【児童文学評論】 No.315 2024/05/31


◆ぼちぼち便り◆

5月の読書会は、『あした、弁当を作る。』(ひこ・田中/著 岡野賢介/装画 講談社 2023年2月)を課題本に選びました。先日、第64回日本児童文学者協会賞を受賞しましたが、課題本に決めたのは、1年前です。

主人公で中学一年生の龍樹(タツキ)は、ある朝、専業主婦の母さんに「タッちゃん」と呼ばれて、背中に軽く手をふれられて送り出され、ゾクッと寒気がしてしまいます。そして、学校で、級友のマシロが自分で弁当を作っていると聞いて、自分で弁当を作ることにします。しかしながら、母親には悲しがられ、父親からは勉強さえすればいいと言われます。登校時にいっしょになる3人の友だちは、からかったり、成長期だ、反抗期だと言ったりしながらも、タツキを見守ってくれます。そんな中、タツキが弁当を作り続け、洗濯をも始める13日間を描いています。

多くの参加者が、自分の経験と照らし合わせながら発言したことと、リアリティについて発言したことが心に残る会でした。

まず、タイトルと表紙について、読む前にタイトルを見て、哲学的にとらえた。「あした」という言葉が、「あたし」とも読めてしまって、男子がお弁当を作るという内容とのギャップがおもしろかった。「あした」のあとの読点と、「作る」のあとの句点に、主人公の逡巡と強い決意を感じる。表紙のロゴがいい。イラストのお弁当は、躊躇なく食べている姿から自分で作ったように見える、などの発言があり、表紙のイラストのタツキのイメージについては、ぴったりだと思ったという人と、あまりぴったりこなかったという人がいました。

主人公のタツキについては、母からの自立を求める中学生をうまく描いている。冒頭を読んで中学生になって反抗、自立が始まったことがわかり、「おめでとう」と思った。タツキはまわりをけちらさず、思考力がある。自分の知っている中学生以上に、よく考える中学生だと思った。中学生の有り余るエネルギーが「ああかな」「こうかな」と考えるところへ行ったと感じた。帰宅部じゃなかったらもう少し違ったかもしれないと思った。自分は高校生のとき反抗期だったので、中学1年生でここまで考えるのは早熟だと思った。母とは20歳ぐらいからぶつかり合った。こんな両親なのに、タツキは自分で物事を考えてえらいと思った。お行儀がいいと思った。

一人っ子であることが親の愛情を一身に受けることになったと思う。娘なら違う物語になったのではないか。自分は一人娘なので、タツキの気持ちがよくわかる。私の母は専業主婦で、100%なんでも知りたがり、「結婚しても一緒に住もうね」と言われ続けた。そこで、自分は働くお母さんになろうと決意した。タツキの反抗がゆるやかなのは、あまり反抗したら、お母さんがかわいそうと思って言えなかったのだと思う。 「母親にいろんなことをしてもらってるけど、させてるだけで、ぼくは自分のことをほとんど何もしていない。みんな母親にお任せだ。それを当たり前だと思っていた。というか、当たり前だとも考えていなかった。何も考えていなかった。」に続く、「なんだろ、これは? なんだろ、ぼくって。」(p.61)という文を読んで、この本で冒頭から書かれていることが腑に落ちた。自分自身を改めて考えることだということがわかり、キーポイントとなる言葉だと思った、などの感想が出されました。

タツキの両親については、ひどすぎる。両親ともに問題を抱えている。こんな親なら独立したくなる。今の家族からみると前時代的に感じる。パターン化されていて、昭和のステレオタイプだと思った。結末で、二人が大きく変化したら、嘘だと思ったが、母親から少し歩みよりはあるものの、変化しない両親とタツキが生きていくという結末に納得した、などが語られ、母親については、子離れできず、とまどう母親像が描かれていると思った。子どもにべったりの母親の態度にいらいらした。趣味を持つべきだと思った。「タッちゃん」とちゃん付けで呼ぶところに密着を感じる。これは、幼馴染のカホが、タツキに、自分を呼び捨てにするように言うところと呼応している。中学生の子どもにはふさわしくない母親。母親の子どもに対する態度は幼稚園のときで止まっている。母親は夫の代わりに息子を求めている。父にもタツキにもいい顔をしようとする母親は、父の前では従順で、タツキの前では父親の悪口を言う。ランチョンマット、コースター、手作りのお菓子など、出てくるものから母親のこだわりが伝わってうまい、などの発言の一方、専業主婦でもいろんなことをしている人もいる、専業主婦への偏見を感じた、という発言もありました。父については、もっと描かれてもいいと思った タツキと父親の対峙ももっとあってよかった、という意見が出ました。

そして、家族のありようは外からはわからないが、家族ごとにまったく違う。親は、子どもをマネージメントする必要があるが、子どもを支配することもあり得る。親子ともに何気なく投げていた言葉にお互いが支配されることもある。知らないうちに、家族に対して自分の役割を決め、自分を縛ってしまっていることがあると思った。自分と義母との関係を考えてしまった、など家族のありようについても語られました。

友だちについては、恋愛関係ではなく、男女を感じさせない友情関係が描かれている。マシロはしっかり者だと思った。マサルの「オレ、大人の男は泣かないようにしないといけないんだったら、ずっと子どものままがいいなあ」(p.220)に共感した。軽妙な会話だと思った。中1にしたら大人っぽい会話に感じた、などの発言がありました。

お弁当についても、多くの人が自分の思い出とともに語りました。タツキがお弁当を作ってみようとするのに感心した。こんなに豊かな冷凍食品があるのかと驚いた。この作品を読んで、いろいろな状況の子どもがお弁当を作ってみようかなと思うこともあるのではないかと思った。自分はお弁当を作ってもらっていたが、何の疑問も感じなかった。自分は残り物を自分でつめていた。自分は病気をしていた母にかわって、父がお弁当を作ってくれた。今も弁当を作り続けている。自分で作ると言ってくれた子どもや夫はいない。もし、子どもがお弁当を作るというと、食材や、朝の段取りなどを考えると母親はかなり迷惑だと思う。お弁当はいろいろな思いがあって作られ、個人差がある。食べることって何かという問いとかかわる、などです。

この作品全体に関しては、親子や夫婦関係について考えさせられる作品だと思った。主張が先にあるように感じた。いいところに目をつけているが、はっきり打ち出しすぎのように感じた。ヨシタケシンスケの絵本を思い出した。得意とは? 好きとは?について考えてしまった。いかなる立場、年齢の読み手にとっても響くテーマだと思った。以前、同じ作家の『お引越し』(ひこ・田中/著 1990年)を読み、映画も観た。今の子どもの状況をとらえているのは、さすがだと思った、などの意見が出されました。

