「明日のたりないふたり」1か月が経過して思うこと。(その1)

2021年5月31日、南海キャンディーズの山里亮太さんとオードリーの若林正恭さんによる漫才ユニット「たりないふたり」によるLIVE配信「明日のたりないふたり」の公演が行われた。コロナ渦の影響で無観客でLIVE配信のみでの実施だったが、アーカイブ視聴も含め5万2千人もの人がこのLIVEを見たそうだ。LIVEは北沢タウンホールで行われたが、実に東京ドームを満員にしたくらいの規模で「観客が集まった」とてつもない大きなイベントとなった。

そもそも、漫才師としてお笑いタレントとしてMCとしてとてつもない才能を日々見せている山里さんと若林さん。この二人をTVで見ない日がないと言っても過言ではないくらい、今のエンタメシーンに欠かせないほどの存在に昇華したふたり。しかしその二人のユニット名は「たりないふたり」。さかのぼって13年前の2009年に放送された深夜番組から始まったこのユニットは、その後何年間にもわたって不定期に放送され、またお互いがパーソナリティを務めるラジオに「乱入」し合い、文字通り「トークのボクシング」を繰り広げていた。お互いに「リスペクト」「嫉妬」「ライバル心」「仲間意識」を交錯させ合いながら、複雑に絡み合う感情を交錯させ続けてきた。

山里さんと若林さんの間に共通項としてあったものが、自身には「社会性」「社交性」が足りないという感覚。例えば「飲み会に行きたくない、どう断ったらいいのか?」「キラキラした世界に対する嫌悪感がどうにも消えないが、芸能界にいると避けられない、どう対処したらいいのか?」こんなことを基軸に漫才を作り、その世界線を繰り広げていく。この感性に多くの共感が広がり、さらには二人のラジオ番組リスナーがどんどん増えていった。

更には人間に誰しもある「妬み」「嫉み」「つらみ」といった負の感情を包み隠さずトークや漫才に織り込んでいった。繰り返しになるが山里さんも若林さんも共に今やTVの世界で欠かせないと言っていい存在に上り詰めている。山里さんは大人気女優の蒼井優さんと結婚し一躍時の人となり、若林さんも結婚して家庭を持ち、プライベートでは「満たされている」と世間は見ている。このギャップに二人はそれぞれに葛藤を抱えていることが、ラジオのトークからを垣間見ることができる。

また二人はそれぞれのコンビ「南海キャンディーズ」「オードリー」においての立ち位置が極めて似ている。南海キャンディーズはM1グランプリで2位になり注目を集めた。大柄で独特な雰囲気を醸し出す「しずちゃん」をコントロールするツッコミとしての立ち位置だが、そのキャラクター性が強いしずちゃんの「じゃない方」にいたのが山里さんである。オードリーもM1グランプリで敗者復活戦から決勝に勝ち上がり脚光を浴び、その後は独特な「ズレ漫才」というひな形を作り上げた。そして注目を集めたのがボケの春日さんの強烈なキャラクターであり、ピンクのベストは彼の代名詞となった。そんな中で若林さんの立ち位置は「じゃない方」であった。そんな中で、コンビのネタづくりを担っているのも二人の共通点である。

山里さんと若林さんにとって、現在のポジションに到達していくにあたっての原点にあるのが「たりない」という気持ちを持ち続けていること、そしてどんなにプライベートが満たされてもレギュラー番組がたくさん増えても、いつも「たりない」と感じていること。そこにあるんだということを、2時間にわたるライブでこれでもかと見せてくれたんだなと改めて思うのである。ちょっとだけネタバレ要素込みで…結果「満たされた世界へのヘリコプター」には乗りませんでしたから。

このライブを見た感想が、ツイッター界隈をはじめSNSで、そしてこのnoteにおいてもたくさん書かれている。「とにかく笑った」「そして泣いてしまった」「感動した」という言葉が溢れていた。中には「いったい何を見せられたのか?」という不思議な感覚を覚えた、という感想も見受けられた。自分自身、どれも当てはまったと思っているし共感できる。それに加えて思ったのが「恐ろしいな」と感じたことである。

山里亮太と若林正恭、二人ともとてつもない才能の塊だと自分は思っている。ご本人たちは決してそういわないと思うが、間違いなく天才なんだと思う。その二人がお互いの内側にある「あらゆる思い」をさらけ出し合いぶつけ合った。その結果、人間の内側に潜むものをえぐり出したようなものが見えた気がしたのだ。それは「内側に潜んでいる」ものが見えているわけであるから、それこそ「恐ろしさ」がくっついて来るのだろうと思う。昔ドラゴンクエストの中に出てくる呪文「パルプンテ」を唱えたときの「とてつもなく恐ろしいものを呼び出してしまった」その結果、その場にいた全員が気を失うという結末になる場面があったが、得体のしれない何かに遭遇してしまったような感覚があった。

たりないものとはもしかしたら本当は表に出てこない「心の奥に潜むなにか」なのかなあと、1か月が経過した今感じることである。山里亮太が紡ぐワードの数々にある世界線、若林正恭が時折垣間見せる狂気性…。これからはそれぞれの番組の中に「たりない」を見つけていけたらなと思う。ただ願わくば二人が話をしているのがまた聴きたいと思う。

もう一本、山里さんのラジオリスナーとしての視点で次の記事を書こうと思っている。



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