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Web2.0に見た夢、17年ぶりのウェブ進化論と、web3の未来。

生成AIが盛り上がっていますが、web3も応援したいHigashiyamaです。

web3の定義・解釈には様々ありますが、その一つにWeb2.0の世界観との対比があるように思います。
とっても雑に表現するならば、「プラットフォーマーによって牛耳られる世界」に対するアンチテーゼ的な

でも、Web2.0ってそんなダークな世界を目指していたんだっけ?と。
ということでWeb2.0という言葉で日本のウェブ業界が熱狂してた頃、インスタもLINEもスマホさえもまだなかったあの頃の名著、ウェブ進化論を読み返しました。

こんな本です。

この記事は書評的なことや要約みたいなものはせず、Web2.0ってダークな世界を目指していたんだっけ?という問いに沿っていきます。

さて、この記事の冒頭で(web3から見た)Web2.0の世界を「プラットフォーマーよって牛耳られる世界」という表現をしましたが、ウェブ進化論ではいわゆるプラットフォーマーであるGoogleやAmazonは賞賛の対象になっています
例えば、いわゆるアフィリエイトによって個人(メディア)が簡単に収入を得ることができるという新たな富の分配方式を作り上げたということで。

というのも、言うなればBefore Googleの世界では、メディアや広告は特定の企業の専売特許みたいなものだったのですよね。そんな世界に鑑みれば、GoogleやAmazonがやったことは今で言うところのディスラプションだったのでしょう。

ただそんなWeb2.0時代のディスラプターも、力を持ち過ぎてしまったと言いましょうか。データを持ち過ぎてしまったと言いましょうか。
今ではプラットフォーマーと呼ばれるくらいです。あまりにも多くのことが、彼らの匙加減次第になってしまったんですよね。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは孔子の言葉ですが、良く言ったものですね。

ちなみに徳川家康は孔子の言葉を踏まえてか、「及ばざるは過ぎたるよりまされり」という言葉を遺しています。
天下統一を経た生涯の果てに、何が家康にそう言わせしめたのでしょうね。気になります。

閑話休題。

ということでWeb2.0を振り返ると、2000年初頭までの大企業によって「牛耳られていた世界」を、GoogleやAmazonのような当時の新プレーヤー達がディスラプションする世界だったと言えるのかなと思います。

だからWeb2.0、全然ダークじゃない。むしろキラッキラ✨でした。

そこから十数年を経た今は、プラットフォーマーと呼ばれるくらい巨大になってしまったGoogle達によって「牛耳られている世界」を、web3の旗印のもと、新たなプレーヤー達が新たなディスラプションに挑もうとしていると。

まあ、相似ですよね。歴史って大抵がそうなのかもしれません。

これから10年-15年の間、web3のビッグプレーヤーが現れて、今とはまた違う形で、結局は誰かに「牛耳られる世界」になっているのでしょうか。

個人的には、プラットフォーマー含めて企業という存在の権力は相対的に弱まるのかなと。若干程度。
代わって、才と運ある強い個人が増えるんではないかと。クリエーターとか、インフルエンサーとか。
そして、才と運のない個人との経済力の格差が広がるんではないかと。

現代は個の時代とも呼ばれるようですが、経済力も「みんなちがって、みんないい」になるんでしょうか

こう問われたら、どうする家康?
答えはきっと「及ばざるは過ぎたるよりまされり」。
おあとがヒュイゴー。

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