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メルヘンなモノになぜ苦手意識があるのか

ある日、お皿の売り場に立ち、あるお皿になぜか不快感を抱き、その理由を考えていました。その時、「メルヘンだから嫌だ」という意見を聞きました。私もメルヘン調のものはどうも苦手です。造形物でメルヘン調のものを見かけると、最初はじっくりと見ますが、結局は心地良くありません。その理由は、「これを喜ぶ人がいる」という作り手の意図が透けて見えるからだと感じます。この感覚は個人的なもので、変えようがありません。

ただし、メルヘン調でも子ども向けとして真剣に作られたものには、その抵抗を感じません。違いについて考えてみると、工夫が感じられるかどうかが重要なようです。例えば、「絵本に出てくるような」をテーマにしたものは、多くの人が持つ一般的なイメージを形にしなければならないため、個性が薄れてしまうことがあります。しかし、子どものための世界を創ろうとするとき、それは個性的になり得ると感じます。

そのため、メルヘン調の家が描かれたお皿を見て不快感を抱いた原因だと気づきました。背景が不明な商業的な造形物には、不快な感情を覚えることが多いのです。

情報の強弱について

これはAIで生成された「メルヘン」の画像です。淡い色彩、角のない丸みを帯びた線、森の中の家、そして大きなキノコ。これらは「メルヘン」と聞いて多くの人が想像する典型的な要素です。このように、ある程度予測可能な要素で商品を作る際、それらの特徴が強調され、やや過剰になる傾向があるように思います。

一方で、絵本の場合は、物語を表現するためのメルヘン調が用いられるため、メルヘンの要素は主役ではなく、より控えめになります。物語の中でメルヘンの要素は、補助的な役割を果たし、全体の雰囲気を豊かにするだけに留まります。ここに、商品化されたメルヘンと絵本におけるメルヘンの扱いの違いがあるのかもしれません。

押し付けがましく感じるモノ

これまで私がメルヘンに押し付けがましいと感じる理由について考えてきました。
他にも押し付けがましいと感じるモノがあります。筆文字で書かれた「ありがとう」のカード、有名なアーティストによるイルカの絵画、そして「地域に根ざす」という言葉など、どこか胡散臭さを感じるものです。これらは、たとえ真摯に作られたものであっても、受け手の側では自然にそのように感じ取ってしまうものです。

この胡散臭さや押し付けがましさは、工夫が感じられないものに対して特に強く感じられることが多いです。
一方で、子ども向けに真剣に作られたメルヘン調のものや、物語を豊かにするための絵本の要素などは、工夫が感じられるため、同じような押し付けがましさを感じません。

このような敏感さを日常生活の中で大切にしていきたいな、と思いました。

おわり

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