音が流れてゆく台所で

家事を、日常生活という信仰の儀式だと考えたら 
多くの点でその時間が楽になる
家事の有用さというのは理解していて、
それはもう単純に生活の質の話なので
手心を入れるほど居心地は良くなるダイレクトに自分に返ってくる
…よね、わかってはいる
 
ただこれは、あくまでライフハックで、
時間をとめてしまいたいと願っている自分を置き去りには できないのだ

お腹はすく 頭は痒くなる 床はザラザラする 猫のトイレが臭う
猫は、彼らはご飯がなければ死ぬので 
私は文字通り自分の命を分けるつもりで
彼らのごはんだけは欠かさずに準備する
それが私の時間を刻むもしかしたら唯一の、
肯定的で能動的に存在する利他的な、杭。

利他性を認めると死にそうな気分になるからね
それくらい、命を縮める気分で自分の利他性を見てる
私はコイツに殺される可能性がある

猫との間に存在するのは永遠に埋まることのない不均衡
それだけが私の利他性を絶対的に肯定してくれる
猫と私の意思だけでは、
永遠に平等になりっこないパワーバランスの上で
それでもフェアな顔して共に居てくれる彼らを
救いと呼ばずになんと呼べるだろう
なんと呼べるだろう

パワーゲームと利他願望にすり潰されて一生が終わる
そんな気がするから
時間をとめたくなるんだ

生きろよ

私の言葉は結局そういうので
のろのろと
本当はちゃんと歩けるはずの体を運び
なんとか、何か食べようと、思う
洗濯物はもう回転を終えている
炊飯器のごはんは4時間前から私によそわれるのを待っている
外は晴れている

生きる理由は探さないけれど
どうして、という声には微笑んでやりたいと思う
頭を流れてゆく血液を励ますために
音楽をかける
Please don’t stop the music
歌ってくれますか、私のために

優しい電子機器はそっと始めてくれる
永遠に終わらない家事を
いつかの終わりへ運べるように

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