私は、今回、読書会に参加して、多くの人が自分自身にかかわらせながら読んだことが印象深かったです。改めて作品を読むと、他の級友は登場しないなど、意図的に限られた設定で 時間も13日間と限定されており、今は少なくなった専業主婦の母親と男尊女卑の考えを持った父親が登場します。これは、リアルな現実(もちろん、今もこういう家庭もあるとは思いますが)を描こうとしたのではなく、現実を戯画化することによって、家族や友だち関係や、ジェンダーについて読者が考える仕掛けになっているのではないかと思い、そのことがとても興味深かったです。(土居 安子)

<財団からのお知らせ>
● 英語圏児童文学会 西日本支部 夏の講演会「イギリスで始まった絵本の仕事 絵本作家 きたむらさとしさん」
日 時:6月 29日(土)14:00~16:00 ※申込期限:6月 26日(水)
会 場:大阪府立中央図書館 多目的室 定員:60人 参加費:一般1000円
※ 後日、動画配信あり。動画配信のみの申し込みも可。
主 催:英語圏児童文学会 西日本支部 (IICLO共催)
詳細・お申し込みは
Peatix https://lecture2024-jsclewest.peatix.com

● 40周年記念フォーラム「童話を語る・絵本を描く-童話・絵本のつくり手を目指すみなさんへ-」
「第40回 日産 童話と絵本のグランプリ」の表彰式(3月 9日)で開催した、本グランプリ審査員による、40周年記念フォーラムを当財団 YouTube 公式チャンネルで無料公開しています。ぜひご覧ください。 詳細は
http://www.iiclo.or.jp/07_com-con/02_nissan/index.html#40forum
〔YouTube〕 https://youtu.be/siMJpFcPydY

● 第16回アジア児童文学大会
大会テーマ:平和を希求するアジア児童文学
開催日:8月24日(土)、25日(日) ※ 有料、要申し込み
会場:関西学院大学 西宮上ヶ原キャンパス
上記イベントの詳細およびその他の講座・講演会、展示会、公募情報については、こちらからご覧ください。↓↓
http://www.iiclo.or.jp/03_event/04_other/index.html

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オランダ語の子どもの本こぼれ話(5)
                        野坂悦子

3月には、ベルギー・オランダ語圏(フランドル地域)の読書運動や紙芝居の動きを実況中継させていただきました。この二十年間、現地ではルーツの違う人達の数がとても増え、その受け入れに図書館が先駆けの役割を果たし、ときには多言語の紙芝居も使われていることなどに触れました。
前回少し触れたボランティア団体Verhalenweverij (お話の織り手)に同行し、3月30日にはFadasil(1)が運営するマヘレンの難民センター (2)を訪問することも許されました。センターに足を踏み入れたとたん、「カミシバイ、カミシバイ」と歓声をあげる子どもたちに取り囲まれて、目を丸くしましたが、それはこの団体では月に1-2度の訪問の際、かならず「カミシバイkamishibai」「本boekjes」「おやつkoekjes」「工作knutselen」のプログラムで活動を行っているからです。Verhalenweverijを率いるヒット・スマンスさんによれば、「いろんなことを経験してきた子どもたちなので、決まった形が安心を与える」のだといいます。そして、紙芝居は、どこでも大人気なのだそうです。
ベルギーの難民センターは、使われなくなった兵舎が多いそうですが、ここはもともとホテルだった建物のため、家族で1部屋に住めるうえ、入り口や廊下、階段の壁には壁画が描かれ、集会室もあり、外には遊具も置かれていました。それでも人里離れた立地条件、訪問者をチェックする受付、厳重に鍵がかけられた事務室を見ると、やはり管理に神経を払っているのがわかります。
300名以上が暮らす難民センターの中で、12歳以下の子どもは全部で21人。その半数以上の11名がホールに集まりました。出身国はトルコ、コソボ、アフガニスタン、ブルンジなど様々です。見学するつもりで同行した私も、『おおきくおおきくおおきくなあれ』(まついのりこ作、童心社)をオランダ語で演じることに(3)。ヒットさんは「多言語の紙芝居がもっともっと必要で、自分たちでも制作した作品を、オンラインで販売しています」と話していましたが(4)、今回、日本の紙芝居の持つ強い力を発見できたそうです。共感の文化としての紙芝居を理論的に考え、創作に生かしてきたまついさんの名作を紹介できてよかった、と思いました。帰国した今、日本でも難民申請中のご家族やその子どもたちと一緒に、紙芝居を楽しむ場が作れないか……と、私は考えはじめています。

さて、子どもの本の話題に戻りましょう。実はベルギーとオランダ滞在中に、あちこちから、ベルギー・オランダ語圏とオランダでは「子ども審査団」のやり方が異なり、選ばれる作品も全然違うという話が聞こえてきました。賛否両論の声も。私はこれを機に色々調べてみました。
「子ども審査団」はベルギーではleesjury(5), オランダではkinderjury(6)と呼ばれているものの、どちらの国(7)も、子どもが審査員になることに変わりはありません。(「子ども審査員」と呼んでもいいのですが、従来の表記に倣って本稿では「子ども審査団」とします。)
今回は、オランダの「子ども審査団」の現在をご紹介しましょう。始まったのは1988年。今は6歳から12歳のオランダの子どもなら、だれでも書店、図書館、学校、インターネットを通して投票できるシンプルなシステムになっています。6~9歳部門、10~12歳部門の二つのカテゴリーがあり、それぞれ最終的には1冊の本が「オランダ子ども審査団賞Prijs van de Nederlandse Kinderjury」として選ばれます。「どの本が最も優れているかを決めるのに、子どもたち以上にふさわしい存在はない」という考え方をもとに、読者の子どもたちが4月10日~5月24日の投票期間に投票、最も多くの票を集めた本が受賞作となります。
子どもたちは前年度出版されたオランダの作家の本、あるいは翻訳本をできるだけ多く読み、投票に準備します。「Kinderjury2023」というような形で、その年のロゴが印刷された本ならすべて投票の対象になるそうです。そして投票前の読書週間Leesweken(2024年は2月7日~4月9日)になると、CPNB(8)が前年度のベストセラーと、貸し出し件数が多数だった作品、全50点からなるリスト(tiplijst)(9)を提供します。リストは6歳~9歳向けの25点、10歳~12歳向けの25点で構成され、子どもたちの読書をさらに後押しします。

