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劇場アニメ「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」感想

12月1日より劇場公開となったアニメ「青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない」を観てきました。元々は原作が大好きで小説ももちろん読んでいたのですが、その中でも以前劇場版が公開された「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」と双璧をなすぐらい好きなエピソードなので、久々に投稿することにしました。

思い出したように「ゆめみる少女」の感想を読み直したのですが、そこでも触れていたように、「青春ブタ野郎」シリーズは要所で主人公である咲太が物語の中心に入り込んできます。それでも、「ゆめみる少女」における咲太はあくまで牧之原さん(翔子さん)に寄り添うかたちの立場ではあったのですが、「ランドセルガール」ではついに咲太自身の物語を描く、「青ブタ」高校生編のラストを飾る作品になっています。

とはいえ、本作は壮大な何かが起こるわけではなく、とにかく内面に向き合う作品になっていて、その装置として”思春期症候群”という要素があります。今回のエピソードではCMなどでも描かれているように、咲太は他人から認識されなくなるのですが、起こっている出来事ではなく、なぜ思春期症候群を発症してしまったのかが物語の核になってきます。

「青春ブタ野郎」シリーズは思春期症候群を通じて、さまざまな登場人物の関係性を描いていくものでしたが、本作における咲太が向き合う相手は家族になっています。ここから先はネタバレを含むのでまだ観ていないという人はご注意ください。

以下、ネタバレ

今回のエピソードでは、楓の思春期症候群によって心を病んでしまった咲太の母親が登場します。回復に向かう中で楓と会いたいというところから物語が動き出すわけですが、これまでのエピソードを見てもらうと分かる通り、咲太が母親について直接的に言及する場面はこれまでありませんでした。高校生にしてかえでと二人きりで生活しなければいけない中で、当然心の余裕というのは大きくはないでしょうし、それ自体は仕方ないことなのかもしれません。

しかしながら、それは目を背け続けられることではなく、だからこそ母親との再会という大きな出来事によって、咲太は無意識下で母親のことを考えないようにしていたことに気づき、そこから一度は逃げ出すもののついには向き合うことになります。

咲太がそう感じているように、母親も当時助けられなかった楓に対する負い目を感じていて、だからこそ楓との時間を大事にするあまり、咲太に対する意識が疎かになっているのだと思います。人間はそこまで多くのことと向き合えるわけではなく、だからこそ一つ一つは些細なすれ違いに過ぎないのですが、そう捉えるには家族としての時間が足りていないのも事実です。

ようはかけ違いのボタンを戻すだけの話なのですが、こと家族の話になってしまうとそれは簡単なことではなく、だからこそ最後のシーンには大きな意味があるのではないでしょうか。咲太が言葉を紡いだからこそ家族のつながりが再び生まれ、常に気を張り続けていた咲太の母親への気持ちがあふれた瞬間が見えたからこそ、楓もその姿に共鳴したのだと個人的には感じています。

これで「青春ブタ野郎」シリーズは高校生編を終えましたが、実はまだいくつかの謎を残しています。それはそのままアニメーション制作が発表された大学生編に移ることになりますが、この先も今回のような丁寧なアニメーションが作られることを願います。

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