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公園があってよかった


子供の頃、
特に何をするわけでもないのに
公園に一人でいる大人は
やばいし、キモいなぁと思っていた。

周りのお母さん方も子供を
近づかさないようにしていたし、
ちゃんとした大人は
公園でちゃんとしていない大人を
怪訝そうに見ていた。


28歳になった私は
今、公園に1人でいる。
特に何もしていない。


あの頃は分からなかったけれど、
今なら何となくあの時の
ちゃんとしてない大人の
気持ちがわかるような気がする。


どこにも居場所がなかったのだ。
居場所といっても物理的な場所の話ではなく、
重くなりすぎた心を一時的に
置けるような場所だ。

私は家族にも愛されているし、
友達や恋人にも恵まれている。
尊敬できて素敵な人に囲まれている。
けれど、心の奥の奥まで
見せることはできない。
本当に悩んでいることは話せない。
なぜなら、
私が悩みを抱えていることが
誰かを悩ませてしまうかもしれないからだ。

そもそも、このぼんやりとした悩み、
ぼんやりとしているのだけれど、
暗く、強く、死にたくなるような不安を
うまく言語化できる自信もない。

言語化できたところで
家族は子供が悩んでいることを
親としての責任だと感じるかもしれない。
友達も仕事や奥さんや子供のために
毎日、一生懸命なのに
私のぼんやりとした悩みを
聞いている暇はない。
恋人も今までそんな悩みや不安を
話してこなかったから、
自分は頼られていないんだと感じて
悲しい思いをさせてしまう。

だから、私はどこにもいけない。
だから、私は公園に来た。

そんな大人はやっぱりちゃんとしていない。
けれど、私はもうそんな大人を
公園で見かけても、
やばいとも、キモいとも思わない。

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