自己洞察の文章を「あれは自分の悪口を言っている」と思う人がいる(自分のことです) #所感

タイトルは自分のことです。
今日はSNSを見て、何がとは言いませんが、ダメージがありました。

見ず知らず人の書いた文章を見て、「あれは自分の悪口を言っている」と思う人がいます。それはまるで、自分を見つめている鏡が突然「おまえの髪型、いつからそんなにダサくなったの?」とでも言い出すかのような感じです。しかし、それは決して鏡が反逆しているわけではなく、自分自身が言っていることなのです。なんと皮肉なことでしょう。

誰でもSNSを開くと、「自分のことを言ってる!」と胸が締め付けられるような投稿を見かけた経験があるのではないでしょうか。自分自身の悪口を言われているような、そんな錯覚に襲われる瞬間です。まるで自分のイメージが、突然ブサイクミラーに映ったような、あの不思議な感覚。あれは絶対自分のこと言ってるんじゃないかと。

なんとなく開いたSNSが、自己肯定感の低い自分への当てつけのように感じてしまうのです。
しかしよく考えてみてください。それは、案外自分自身が思っていること、感じていることを、他人の言葉として見てしまっているようです。めちゃくちゃな話です。

自分の言葉を他人の言葉と錯覚してしまう。それはつまり、「自己洞察」が少しズレてしまっているのかもしれません。自分自身に対する優しさや理解を忘れて、自分を落とし穴に突き落としてしまうのです。

「おまえの髪型、いつからそんなにダサくなったの?」この声が聞こえたとしましょう。それは鏡が言ったわけではなく、自分自身が言っていて、人が言ってるわけではありません。

私は普段の生活の中で感じたこと、見つけたことSNSやここに記録しています。ここには自分自身と向き合う場所があり、素直に自分の感情や経験を書き留めています。時にはその内容が痛いほどの正直さを含むこともあります。自分の欠点や弱点、過ちを書くことで、自己反省のプロセスを行っているのです。それは悪口ではなく、自己啓発の一環であり、自己理解のためなのです。

しかしそれを見る人はどう思うでしょうか。見る人にとって不愉快な場合、それを受け入れるのは難しいです。
だからこそ、私が自己反省の過程で書き留めている事実を「悪口」と誤解することがあるかもしれません。その誤解は、自己反省という行為を理解していないか、またはその深い意味を誤解していることを示しているかもしれません。

悪口とは他人を傷つけること。でも、このnoteで私がやっていることは自己反省、自己洞察です。他人を傷つけるつもりは全くありません。自分自身に対する誠実な反省を、他人の誹謗中傷と同じレベルに置くのは、まさに物事を見誤る極みです。

ちょっと自分自身と向き合ってみることで、誰かが言っていると思っていた「自分の悪口」は、実は自分自身からの「ツッコミ」であったことに気づくかもしれません。そうすれば、自分自身に優しくできるようになるのかな、と思いました。

なんとなく、今日SNSを開いて思ったことを、自分に当てはめて考えていました。

以上です。

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