気になるtiplijstには、どんな作品が並んでいるのでしょう? 2023年度6歳~9歳部門の25冊には、日本でも訳書の出ているパウル・ファン・ローンや、ティベ・フェルトカンプ、カリー・スレーなどの作品が入っていました。10歳~12歳部門でも同じく、ファン・ローンとフェルトカンプの作品が選ばれていて、根強い人気がわかります。フェルトカンプの『この世界が好きだった少年De jongen die van de wereld hield』(10)は、2024年ワウテルチェ・ピーテルセ賞にも輝き、大人にも評価されている作品です。アンナ・ウォルツの新作『クモと鍵De spin en de sleutel』(11)も入っていました。ウォルツは『ぼくとテスの秘密の七日間』『おいで、アラスカ!』(共にフレーベル館)の2作が日本の青少年読書感想文コンクールの課題図書に選ばれている作家です。全体的には、読みやすく、エンタテイメント性の強い作品が多く見受けられました。
なお今年の投票では、初めて二段階方式が取られたそうです。4月10日~24日まで、子どもたちはまずお気に入りの本に投票。その中からトップ3が発表され、5月15日から第2回目の投票が行われます。そして5月24日に、二つの年齢層それぞれで、受賞作が1作ずつ発表されるのです。主催者はCPNBとDPGメディア。2024年にはのべ40000人の子どもたちが投票に加わり、子どもたちで満席になったホールでの授賞式は、例年通り、様々なメディアで報道されました。
6歳~9歳部門の受賞作品は……YouTuberのルトヘル・フィンクとトーマス・ファン・フリンスヴェンが共作した『ルトヘル、トーマス、パコの冒険:遊園地De avonturen van Rutger, Thomas en Paco: Het Pretpark』(原案サンデル・メイ、ビリー・ボーンズ出版)(12)です。作者たちは、同シリーズの『魔法の首輪』と『タイムマシン』で2022年、2023年にも同賞を受賞していて、この作品はシリーズの第3巻目。ルトヘル、トーマスと二人の愛犬パコは、特別な遊園地「パコランド」の開園式に招待されます。三人は遊園地の所有者、ネズミのイロナに園内を案内されますが、世界最大のジェットコースターに乗り、どんどんスピードを上げていくと、大変なことになって......というお話です。

10歳~12歳部門で受賞した『怒りの復讐De wraak van de furie』(ラウティンフ=サイトホフ出版)(13)も、同賞を連続受賞(2022年、2023年)しているケヴィン・ハッシング(14)による作品です。タフな孤児の少女ムスと、海賊の船長を主人公にした冒険物語シリーズの第4巻で、雰囲気のあるフルカラーのイラストはリンデ・ファースによるもの。作者のケヴィン・ハッシングは俳優でもあり、多くのアニメ―ションの声優としても人気のある人物です。「子ども審査団」の授賞式で舞台に上がった子どもたちは、彼を取り囲み、作品のことだけでなく、声優の仕事についても質問していました。

私はこうした受賞を心からお祝いしたいし、子どもたちの選択を大切にしたいと思っています。子どもの自主性を尊重する「子ども審査団」の方法は、オランダの教育とも密接に関係しています。いっぽうで、メディアの影響を強く受けたこうした本選びに、疑問を投げかける声もあるのです。
オランダで定評のある書評家のサイトJaapleest(15)では、こう指摘されていました。「子どもたちに選ばせるというのは、一見素晴らしいルールに思えるが、オランダのリストは、実は毎年ほとんど同じように見える。今に始まったことではないが、何度も出てくる問題は、子どもたちを完全に自由にさせるべきか、それとも少し(大人が)導きを与えるべきか、ということである」そしてこのサイトでは、ベルギーのシステムのほうに軍配を上げています。
ではベルギー・オランダ語圏の子どもたちは、どんな過程を経て、どんな本を選ぶのでしょう? 次回、改めてご紹介したいと思います。

(1)https://www.fedasil.be/nl
(2)ベルギーには複数の支援団体が運営するOpvangcentrum(直訳は「受け入れセンター」)が全部で105あり、Fadasilがそのうちの43か所を運営している
https://www.fedasil.be/sites/default/files/content/download/files/20240501_centres_fedasil_centra_0.pdf
(3)以下のサイトに報告記事あり(長くてすみません)
https://www.verhalenweverij.be/blog/auteur-uit-japan-op-bezoek?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR0PIzutleZH00eXH52libc7SBEarEtc2oOde-kkvsFThmtPkn-u4cl1ofk_aem_AbHKDoJDPtESKGCIqXQgGZKtxw6wIR0NlqLhcO2n5yVU5eooUbPpsH-PpTmJ8vlLwDko9iiZxyMxsG2O7cucX3qz
(4)https://www.verhalenweverij.be/#webshop
(5) https://www.deleesjury.be/
(6) https://www.kinderjury.nl/
https://www.bibliotheekzuidkennemerland.nl/collectie/jeugd-jongeren/kinderjury/wat-is-de-kinderjury.html
https://jozuadouglas.com/nieuws/wat-is-de-kinderjury/
(7)ベルギー・フランス語圏(ワロン地域)は、今回は比較の対象に加えない
(8) 「オランダ図書共同宣伝機構」と和訳される財団組織
https://www.kodomo.go.jp/event/exhibition/pdf/tenji2018-01_leaflet.pdf
https://onderwijs.cpnb.nl/over-cpnb
(9)https://www.bibliotheekzuidkennemerland.nl/collectie/jeugd-jongeren/kinderjury/tiplijst-kinderjury.html
(10) https://singeluitgeverijen.nl/querido/boek/de-jongen-die-van-de-wereld-hield/
(11) https://www.singeluitgeverijen.nl/querido/boek/de-spin-en-de-sleutel/
(12) https://www.kinderboeken.nl/inspiratie/kinderjury
https://www.youtube.com/@Furtjuh
作者の一人Rutger VinkはFurtjuhというニックネームで、100万人以上のフォローを持つユーチューバー。パートナーのThomas van Grinsvenとの動画を数多くアップしている。
(13) https://www.kinderboeken.nl/inspiratie/kinderjury
(14) https://www.kevinhassing.com/
(15)https://jaapleest.nl/kanshebbers-prijs-nederlandse-kinderjury/

