行きたくない場所へ行くのはよくない

新しい経験には、どこかわくわくするものがあります。知らない世界への一歩は、いつも心をときめかせます。
私は人以上に経験が少ないため、経験を積むために外出するのも大事だと思っています。
でも、全てが期待通りに進むわけではありません。

今日、あるゲイバーのイベントに行きました。普段はあまりセクマイ系のイベントに興味がない私ですが、あまり誘ってこない友人が誘ってきたことと、"行かなければ分からない"という好奇心がありました。
しかし、現実は予想通りで、何ともツラい時間を過ごしてしまいました。
友人には全裸でイベントに参加するなら嫌と伝えていましたが、コミュニケーションがうまくいかず、実際には全裸でとてもキツイ時間でした。

しかしこんな経験をしても、"一度は断らない"という私のポリシーは、未来の選択肢を絞るために役立っています。
一度行ってみてつらければ、次は断る理由ができるからです。でも、前に行ったゲイのナイトイベントもそうでしたが、退屈なイベントに足を運んで、気に入らない人と話をすることほど疲れることはありません。

そうして、今回のイベントに参加して、その時間にお金を払う価値があるのか、深く考え込んでしまいました。結局、行きたくない場所には行かないほうがいい、という新しい結論に至りました。新しい経験は刺激的であることもあれば、時には自分にとってツラいだけかもしれません。大切なのは、自分にとって何が価値ある経験かを見極めることが大事だなと、改めて思いました。

TPOについて

人間は、時に自分の居場所を見つけるのが難しいものです。知り合いを見つけ、しばらく楽しくお喋りしていました。しかし、座っていても、ある程度の不快感がありました。特に、全裸でいることの違和感は消えませんでした。

その中で、「触られるかもしれない」という話を耳にし、警戒していたところ、思わぬ形で接触がありました。知らない人に触られることは私にとって苦痛で、思わず強く手を払いのけてしまいました。その瞬間、周囲からは「ここではそういう態度はふさわしくない」との指摘を受けました。

私はその場所の習慣やTPOを理解していなかったことに気づきました。自らその場に足を踏み入れたにも関わらず、周囲のルールに馴染めず、反省の念に駆られました。結局、「ここは私がいるべき場所ではない」と感じ、周りに謝りながらその場を去りました。

この経験から、自分がどのような場所に適しているか、またどのように振る舞うべきかを学びました。すべての場所がすべての人に合うわけではなく、TPOを理解することの重要性を痛感した出来事でした。

敬意を示すなら「行かない」選択肢もある

日々の選択には、常に敬意が伴うべきです。それは、自分自身に対する敬意はもちろん、他人やその場の環境に対する敬意も含まれます。今日の経験から、重要な教訓を得ました。それは、自分が馴染めない、または自分の価値観と合わない場所に無理に足を踏み入れることは、時に周囲への不敬につながるということです。

行かないという選択肢は、自分を守るだけでなく、他者への敬意を示す方法の一つです。それは、自分がそこにいることで生じるかもしれない不和や誤解を避けるための配慮でもあります。私がその場所を選ばなかったら、不快な状況や誤解を招くこともなかったでしょう。そして、そこにいる他の人たちもより快適に時間を過ごせたかもしれません。

この出来事は、自分の居場所を見つけ、自分に合った環境を選ぶことの大切さを教えてくれたのです。また、自分の価値観に沿った選択をすることで、周囲への敬意を示すことができるということも理解しました。

敬意を示すことは、ただ礼儀正しい行動を取ることだけではなく、時には自分にとって適切な場所を選ぶことも含まれるのです。そして、それが結果的には自分自身だけでなく、周囲の人々にも最善の選択となることがあると感じました。

行って良かったこと

友人から話を聞きました。彼は、家族や友人が見ているSNSで自分自身がゲイであることをカミングアウトし、さらに年末年始には「彼氏」として彼氏を家族に紹介すると話してくれました。彼の声には、明らかな喜びと興奮が溢れていました。

彼は外国人で、日本での生活に寂しさを感じていることをよく聞いていました。彼のInstagramのストーリーには、日本での生活の困難や苦悩を綴った投稿がしばしば見られました。だからこそ、彼からのこの素敵なニュースは、私にとってもとても嬉しいものでした。

友達が自分のアイデンティティを大切にし、愛する人を家族に紹介する勇気を持ったことに、私は深い尊敬と感動を覚えました。彼らの未来には、多くの温かい瞬間と支持が待っているといいなと

おわり

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