになったかを見ていく。
①女性側の偏見によって女性が傷ついている
物語全体で女性側である母親・友人の偏見が彼女を傷つけていると描写しているところは多い。もちろん、実際に女性側の偏見に悩まされる女性は多いので、それが間違いではないし、まず彼女の周りには女性が多いのだから、女性の価値観の方によりさらされるのは当たり前だ。
この物語で主人公が自分の着たい物を着れなかった原因…その解消した結果がグラビアアイドルになるというとこから考えると、男性側から性的な視線で見られるのが嫌だからではなく、「性的に見られかねないものは表現しないほうがいい」という女性側からの偏見のせいである。
前述したように、母親・友人の偏見はその前段に男性から女性への偏見があってのものだ。しかし、その男性から女性への偏見によって、主人公が直接傷ついている描写は、母親・友人の発言に傷ついている描写よりもずっと少ない。
②解消される母親の偏見
母親はあらゆる女性に対して「性的に見えないようにしろ」と要求しており、主人公の容姿を性的に見えないように(知ってか知らずか)制限していた。しかし主人公の説得に呆然とする母親の姿とその後主人公がグラビアアイドルになれたことを鑑みると、自分の考えを少し改めたように見受けられる。
③多分解消されてるであろう周りの女子の偏見
物語では描かれていなかったと思うが、周りの女子だって主人公が胸が大きいと知れば「スレンダーの方が可愛いし!」などとは言わないだろうと思う。もともと、胸で判断する男子への当てつけでいってるだけなのだから。
プールに行って、水着を着て、胸が大きいとみんなが知ったとしても、それを見て「いやいや!スレンダーの方が可愛い!」と貶めるようなことは無いように思う。
④グラビアアイドルとして男性側からの偏見と折り合いをつけ自分の個性を活かして生きる
胸が大きいことを理由にグラビアアイドルになるということは、多くの男性の持つ「胸は大きい方がエロい!」という偏見を(消費者として一定には)認める世界で生きるということだ。はしたないと思われていた自分の個性を活かせることで、自分を保って明るく自分らしく生きていくというお話だ。
この物語が怒られる理由
非常に良い話なのだが、つまるところをいうと少しこじれてくる。つまるところ、男性の偏見は強固に存在し続けているが、周りの女性からの偏見は無くなったからハッピーエンドのお話なのだ。
意地悪な言い方をすれば、この物語は、周りの女性(女子・母親)の偏見によって女性(主人公)が不幸になっていたが、男性側の偏見に迎合することで、その不幸を解消した物語ということになる。こう見るとちょっと邪悪だ。
物語に出てきた女性の偏見は多くが男性からの偏見にさらされた結果発生した2次的なものである。根本原因である男性側の1次的な偏見は全く解消されず、むしろその男性側の1次的偏見によって彼女は自信を取り戻す。男性側の偏見が嫌だと思ってる人にとっては、ハッピーエンドに思えないし、何も解決していないように見える。
この「根本原因である男性側の1次的な偏見にはおとがめなし」「むしろ男性側の一時的な偏見に迎合して解決する」というのが怒られている原因だろう。主人公が傷つく本当の根本原因となった「男性は胸の大きい女性をエロい視点で見る」という価値観を(資本主義だからまあそうなっちゃうんだけど)利用して、(これは絶対に主人公の意図するところではないんだけど結果的に)強化するエンドになってしまった、だから解決に見えないのだ。
なぜ女性側の偏見しか解決されなかったか?
多分だけど、男性側の偏見というのがそもそも認識されてないのではないか。もしくは仕方がないもので改善できない、と認識されているのではないか。
「男性が好きな女性のタイプを言い合っていただけなのに、勝手に女性が偏見を作っていたのだ」と解釈していると仮定すると、女性の偏見のみが彼女を傷つけ、そしてそれが解消されて自分を取り戻すという感動ストーリーになることに何の抵抗もなくなるのだ。
いやこれは偏見じゃないし
好きな女性のタイプを言い合っていたらたまたま大多数とかぶってしまっただけだ。わかる。わかるぞ……そもそもそういうのを言い合うのって楽しいからな…!僕もここで偏見だ、辞めなければならない、と言い切ってしまうと後々のプライベートな会話でも我慢しなくちゃならないのかと思って、なんかドキドキしてしまう。
でも、人の容姿に性的対象としてランクをつけて、それを公言して、ともすれば当然の価値観とするようなことがあれば、不幸になる人が出てくるのは想像がつく。
胸の話ってギャグにされるレベルでもう本当に当たり前って感じだから無頓着かもしれなけど、こういう話を書くとしたら、ちゃんとそこにも向き合わなければならなかったのではないかと思う。(しかし、実際に胸の話では女性側からの偏見も多いのでそれは良く描写していたのだよ…)
資本主義と性的な消費
実はこれは根本的には資本主義の構造上の問題でもある。支持の多い価値観は儲かるもの。そして儲かって、市場に出るということは、その価値観の支持が多いということ…そしてその価値観の強化につながるのだ。価値観の支持が多いと売れ、売れると価値観の強化になるというループがある。資本主義は偏見を無限に生み出してしまうし、偏見で食ってるところもある。
グラビアアイドルになることは何の問題もないのに、それが「胸の大きい女性は性的にみられる」というのを強化してしまうという悲劇はこうして発生している。グラビアアイドルになる結論が批判されるのは、グラビアアイドルがはしたないからではなく、この構造上、偏見を強化してしまうからだ。
(胸の話の場合は実際結構大っぴらに言っちゃってることもあるが)仮に、男性が公言していなくても、市場にこれだけ溢れていたら、言ってるのと同じだ。
感想
僕もこの作品を最初感動して読んじゃったし、その感動は本物だと思う。
実際に、物語でも描写されているように、女性側からの女性への偏見というは、特にこの分野では結構ありふれている。性被害に遭った時に誘うような服装している方が悪いというのは、男性側からだけでなく、女性側から出されることも多い。たとえ、その前段階に男性から性的な目線としての1次的偏見があったしても、やはりそういう女性側からの偏見はなくしていくべきだ。
でも、こう整理すると、やはり男性的目線というか、男性側のアタリマエに対してあまりにも無批判だったことは否めないと思う。実話ではなく物語なのだから、もうちょっと批判されない流れや描写があったろうに。
いろいろなことを整理するきっかけになった。一見何の問題もなさそうな物語のどこにどんな問題があったのか考えるのは楽しかった。いい漫画だったと思う。
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