(追記)
https://nl.wikipedia.org/wiki/Prijs_van_de_Nederlandse_Kinderjuryより、歴史的変遷を以下に補足します。
*1997年までは13歳~16歳の部門にも賞が授与されていたが、1998年以降はPrijs van de Jonge Juryと改称されている。
*2006年より子ども審査員の中でもいわば代表委員が作られ、各州から1人ずつ選出された12名の子どもたち(6歳~9歳6名、10歳~12歳6名)が人気上位作家5人の中から自分たちの受賞者を選んでいた。2011年から2018年にかけてこの受賞者には、Pluim van de Kinderjuryという別の賞が授与されていた。

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スペイン語圏の子どもの本から(62)
『夜明けをまつどうぶつたち』(ファビオラ・アンチョレナ作 あみのまきこ訳 NHK出版 2024.5)
 スペインの北西部ガリシア地方の出版社カランドラカ社は、ガリシア語で絵本を出版したいと26年前に創業された出版社です。多言語出版の戦略で、現在はガリシア地方ばかりか、スペイン全土で名だたる絵本出版社となりました。サンティアゴ・デ・コンポステラ市と共催しているコンポステーラ国際絵本コンクールは今年で17回目。スペインの公用語(スペイン語、カタルーニャ語、ガリシア語、バスク語)で書かれた未発表のオリジナル絵本を公募し、優勝作品を刊行しています。作者、画家名を伏せられて審査され、応募者の国籍は問われないので、スペイン以外の国の作者も多数優勝している、まさに国際コンクールです。
 この絵本は、このコンクールの2022年第15回で優勝して刊行された、ペルー人の作家の作品です。
 物語は、光のなくなった真っ暗な森で、動物たちがとほうにくれるシーンで始まります。登場するのは、アマゾン流域のジャングルにすむ動物たち。太陽は森の奥にかくれているといううわさをきき、太陽をさがそうと、動物たちは歩き出すのですが、そこにあったのは、さがしていた太陽ではなく、別の太陽でした……。
 テーマは何かといえば、自然環境の保護、ことに森林火災でしょうけれど、それより何より注目したいのは、深い黒を背景にていねいに描かれた動物たち、そして、最後に再び光がさして、姿を現したジャングルの美しさです。
 動物の視点から語られる物語は、力強く、シンプルです。じっくりと絵を見ながらページをめくっていくと、「これは、なんだろう?」と疑問がわいてきて、読んだあとには、読む前とどこか違うところに連れていかれるようです。
 よけいな説明を加えるのではなく、それぞれに感じるものを大切にしたい、そんな絵本です。どうぞ絵を見て、味わってください。
 ただ、内容とは関係ないのですが、帯にある「2022年スペインベスト児童書賞受賞作品」という言葉はひっかかりました。原書が受賞しているのは、Premio nacional a los libros mejor editados(スペイン優良編集書籍賞)の児童書部門です。この賞は、書体、絵の再現度、紙質、FSC認証をとっていること(持続可能な森林の木から作られた紙を使っている)など、編集の質と、デザイン、レイアウトなどを評価基準としています。原書は、FSC認証のついた、日本語版よりもマットな紙が使われ、吸いこまれるような深い黒に仕上がっていて、そこにセリフ体フォントのテキストが美しくのっています。内容ではなく、そういうハード面に対して与えられた賞なので。
 ともあれ、ペルーの作家による美しい絵本、ぜひ手にとってみてください。
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000361552024.html
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 今年第17回を迎えたコンポステーラ国際絵本コンクールは、5月16日に締め切られましたが、日本の方も挑戦してくださることを願って、NPO法人イスパJPのページで今年から概要を公開しました。来年も開催されるはずですので、興味のある方はご覧ください。
https://hispajp.org/noticias/premiocompostela/
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 アマゾン川について、もっと知りたくなった方は、こちらをどうぞ。
『アマゾン川』(サングマ・フランシス文 ロモロ・ディポリト絵 ゆらしょうこ訳 徳間書店 2022.7)
https://www.tokuma.jp/book/b609517.html

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◎JBBY 50周年連続講座:日本の国際アンデルセン賞作家たち・第2回
講演会「まどさん、まどしてる —「ぞうさん」の詩人 まど・みちおの世界」
日本で初めて国際アンデルセン賞作家賞を受賞した、まど・みちおの作品の魅力を『続 まど・みちお全詩集』の編者のおひとりである市河紀子さんが話してくださいます。
子どもゆめ基金助成活動のため、見逃し配信ができませんが、リアルタイム配信で、どこからでもご覧いただけます。もちろん会場参加の方は、本を手にとってご覧いただけます。読者のみなさまはもちろん、子どもの本の編集にかかわっているみなさまもぜひ。
日時:2024年6月8日(土)14:00-16:00
会場:①出版クラブビル・会議室(東京都千代田区神田神保町1-32) ②オンライン
講師:市河紀子さん(フリーランス編集者)
詳細&申込み:https://jbby.org/koza/andersen-koza/post-20185
(宇野和美)

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三辺律子です。

今月、二冊訳書が出ました。一冊は動物物語の古典『黒馬物語』を光文社古典新訳文庫から。子どものころ、大好きだった黒馬ブラックビューティに再会できて、翻訳作業はとても楽しかったです。解説を書くにあたり、作者シューウェルの伝記や『黒馬物語』の批評を読んだのですが、作品とは、時代や読者の年齢や環境によってさまざまに読まれるのだと、改めて思いました。まだ読んでいない方はもちろん、子どものころ読んだ方もぜひ。新しい発見があると思います。
 もう一冊は、『はなしをきいて』(マギー・ホーン 理論社)です。こちらは、あとがきがないので、こちらに簡単な紹介を書かせてください。ぜひ中学生~大人に読んでほしい作品です。

