見出し画像

映画『マリウポリの20日間』

ウクライナ映画史上初めてのアカデミー賞を受賞した本作。ようやく観ることが出来ました。

私は国際政治に関わる映画を観ると、すぐにその感想をTwitterやnoteに書き込む方なのですが、今回の『マリウポリの20日間』は、映画を観てから10日以上が経過するまで、こちらに感想を書き込むことが出来ませんでした。

書き込むどころか、私は一昨日まで、この映画を観たことを、誰かに伝えることさえ出来ませんでした。

これまで知らなかったような、衝撃的な映像をこの映画で目にしたわけではありません。
この映画の多くを占めるのが、当時唯一マリウポリに入っていたAP通信ミスティラスフ・チェルノフ記者(この映画の語り部でもあります)が記録し、世界に向けて配信した映像だからです。

マリウポリ陥落までの時期は、私が一番メディアに出ていた時期でもありました。
救命措置の甲斐なく死んでいく子供達、泣き崩れる両親、血を流しながら担架で運ばれる人々、シーツにくるまれた無数のご遺体。

この映画に出てくる映像のほとんどは、私自身が当時、様々なTV各局のスタジオで見続けたものでもありました。
当時は、容赦なく入ってくる辛い映像を前に何とか自分の心を落ち着かせながら、いかに短い時間内に効率よくコメントし、視聴者の皆様にお伝えするかに腐心する日々でした。

『マリウポリの20日間』を観て、あのときに誰にも話せず封じ込めていた、行き場のなかった感情が一気に押し寄せてきました。
この侵略と私との付き合いを、この映画を観ながら辿り直していた、ともいえるかもしれません。

皆さんにもぜひご覧いただきたいので映画の詳細に立ち入ることは避けますが、
この映画の大事なテーマのひとつは、悲惨な状況を見てしまった・知ってしまった者の苦しみと責務、そしてそれを伝える覚悟なのではないかと思っています。

マリウポリの状況は日を追うごとに悪化。通信状態も劣悪で、記者達が命がけで撮った映像の送信も、なかなか思う通りにいきません。

そうしたなかで記者達は、踏みとどまって悲惨極まりないマリウポリの記録を続けるか、それとも記録した映像を守るために、そこで苦しむ人々を置き去りにしてマリウポリを脱出するのか、という厳しい選択に直面します。

記者達にマリウポリ脱出を説得し続けた警察官は、記者達にこのように訴えます。

「もしロシア側が貴方たちを捕まえれば、貴方たちは、カメラの前に立たされて、今まで撮影したものは全て嘘だと言わされます」
「マリウポリでの貴方たちの尽力や取材の全てが無駄になってしまうのです」
(訳文は映画パンフレットに記載されたチェルノフ記者による記事から抜粋)

撮った映像を守り、世界に伝えなければならない。しかしだからと言って、ロシア軍に攻撃され、恐怖の中で死んでいくこの人たちを置いて、自分たちだけ安全な場所に逃げるというのか・・・
チェルノフ記者らは自責の念に駆られながらも、最終的には陥落迫るマリウポリから命がけで脱出する決断を下します。

この侵略では、現地のジャーナリストの皆さんが命がけで情報を伝え、それを私たち研究者が日本の視聴者向けにかみ砕いたり、日本では知られていない情報を補ったりしながら皆さんにお伝えする、という構図が出来ています。
現地で情報を集めて下さっている方々のご尽力がなければ、私たち研究者がお伝え出来ることも、大きく制限されてしまいます。現地の状況を伝えて下さる人々のことを、私たちは片時も忘れてはなりません。

いや、それはこの侵略に限ったことでも、ジャーナリストさんに限ったことでもない。
世界に対する私たちの理解は、こうして現場で見て聞いて知ったことを、なんとか外の世界に伝えなければ…という使命と責任感を背負った人たちに支えられているのではないでしょうか。

今もどこかで、自分が知ってしまった、見てしまったことを必ず受け継いで世界に伝えていく、という責任感を原動力にして、日々闘っていらっしゃる方がいる。
きっとその人たちひとりひとりに、チェルノフ記者らが感じたような葛藤や苦しみがあり、それを乗り越えて情報を世界に伝えようとして下さっている。
だから私たちはそうして発信して下さった声や情報を大切に拾い上げ、丁寧に繋いでいく。
この姿勢を忘れずに仕事を続けていかなければならない…と、この映画を観て強く思いました。
映画を見て打ちのめされたり、中傷されて傷ついたりしている時間は、私にはないはずです。
これからも頑張らなくては。


岡部先生、廣瀬先生の解説も必読。


ところで映画を観ながら、「そういえばマリウポリ攻撃が始まるまで、日本では『マリウポリ』という地名すら知られていなかったな・・・」と思い出しました。

マリウポリを「マウリポリ」と書いたり言ったりしてしまう人々が続出したり、私が某局での打ち合わせ中に、「マリウポリにはギリシャ系の移民が多いんです。マリウポリのポリはギリシャ語のポリス」と申し上げたら、とてもびっくりされたり。

そんなマリウポリは、ウクライナではロシアによる破壊と戦争犯罪の象徴になり、
ロシアからは「慈悲深きロシアが主導する復興プロジェクト」の象徴になっています。
マリウポリがウクライナ人の手に戻され、行われた戦争犯罪が明らかになる日が早く来るよう、心から祈っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?