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自伝執筆中 アメリカ滞在記

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アメリカ滞在記が出来るまでの番外エピソード編
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1984年の思い出 / あの頃の私

青春にはちょっと間に合わなかったけど楽しい時代を過ごしたUSAを振り返る。 1984年、ロサンゼルスオリンピックの頃、LA郊外の街で仲間とベーカリーを共同経営していた。サンドウイッチも販売していたのでランチに買いに来る人も多かった。バゲットを使ったサンドウイッチの中にはチキンカツやテリヤキチキンを挟んだメニューもあった。 まだ髭もない、眼鏡はかけておらずコンタクトを入れていた。永住権も取得した。 この頃のアメリカは、食パンがまずかったので、日本の食パンやアンパンを製造し

ハッシュドブラウンポテトは朝の味

アメリカ大陸を横断したことがある。 フロリダから10号線を走り、LAへ、そこからRT101でサンフランシスコまで。 横断中の食事はロードサイドのレストランで安い朝食を食べた。そして、多くの朝食をこのハッシュブラウンとパンケーキ、アメリカンコーヒーで済ませた。よくも飽きずに食べたものだと今は思い出す。そして量がゴジラにでも食べさせるのかという量!これには流石の痩せのお大食いだった私にもむりだった。周りのテーブルを観ても皆少し残している。 今となってはあのロードサイドレストラ

叔母が80歳の時に残した自分史から考える先代からの言葉。

昔話し 昔ね、あるところにお爺さんがいました...。って、いつ頃の昔なのか?そんなことをふと思った。 僕が昔話をする時、世相を語ると言うより自分の私的体験や親、親類、縁者、師、御先祖様から教えて頂いた事がほとんどだ。 考えて見ると、私の昔はそんなに遠い昔ではない。精々遡れても55年位前の話だろう!いや、ちゃんと自覚して行動した経験からくるものは、自分の足で歩き出したのが18歳とすると半世紀で、まだまだ大した歴史もない。それでも昔話をすると若い人に嫌われるというが「昔は良

Photographer "higehiro"Profile / パティシェから家族写真家になった、スーツを着ない人生

noteは8年前に登録している。しかし断片的に発信するに留まっていた。 昨年あたりから少しづつ書き始めることを再開し、今年4月コロナが収まり始めた頃から本格的に再開する。 再開するきっかけとなったのは、コロナ渦で出張撮影が減り時間が出来たこともある。もう一つ昔から下手の横好きで紙ノートなどに思い付いたことなどは書き留めていた。下手っぴなのだが書くのが好きなのである。 写真もそうなのだが、たくさん撮っていると自分の世界観がわかり”らしい”写真が撮れるようになるように、文章も

ドーナッツショップの常連/ 1979-1981 アメリカ南部で暮らす

今回はGoogle Map Street Viewで懐かしい海辺の街を訪ね、出会った人々を思い出してみました。/ Google Map Street Viewツアーで思い出すドーナッツショップの思い出です。 *画像は全て私が80年代後半に再訪した時にインスタントカメラで撮った物です。しかし画像悪すぎですね…。 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ カウンターのその席は大体空いている。 何処で買ったか今では覚えていないが、地元の新聞を抱えて毎朝買い出しの後

再び荒野へ!だったはず...

一部のSNSを休止して、ある期間のロードムービー風な自伝を書いている。 若いというのは途方もなく絶望的なほどの行動をする。28歳の私もそうだった。500ドルを握りしめ、小さな車でアメリカ横断という暴挙に出た。あれから40年以上の時が流れ、帰国、バブル崩壊、阪神淡路大震災、カフェ開業、地下鉄サリン事件、癌という死の恐怖、仕事の転機、東日本大震災、そして妻を亡くすという体験をした。少しづつ足腰の衰えを感じつつ、動けなくなる事に不安を覚える年齢に近づいてしまった。必死に散歩を続け