『はなしをきいて』
ヘイゼル・ヒルは知識欲旺盛な中学二年生。今からいろんなことについて勉強しておきたいから、友だちを作ってるひまなんてない……と思ってた。

中学にあがってから、ヘイゼルはクラスメイトたちとの距離がどんどん広がっていくのを感じていた。みんなは恋愛の話ばっかり。でも、ヘイゼルは男子にはまったく興味はない。自分が将来好きになるのは、同性の女の子かなという予感はあるけど、だれか実際に好きな子がいるわけでもない。そんなヘイゼルの目標は学校のスピーチコンテストで優勝して、去年の優勝者エラ・クインを倒すことだけだった。
同じ二年生のエラ・クインは、学校でも目立つかわいい女子で、みんなにも好かれている。地味な優等生ヘイゼルにとっては縁のない女子のはずだったけれど、ひょんなことから、エラが人気者の男子タイラーにSNS上でいやがらせをされていることを知る。
タイラーは取り巻きも多く、運動ができる彼をひいきにしている先生も多い。ヘイゼルとエラとエラの友だちライリーは意を決して校長に訴えるが、校長は三人の言うことに耳を貸さない。それどころか、エラが華やかで目立っているから、そしてSNSをやったりするから、そういういやがらせを受けるのだと暗に仄めかす。そして、地味なヘイゼルは人気者のエラに気に入られようとして、エラの味方をしているのではないかとまで言うのだ!  もう大人は頼りにならない。ヘイゼルたちは、なんとかタイラーに罪を認めさせ、罰を受けさせようと、策を練りはじめる……

女性の声は通りにくいこと、女性が服装や外見で判断されやすいこと、SNSのハラスメントでは(ハラスメントをした男性ではなく)”無防備“に情報をさらした女性のほうが責められがちなこと、など大人の世界で見られることが子どもの世界でも反復されてしまうさまが描かれている。一方、それに対し、ヘイゼルたちは連帯してさらに仲間をつのり、立ち上がる。それも今、大人の世界で起こりつつあることだろう。
でも、本書の魅力はそれだけではない。「友だちなんていても面倒なだけ」と思っていたヘイゼルが変わっていくようすには、思わず共感してしまう。友だち(人間)関係において、何気ない一言がいつまでも引っかかったり、相手の考えを想像しすぎて妄想が暴走したり、こんなに日々くよくよするなら友だちなんていないほうがましと思ったり、といったことは、だれにでも心当たりがあるだろう。セクシュアリティの問題もからみ、中学生のヘイゼルは時に失敗もするけれど、賢さとユーモア(本人は自覚していないかもしれないけれど!)で切り抜けようとする。そんな彼女を応援せずにはいられない。
ユーモアはいえば、わたしの大のお気に入りはヘイゼルのお父さんとお母さん。年の離れた第二子(ヘイゼルの弟)が生まれたことで、”子育て本“を片っ端から読み漁り、書いてあることをすべて実行すべくあれやこれやヘイゼルに気を遣うけれど、ことごとく見当はずれ。しかも、ぜんぶ娘に見透かされている。でも、そんなお父さんとお母さんの愛情が、たとえピントがずれていても、ヘイゼルを支えていることはまちがいない。そう、この本は、大人の姿勢も問うている。
負の反復を断ち切るためにも、ぜひ本書を!

〈一言映画評〉
『悪は存在しない』
 国際的に高く評価される濱口竜介監督のベネチア銀獅子賞受賞作。独特の妙なリアリティが宿るセリフ回しを、今回も味わえる。特に、村にグランピング場を造るために東京からやってくる二人の会話。一方の彼がつい車の中で大声を出したシーンとか!
 先につい感想を書いてしまいましたが、ストーリーは、豊かな自然あふれる長野県の村に、グランピング場の計画が持ち上がったことから、起こる出来事を描いたもの。代々村で暮らす村人、近年村へ移住してきた人々、政府の補助金目当ての芸能事務所側の人々、そこで働く従業員たち、それぞれの反応が描かれ、単純な対立構図になっていないところが濱口作品でした。

『システム・クラッシャー』
 9歳の少女ベニーは一度怒りに火が付くと、暴力を止めることができない。その攻撃性を、里親やグループホーム、実の母親までもが持てあまし、たらいまわしにされ、行く先もどんどん限られていく。そんな彼女に手を差し伸べたのが、非暴力トレーナーのミヒャ。
彼の愛情を受けてペニーはだんだんと”改善“していく――かといえば、話はそんな単純ではない。ふだんはごく普通の少女でも、ペニーの攻撃性は彼女から社会の居場所を奪う。システムがクラッシュされてしまうから。胸に迫るラストシーンをぜひ。

『パスト ライブス 再会』
 韓国・ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソンは互いに惹かれ合うが、ノラの家族がカナダに移住したために離れ離れに。二人が24年後にニューヨークで再開するまでを描く。アメリカで暮らすアジア系の移民のノラ、韓国で兵役を経て企業で働くヘソンのかけ離れた日常の描写が面白い。

『ドライブアウェイ・ドールズ』
破天荒なジェイミーと生真面目なマリアンは親友同士。ひょんなことから、車を届けるための配送(=ドライブアウェイ)でアメリカ縦断のドライブへ。しかし、届けるようにと手配された車のトランクに謎のスーツケースが! はちゃめちゃで超くだらないコメディで最高でした。

『オールド・フォックス 11歳の選択』
 1989年、台北の郊外。11歳のリャオジエは、レストランで働く父と、いつか亡き母の夢だった理髪店を開くことを目標につつましい暮らしを送っている。しかしバブルがはじけ、不動産価格が高騰、父子の夢は断たれるかと思ったとき、「腹黒いキツネ(オールド・フォックス)」と呼ばれる地主のシャと出会い……
映画の冒頭に、1989という年代とその年にバブルがはじけることが明記され、観客はその予感と共に映画を見ることになる。すっかりひきこまれました。

『ホールドオーバーズ』
1970年代、マサチューセッツ州に全寮制寄宿学校。クリスマス休暇に寮に取り残されたのは、嫌われ者の教師ポールと、母親の再婚で居残ることになった学生アンガス、食堂の料理長で、息子をベトナム戦争で亡くしたばかりのメアリー。切なさをユーモアで描いているところが、とっても好みでした。

『WALK UP』
映画監督のビョンスと、インテリアの仕事を目指す娘ジョンス、それから、インテリアデザイナーのヘオクの三人が四階建てのアパート(地下がヘオクの作業場、1階レストラン、2階料理教室、3階賃貸住宅、4階芸術家向けのアトリエ)で織りなす人間模様。ホン・サンス監督の作品って、なんかへん……! クセになるクセがあるので是非一度味わってみて。

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西村醇子の新・気まぐれ図書室 (68)  ――リアルな作品の特集――

