それで、どうする?がない。

ふと、上岡龍太郎さんの話していたことを思い出す。とりわけテレビにおける報道におけることに顕著なのだが「日本には、実はヒューマニズムは無くて、センチメンタリズムばかりだ。」1995年に起きた阪神大震災直後に、番組内で上岡さんがこう言った。「可哀想」「悲惨ですね」「辛いですね」それを全面に押し出してくる。「こうすれば可哀想な状況から脱却出来る」「悲惨な状況から立ち直るにはどうするのか?」に言及しないと。
上岡龍太郎さんはこの後しばらくして、テレビの世界から引退をした。これは勝手な推測になるが、「テレビの中にもういなくていい」と、阪神大震災の後に感じたのではないのだろうか?自ら身を引くきっかけのはひとつであったのではないか?こう思うのである。上岡さんは自らの芸能生活のラストを、舞台に求めた。「テレビを幕引きの場にはしたくない」そんな風に思ったのではないか?

阪神大震災の後にも数々危機的なことがあった。東日本大震災に武漢熱(コロナ)による社会への大打撃。その度に「センチメンタリズム」が前面に出た放送がされる。そしてひたすらに批判が渦巻く。「ならばどうする?」が圧倒的に足りていない。

かく言う自分もこうして批判めいたことを書き連ねているだけではないか? そうならないために、足りない頭を回して考えることは常にしなくてはならない。仕事を通じて、外出を避けることが出来る手だてを考える。日常生活において、ちょっと行動を変える。

そしてやっぱり「人のせいにはしない事」これが肝要になってくる。

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