他人を蔑んで自分を正当化する文章について

他人を蔑んだ投稿をする割に「私は差別をしていない」という話をする人が、ゲイには多すぎる。私はそんなことしません。ラブ🫶

これは例ですが、私はこういう文章を書く人が本当に嫌いです。最近、Xでも、Threadsでも、おすすめ欄でよく見かけるようになってしまいました。

私はこの文のどこが、何故嫌いなのでしょうか。

無自覚に他者を蔑んでいる

まず初めに、他者を蔑むような投稿をする人々について、自分たちは差別をしていないと主張していることに対する不満を表明しています。
特に、ゲイのコミュニティにおいてこのような矛盾した態度を取る人が多いと感じているようです。文章の筆者自身は、このような行動を取らないと強調しています。

この投稿が強い印象を与える理由は、主に二つあります。まず、他人を批判しながら自分はそれをしないと主張することで、明確な「私と彼ら」の区別を設けています。これにより、筆者が自分を道徳的に高い立場に置き、他者を低く見るような印象を与えます。次に、特定のコミュニティに焦点を当てた一般化により、そのグループ全体に対する批判と捉えられかねない点があります。このような一般化は、不公平な偏見やステレオタイプを生む可能性があります。

この文章の表現がキツく感じられるのは、個々の行動よりもグループ全体を批判しているように読み取れるため、不公平さや二重の基準を感じさせるからです。また、自己の行動を正当化しつつ、他者の行動を一方的に批判する姿勢が、不快感を引き起こす要因となっています。

自身の凶悪な部分を誤魔化している

文章の中で否定的な意見を述べた後に「ラブ🫶」といった表現を使うことは、言葉の矛盾を生み出しています。強い批判や蔑視を示した後で愛情や支持を表す絵文字を用いることで、メッセージの真意が不明確になり、受け手に混乱を引き起こす可能性があります。

次に、愛情を示す絵文字の使用は、自身の批判的な発言を和らげたり正当化しようとする試みとして解釈されることがあります。このような自己正当化の手法は、発言者の真摯さや信頼性を損ねる要因となり得ます。

最後に、流行りの絵文字を使うことは、通常、親しみやすさや現代的な感覚を演出する目的がありますが、この文脈では、絵文字がポジティブな意味を持ちつつも、否定的なメッセージを隠蔽するための道具として機能している可能性があります。このような使い方は、絵文字の本来の意図を曲解し、その真意を疑問視させる結果につながります。

この文章の表現方法は、読み手に誤解を招くリスクがあり、また、発言者の誠意や信頼性を問うものとなっています。愛情や親しみを表す表現が、否定的なメッセージを掩蔽する手段として使われる場合、その真意が疑われることになります。

こうして私も他者を蔑んでいる

他人を蔑む行為は、多くの人にとって時折発生することです。こうした発言をする際にしばしば自分自身を棚上げしてしまいます。つまり、他人に対する批判や評価を行いながら、自分自身はその批判の対象から外すのです。しかし、「自分のことは棚に上げている」という考え方には、他人を非難し合うような足を引っ張り合う姿勢が隠されています。

このような思考は、実際には建設的ではありません。むしろ、自分自身の行動や言葉を客観的に見つめ直し、受け入れる姿勢が大切です。
この認識を背景に、私はここで他者を蔑むような、そして同時に自分を正当化する文章を書いています。これは、私自身の行動や考えを省みる一つの方法であり、自分を認識する手段です。

おわり

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