 フィル・アール作の『アドニスの声が聞こえる』(杉田七重訳、小学館、2024年4月)は第二次世界大戦中の英国を舞台とした戦争児童文学で、ストーリーでは動物園が大きな比重を占めている。
 冒頭は、列車で田舎へ疎開する少年たちとは逆に、ひとりの少年がヨークシャーから都会の駅へ到着した場面。彼はジョーゼフ・パーマーという。父親の出征後、彼に手を焼いた祖母が知人のミセスFに預けることにしたもの。体内に怒りをたぎらせているジョーゼフは反抗的で、すぐに暴力に訴えるし他人とうまくコミュニケーションがとれない。学校でも、問題をおこす厄介な少年だとみなされていた。
ジョーゼフの一時的保護者となったミセスFだが、本当はそれどころではなかった。動物園の運営者として、戦争がはじまってから多くの動物をほかに移すか「処分」したため、現在、閉園中の動物園に残っているのは、鳥やラクダ、へび、二頭のオオカミと、そして猛獣のゴリラのアドニスだった。
シドはジョーゼフと同じ学校に通っている少女で、放課後は動物の世話を手伝っていた。そしてゴリラのアドニスが大切な家族を失って悲しんでいることを教えてくれた。シド自身、ミセスFに動物の世話をさせてもらうことで救われているとか。ジョーゼフもしぶしぶ動物の世話をするようになった。だが気になるのは、空襲がはじまるとミセスFが事務所に置いてあるライフルを持ち出し、アドニスに向けて構えていることだ。ミセスFによると、動物園が爆撃されてアドニスが街に放たれるようなことになったら、彼を撃つのが自分の「仕事」だというが、ジョーゼフにはこの説明は納得できるものではなかった。
疎開せずに残っている生徒が少ないため、転校してきたジョーゼフは小学校で目立った。そしてヨークシャーなまりをからかったいじめっ子と喧嘩し、早々と問題児ぶりを示した。元将校だったという校長は、ムチで生徒を押さえつけており、ジョーゼフも突っ張っていられなくなる。
 人を信じず、他人の気持ちに無頓着だったジョーゼフだが、動物園でゴリラの世話をするうちに、徐々に変わりはじめていた。その一方で校長の「学力テスト」におびえていた。彼は計算につよいし頭も悪くないが、文字だけはどうしても読めない。でも、誰にもそれが理解されなかった。追いつめられたジョーゼフは、シドに課題を読んでもらい、丸暗記する方法を考えつく。
そして保護者参観による学力テストの当日。校長はジョーゼフが課題を丸暗記したと見抜き、不正行為を罰する。そこへミセスFが遅れて登場し、校長のムチ打ちを阻止する。ミセスFは、校長がいうようにジョーゼフは「なまけ者ではないし、悪だくみをする子でもない。頭もわるくない」(298)と、校長が彼に貼ったレッテルがすべて的外れだと、彼をかばう。さらに彼にはどんなに努力しても「文字がページの上でじっとしていない」問題があり、その解決策は必ずみつけると。残虐行為はもうたくさんだと言い放ったミセスFは、ジョーゼフを教室から連れ出した。
 ジョーゼフはミセスFが自分の言葉をそのまま信じてくれたこと、校長にたいして味方をしてくれたことで有頂天となる。だが、ミセスFは沈みこんでいる。そして、ポケットから手紙をだした。そのとき、空襲警報もならず、爆撃機は来なかったのに、「それでも空は落ちてきた」(306)――ミセスFが遅れたのも、ジョーゼフの父親が戦死したという知らせを受け取ったからだった。
もっとも、父の訃報が物語の終わりではない。詳述は避けるが、動物園に爆弾がつぎつぎに落ちるなか、ジョーゼフの言葉に耳を貸さない人達によって、最後の悲劇の幕があがっている。
 戦争中の情景を描いた本書はリアルで、心がずしりと重たくなる。12歳のジョーゼフや級友のシドだけでなく、ミセスFのような成人もまた「強い怒りを四六時中胸にかかえて」暮らせざるを得なかった。そうした戦時中の過酷さ、大変さは、最後のアドニスの悲劇に集約され、読んでいるのがつらい結末となっている。
なおジョーゼフは、文字がじっとしていない問題をかかえていたとあるが、おそらくディスクレシア(読字障害)にあたるだろう。そして、当時は、今よりももっとこの問題が知られていなかったと思われる。

『ぼくの心は炎に焼かれる 植民地のふたりの少年』(野沢佳織訳、徳間書店2024年3月)で南アフリカ生まれの英国作家ビヴァリー・ナイドゥーが選んだのは、1950年代はじめ、現在のケニア共和国がまだイギリスの植民地だった時期だ。ナイドゥーは、ケニアの農園で暮らす白人一家の少年マシューと農園で働くキクユ人の少年ムゴの二つの視点を巧みに使い、歴史の一断面を浮かび上がらせている。
白人のマシューにとって、屋敷を取りまくフェンスはブッシュの探検への障害だった。ムゴといっしょなら、ささやかな冒険が許されるとわかっているので、マシューはたびたびムゴを遊びに誘った。一方、ムゴはキッチンで下働きをして給金を稼いでいる身で、時間が自由になるわけではない。だが主人一家のマシューに誘われると断れなくなる。叱られるのはいつもムゴなのだが。
その頃、おとなたちは、土地と自由を白人から取り戻そうとする一派「マウマウ」の動きに強い関心をもち、警戒をつよめていた。ただムゴはふとしたことから力づくで協力者にさせる「マウマウ」のやり方をみて、不信感をおぼえる。そんなとき、近所の農場が火事に見舞われる。すると、マシューの父親は従来の方針を変え、マウマウへの忠誠を恐れるあまり、ムゴ一家をはじめ使用人を全員解雇する。
さまざまな恐怖心と不信の念が絡みあったとき、それまでケニアの地で育まれてきたしきたりや信頼が壊され、白人たちは銃と力とでコントロールしようとする。そのあおりをうけるのは弱い立場の人たちだ。マシューには使用人たちが追い立てられるのを見守るしかできないし、行先も知らされずどこかへ連れていかれるムゴも無力だ。トラックに乗せられたムゴに、屋敷の元料理人が、自分たちはみな、とてつもなく大きな炎にまきこまれたのだという。「その火はだれもかれもを食いつくす(中略)だがな、その炎に心まで食われてはだめだ!」(213)と。
作者はまえがき及びあとがきで、物語の背景と物語にこめた思いを語っている。決して楽に読める話ではないが、我々もこういう歴史があったことは知っておこう。

