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2019.6.6 地下、星の皮膚

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20:06
上昇するエスカレーターに乗っている。新宿駅のいちばん地下深くから、蒸した空気を掻き分けて、登っていく。クリアベースの爪先がつり革を掴んでいるのだけが見えた。トントンと、その人の親指がリズムを刻むたび、ランダムなホログラムの加工が反射で光る。次のネイルは銀色のホログラムを、人差し指に載せて貰おうと思う。3月、初めてネイルサロンに行った。ピンクベージュのワンカラー5,000円で、ものの1時間で、そのとき引きちぎれそうだった心が完璧に近くぴかぴかになったような気がした。私だけが知っている、可視光線で鉱石みたく硬化した武装。仕事が出来ないと罵られても、期待を無碍にされても、私が誰かに拳を振るっても、それはそこで光り続けている。東京の背骨を上へ下へ走りながら、ブラウンに塗り替えた爪先で私も本を持っていた。この3日間、上間陽子『裸足で走る』がもうひとつの鎧だった。通勤の皮膚皮膚と扉に挟まれて読んでいた。苦しくて、息が詰まっていた。体と心に対して大きすぎる暴力を生き抜いてきた彼女たちが、これからは、なるべく健やかに生きていて欲しい。そのために、今出来る、知ることと覚えていること。彼女たちの言葉が、記憶が、傷が、ここには永遠に残り続けている。まだ隠されている女の子たちの、あらゆる人たちの痛みがそこかしこにあることを、そうしてまた思い出す。思い出しては、アイドルへ中途半端に投げ出した体を持て余していると自覚する。書きたいことが山ほどある。知りたいことが星の数ある、そう思ってiPhoneのメモに箇条書きにしたら7個しかなかった。大学を勝手に飛び出したのは自分なのに、7個くらいなら理解できたかもしれないと、ずっと、考えてしまう。いつか、また勉強をするために学校に戻りたい。私にも何かあるのかもしれないと、ほんとうに一瞬ずつだけ、だけど何度も、あの教室では皮膚で感じられた。生きている、ことを知りたいといつも思ってしまう。だからあの日、月日がライブハウスに響き渡る音の渦の真ん中で生まれて、踊って、楽しそうで、嬉しかった。確かにここは東京の地下だけど地球の真ん中でもあった、とツイートしようとしてやめた。白い衣装の肩んとこが羽みたいできれいだね、と月日に言おうとしてやめた。アイドルの下まぶたのラメが確かに煌めくのを、中野サンプラザのうしろーーの席で観測したときからその子の下まぶたのファンなのも、誰にも話していない。それどころか、会社の席に座っているとき、完全に星になってしまうときがある。他の星の恒星でも衛星でも何でもない、限りなく隣の星と離れた灰色の、何も生きられない透明なガスで満ちた、そういう硬い星に体が化けてしまうときがある。だだっ広いその時間のことを、まだ、それ以上に感じることができない。おそらくは何時間も開いたままだったズボンのチャックにトイレでさわったとき、ヒトに戻った。生きていない、ことは悲しい、くらい浅くしか理解できないことが他にもあるような気がするのに、永劫っぽいエスカレーターで上昇しきって、つり革を落ちないよう(どこへ?)掴んで、皮膚と皮膚とドアに挟まって、電車を降りて、バスを待って、バスに乗って、バスを降りて、歩いて、庭の草を踏んで、ヒール脱ぎ捨てて、2階の猫を撫でたときにはいつも忘れてしまう。今日は書きながらここまで来たから、少し覚えていられた。左手にすずの真っ白な腹の柔さがある。右手の親指で、文字を打っている。明日は6:30に必ず起きる。そうしないと、生きていくことがいまは出来ないから。沖縄の女の子たちも、あつい夜だろうか。扇風機の風が、きゅうのいる猫ハウスとわたしの部屋を撫でている。おやすみなさい。
21:31

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