ゴミ屋敷のばあちゃん

ばあちゃんが死んだ。
数年前から寝たきりで、歳も80過ぎで大往生と言えると思うので、そんなに寂しくはなく、ばあちゃんも、長らく近くで介護していた母や叔母にも、お疲れ様でしたという気持ち。

ばあちゃんちはゴミ屋敷だった。洒落にならないレベルの。

そのゴミ屋敷に僕も住んでいた。しかも中学2年から高校2年という一番多感な時期に。両親が離婚して、金がなくて転がり込んだ。黒電話に薪ストーブ。およそ都心の住宅とは思えない昭和の暮らしだった。夏場は毎日のように虫が出たし、ベッドにネズミがいたことも、屋根裏にネコがいたこともある。台所はゴミで埋まっていて、いつも変な匂いがした。電子レンジが無かった。味噌汁にはコバエが浮いていた。当時は他に選択肢があるとも思えなかったし、我慢するしかないと思ってた。ゴミ屋敷になったのは、ばあちゃんじいちゃんが物を捨てないからで、新しいものを拒み続けたからだ。絶対こんなに保守的でつまらない歳の取り方はしたくないと思った。それは正直今でもそう思う。

反抗期らしい反抗期は無かったと思うけど、強いて言えばこの時期、母親よりもばあちゃんに当たってた。平日は夜まで働いていた母よりも長くばあちゃんと一緒にいたので、それも自然な事だったとは思う。今思うと申し訳なくも感じるけど、非行に走らず、その程度の反抗で済んだのが不思議にも感じる。あんなとこ住めねえって。

ばあちゃんからしてみれば、僕は孫でもあり、何十年かぶりの子育てみたいな感覚でもあったのかな。言い争うこともありましたが、育てていただきありがとうございました。

我が家はその後無事に引っ越して、当時早く家を出たいと思っていた衝動を具現化するかのように、僕は社会人になって割とすぐ一人暮らしを始めた。そこからは年に数回しかばあちゃんには会ってなかった。でも家族全員で小田原旅行に行ったり、何より自分の結婚式に車椅子で来てくれたのはとても良い思い出。その数ヶ月後には動けなくなってしまっていたので、間に合ってよかった。

唯一の心残りはひ孫に会わせられ無かった事。会いに行く約束をしていた3日前に亡くなってしまった。でも葬式に連れて行けたので、会えたって事でいいですかね。

ちなみにゴミ屋敷は数年前の台風で床上浸水したおかげで?全部水浸しになって、業者が片付けて保険でリフォームしたので今は小綺麗になってます。

よく考えたら、ここまで身近な人の死は初めてだ。多分一般的に、単に祖母が死んだというのとは少し違う、ずっと一緒に暮らしてた人の死。なんか色んなことを考える数日間だった。

ばあちゃん、お疲れ様でした。ありがとうございました。

以上

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