ヴァルシャ・バジャージの『スラムに水は流れない』(村上利佳訳、あすなろ書房、2024年4月)の舞台は、貧富の差が大きく、カーストの名残りがいまだにみられるインドのムンバイだ。
ミンニの家にもほかの家にも水道がなく、日々の暮らしに必要な水を確保することは、スラムの住人の大きな負担となっている。いっぽう、水を盗み、転売して儲けている「水マフィア」と呼ばれる連中もいた。ある日、ミンニの兄サンジャイと友人とは水マフィアが水を盗む場面を目撃した。その後、二人が狙われているという噂が流れる。ミンニは、目撃したことを警察に届ければすむと思ったが、父さんは、水マフィアは警官にも賄賂を払っているという噂があるし、スラムの住人は教育もまともにうけておらず英語もしゃべれない連中だと思われているので、訴えても門前払いになるだろうという。親戚一同は相談して、サンジャイとその友人は、遠い田舎の農場へ逃し、匿ってもらうことにした。
 いっぽう、少し前から体調不良だった母さんは、倒れるまえに自分の母親がいる田舎で1カ月間休養してくることを決めた。ただ、その間にほかの人に仕事奪われないように、娘のミンニが代わりをする許可を得ていた。ミンニは、学費のいらない(教育の質の劣る)公立校ではなく、慈善団体が運営している私立学校に通学しているが、母さんによると、今年度の学費は、母さんの仕事先のアニータ奥さまが出してくれたのだという。それを聞いてはミンニも働くしかなかった。そして、母さんが出かけてはじめて、毎日どれほど多くの仕事を母さんがこなしていたかを実感する。母さんは水を汲み、料理と洗濯をし、父さんがチャイの店で出す食べ物の準備もおこない、さらにマンションでもメイドとして料理や掃除をしていたのだ。
 放課後になるとマンションに通い始めたミンニは、家事の負担と不慣れな仕事、そして仕事先での人間関係で疲弊する。学校へ遅刻する日も増えた。だが校長には特別扱いはできないと言いわたされ、大事な最終試験が近いのに、遅刻した日は休むほかなくなる。でも親友がノートを届けてくれたし、近所の人も、食べ物の差し入れをして助けてくれた。
 ミンニは、母さんが申込んでくれていたパソコン教室に通いはじめた。そのころ、新しい警察署長の主導で、公共の水を盗み、高く売りつけて金儲けをしているマフィア一味が摘発された。じつは母さんが働いていたアニータ奥さまの夫が、マフィアのひとりだったこともわかり、警察に逮捕された。
母さんは休養を終え、家に戻ってきた。検査の結果では、汚染された食品や水から広がるウィルス感染で、肝臓が悪くなっていたとか。毎日水を沸かす必要性は前から言われていたが、実行できないことも多かった。でも、ワクチン接種によって感染予防ができると知り、嬉しさもました。ミンニは、パソコン教室の指導者に教わりながら、水の利用をあつかうアプリ開発を考えはじめた。近所の人たちや親友の手助けもあって危機を乗り越えたミンニは、新たな可能性に胸をふくらませる…。
ここまでのあらすじで述べなかった要素がいくつかある。そのひとつはインドの宗教面だ。ミンニはヒンズー教徒で、親友ファイザはイスラム教徒だという。(もっとも、二人もその親たちも、宗教の違いにこだわっていない。)またコミュニティでおこなわれている<ストーリーテリング>ほか、今につづく風習や助け合いなどの文化面もここでは省いた。ケバブやロティ、ラドゥ、ウプマなど、さまざまな食べ物もインドらしいものだ。とはいえ、作者がもっとも描きたかったのは、カーストと差別に加えて、貧富の差が子どもたちの未来を左右する教育や健康面に大きく絡んでいることだろう。

 以下は日本で書かれた作品。
椰月(やづき)美智子作『ともだち』(小学館2024年3月)は、「毎日小学生新聞」に連載されたものを単行本化したそうだが、読者をひきつける作者の工夫が光っている。全16章は「〇〇の気持ち」という章題をもち、6年1組の数人に焦点を当てながら、9月から3月までの学校生活や家庭での出来事を描いている。
1章「夢の気持ち」は、勉強が苦手で運動も得意ではない男の子ジュンの視点。ジュンはときどき、事故死した父親の夢をみる。母親は自動車部品工場と知り合いの家での家事のバイトというダブルワークで生活を支えている。
2章はルイの視点。毎週火曜日は、ルイの家の隣に作られたレンタルスペースで、夕食がふるまわれる「火曜日ごはん」の日だ。子ども食堂のようなもので、常連はシン、レオン、ルイ、ミナと、彼らの弟妹。ときにスカイも加わる。その火曜日は早々とカレーができていたので、子どもたちは宿題をすることにした。ジュンがスカイに促されて宿題をとりに自宅へ戻ると、布団は干しっぱなしだし、玄関のカギも閉めていなかった!
4章「仲間の気持ち」5章「不穏な気持ち」6章「みんなの気持ち」7章「聞きこみの気持ち」…と、子どもたちの日常と小さな事件が波紋を広げていく様子が描かれていく。はじまりのひとつはシンの父親が窃盗事件の事情聴取を受けたことだった。ふだんから性格の悪いオオモリが、「父親が警察につかまるって」どんな気持ちかと大声をだしたので、クラスが騒然となる。シンの父親は翌日には警察署から帰されたが、噂は団地中に広まり、シンの祖母は心労から倒れる。スカイとジュンは、火曜日にジュンの家に行く途中で見かけた、シンの父親似の人物を見つければ、父親の無実が証明できるかもしれないと考える。ほかの子も加えて目撃者さがしをするが、それが実を結ぶ前に、窃盗犯はつかまる。しかし、クラスには事件の余波が漂い、一時は一触即発の状況になる。
 そのほか、書写の授業風景や、先生を巻きこんでの「公平さ」をめぐる議論、秋の運動会など、いくつもの場面が生き生きと描かれていく。
 最後の16章は「卒業の気持ち」。五十音順にクラスメートに卒業証書が渡されるのを見ながら、ジュンがさまざまな思いを述べる。このとき、登場人物のフルネームや漢字表記も初めて明かされ、作者による仕掛けの意味もわかる仕組みになっている。
この作品を読み始めたとき、架空の国の話でもないのに、登場人物の名前がすべてカタカナ表記だということが不思議でもあり、不満でもあった。だが、16章をみると、読者に先入観を持たせないためだったとわかり、脱帽した。カタカナの名前だけでは、その人物の肌の色を含めた外見も、家族構成もわからない。物語中に、外国籍の生徒が多いことで有名な学区だということは出てきていた(228)。その見本のような小学校だったからこそ、ときどき微妙なやりとりがあった。つまりシンの父親にすぐ泥棒の嫌疑がかかったのも、演劇発表会のとき、ミナが「肌の色」のせいでインド人役に変えられたと思い落ちこんだのも、見えにくい、つかみにくい偏見ないしはその可能性が背景にあった――作者の鮮やかな戦略に脱帽だ!

