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東吉野村天誅組めぐり(パンフレット)

東吉野村は、明治維新よりさかのぼることわずか5年、明治維新への魁となった天誅組が最期を遂げた地で、天誅義士の方々の無念の足跡が村中にしるされています。(東吉野村天誅組パンフレットより)

ここから、東吉野村の天誅組パンフレットの内容をご紹介します。
(村長さんに許可をいただきました)
実家でスキャナーが使えず、分かりにくくて申し訳ありません。
今回の帰省で私が行ける範囲で、今後、現地レポートを書きたいと思います。
現地訪問の前の私の勉強としてまとめました。

①天誅義士記念碑
東吉野で最期を遂げた志士の事跡を伝える記念碑。

②吉村寅太郎原えいの碑
残念岩の所で力尽きた天誅組総裁吉村寅太郎は、村人の手によってこの岩の根元に埋葬され、土方直行の筆による原えいの碑が立てられました。
明治29年に遺体が明治谷墓地へ改葬された後は、この碑はここに倒れた吉村寅太郎を偲ぶ記念碑となっています。
(もと埋められたところという意味で原えいという言葉が使われています)

③龍泉寺
鷲家、伊豆尾で討たれた天誅組志士の菩提寺となっている龍泉寺は、元亀元年(1577)の開創で、境内には広く信仰を集めている野見観音がまつられ、また、寺宝の釈迦如来座像は像高47cmの小柄な像ですが、平安後期作の桧材寄木造りで県の需要文化財に指定されています。

④宝泉寺
天誅組事変の際、鷲家口に布陣した彦根勢が篝火の代わりに寺を焼こうとしたのを、当時の和尚が阻止したという謂れのある寺で、鷲家口で戦死した義士や彦根藩士の菩提寺として、毎年、11月5日には天誅組の慰霊祭が行われています。

2023年11月5日(日)午後予定
天誅組160年記念法要が宝泉寺で行われます。
ぜひお越しください。

⑤松本奎堂記念碑
最期には両眼とも見えなくなり、笠松の山中を彷っているうちに銃弾に倒れた天誅組総裁松本謙三郎(奎堂)。
その戦死の地には、優れた学識者でもあった奎堂にふさわしい端正な碑が建ち、かたわらには、最後まで奎堂と運命を共にした村上万吉の記念碑が戦後もなお従うかのように建っています。
(鷲家の国道166号線脇にこちらへの登り口があり、天誅組史跡公園があります。松本奎堂記念碑への詳しい道順、分かりましたらお知らせします。行ったことのある方は教えてください。)

⑥宝蔵寺
木津での天誅組志士の菩提寺となっている宝蔵寺は、境内のしだれ桜で知られており、春になれば、無念の最後を遂げた志士たちの想いを慰めるかのように、淡紅の花が滝のように咲き乱れます。

この他のおすすめスポット
⑦明治谷墓地(みよじだにぼち)
吉村寅太郎(土佐、27歳)、那須信吾(土佐、35歳)、宍戸弥四郎(刈谷、31歳)、鍋島米之助(土佐、24歳)、林 豹吉郎(大和宇陀、47歳)、植村定七(大和五條、34歳)、山下佐吉(大和高取、34歳)、天保高殿(常陸)、西田仁兵衛

⑧湯の谷墓地
藤本津之助(鉄石、備前、48歳)、松本謙三郎(奎堂、刈谷、33歳)、森下幾馬(土佐、30歳)、森下儀之助(土佐、33歳)、福浦元吉(藤本鉄石の従者、淡路、35歳)、藤本眞金君墓、村上萬吉(松本奎堂の従者、三河)

⑨鷲家口の戦い(三叉路近辺)
彦根藩陣所(碇屋喜助方)、彦根藩本陣(福屋治助方、現東吉野村役場)、那須信吾戦死地の碑、名所繁馬戦死地、宍戸弥四郎戦死地の碑、植村定七戦死地、林 豹吉郎戦死地

私も父の説明を聞きながらめぐってみたいと思います。
東吉野村は道が細く、近くに駐車できるスペースがない場所も多々あります。
見通しが良く、広い場所を探して駐車してください。



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