 山本悦子作『わたしに続く道』(佐藤真紀子絵、金の星社2023年11月)は、肌の色が引き起こす(人種)差別の問題を扱っている。
 物語は、3人の子どもを育てているシングルマザーの母親マミーが、ケーキ屋のシンちゃんのプロポーズを受け、わたし(リイ)たちがシンちゃんの母親と同居するところから。姓は長瀬に変わったが、前と同じ小学校に通学できるのがありがたい。マミーとシンちゃんは結婚式をしなかった。代わりに親戚の顔合わせの席をもうけたが、そのとき、シンちゃんの妹のみのりさん一家は自分たちのレジャーを優先させて欠席した。後日、みのりさんは娘の愛花と、お祝いを届けにやってきた。おばあちゃんは娘のみのりさんとはぎくしゃくしているようだが、孫の愛花には愛想よく接している。しかし、みのりさんたちのお祝いの言葉は本心ではなかった。忘れ物を届けようと追いかけたリイが耳にしたのは、「真っ黒できみ悪い。あんなのがいとこなんて」という娘と、「お兄ちゃん、人がいいからねえ」と言う母の言葉だった。そう、リイも弟たちも、ケニア人の父と日本人の母の子どもで、肌の色が黒かったのだ。
 学校内でも、肌の色のことがゴシップやトラブルのタネになる。保護者にたいするキャンプ説明会で、教室がざわざわしたとき、リイは、シンちゃんがカッコよいからだと思っていたが、どうやら「黒人の子どもの両親が、そろって日本人なのはおかしい」(39)ということだったらしい。
 リイは、顔つきや縮れ毛の髪、身長が目立つ。スポーツテストでも、男子でトップの生徒より速かった。すると抜かれたほうは、「黒人だから速いだけ」と言い放った。保育園からの親友で、いつも頼りになる真子は男子をたしなめた。そのとき、同じクラスの三島さんが、とつぜん声高に人種差別だ、と憤慨しはじめた。それって、少し違うと思うんだけどなあ…。
 リイが、「黒人だから速い」と主張する男子生徒がいたとマミーに話すと、マミーは、ダディー(リイの実父)が長距離ランナーで足が速かったからだろうという。ダディーは高校生のときに留学生として来日し、それからずっと選手をしていたそうだ。(ケニアに帰国した事情は、後日リイのケニア旅行が決まったとき、マミーから聞かされる。大学卒業後も実業団で選手をしていたダディーは、現役でいられなくなったとき、いったんケニアに戻った。ダディーがそのまま向こうで住むことにしたとき、マミーはケニアへの渡航を断り、離婚に至った。135頁)
この物語の良さは、第二章にあると思う。おばあちゃんは、前から予定していた引退後のサファリツアーに、リイを同行させてくれたのだ。詳細は省くが、「自分は日本人だ」にこだわっていたリイだが、この旅行でルーツを知ろうとする大切さを学んでいる。また、思いこみや偏見を含めたリイの未熟さが明らかになり、おばあちゃんの本心を知る機会ともなっている。
第二章は、リイのような立場に置かれた子どもの存在について、また彼らが背負っているものに加えて、我々が無意識に抱きやすい偏見をも提示することに成功している。
  *
大崎梢の『春休みに出会った探偵は』(光文社、2024年3月)の主人公は、中学生の安住花南子(あずみ・かなこ)だ。3歳のときに父母が離婚し、父子で暮らしていたが、父がシンガポールへ転勤したため、花南子は83歳の曾祖母五月(さつき)さんが大家をしている「さつきハイツ」の102号室に住むことになった。
ところが転居直後、五月さんは外出先でぎっくり腰となり、そのまま入院になったが、まわりには黙っていてほしいと頼まれる。その夜、花南子が五月さんの部屋にいると、郵便受けに宛名のない書類が入れられた。中身は近所の老人直井氏に関する調査書類だった。花南子は、病院に行ったときに五月さんに書類を渡せなかったため、前から顔見知りだった隣のクラスの根尾新太に、この件の相談をもちかけた。すると根尾も、アパートの部屋から直井さんの家が見えるそうで、最近、少し気になることがあったという。二人は、不審なできごとの謎を解こうと、動き始める。
大崎が得意とする日常生活の謎が、老人と中学生の子どもと探偵という、児童文学でも定番といえそうな組み合わせをとおして描かれている。しかし、ほのぼのとした謎解きをたのしむ推理小説集とは言えないだろう。
一例をあげると、1話目では一人暮らしの直井さんの行動が、周囲に心配と不審の念をおこしていた。そこで五月さんは(201号室の住人で、調査員をしている)今津さんへ調査を依頼していた。当の直井さんが最初留守をしたのは、自宅階段で転倒して骨折したため。そして家を訪問した花南子と根尾が発見したのは、退院直後の身で、人目に触れさせたくない衣類を庭で燃やそうとして再び転倒したところだった。今津さんは二人にはこの件の口止めをし、直井さんには、趣味趣向より「身の安全のほうがずっと重要」だし、(異性装という)趣味をあきらめる必要もないと言う。
二人は、身近に探偵がいたことが嬉しくなり、何かと相談をもちかけるが、今津さんは余計なことに首をつっこむなと、二人をたしなめてばかり。でも、今津さんを巻きこむような出来事がつぎつぎに起こるのだ。
アパートのまわりをうろつく不審人物の事件には、相続をめぐる本妻と愛人のごたごたが関係していた。また根尾が、母親に近づいてきた男性を警戒していた件では、この男性は同居相手にお金を盗まれた被害者で、行方をくらました女性を探そうと、根尾の母親たちから情報を得ようとしていた。そのほか46年前のある一族の宝石盗難事件がらみのごたごたでは、巻き込まれた五月さんが一晩中帰宅しなかったため、花南子を心配させている。
最終章では、根尾のアパートで、住人のタバコの火の不始末で、火事がおこる。近くにいた花南子は2階にいた子どもを連れ出すが、室内で転倒し、煙に巻かれて倒れていたところを、「誰か」に助け出される。後日、それが今津だったと根尾から聞いた花南子は、火事のときだけでなく、これまでも今津が花南子を助けたり守ったりしていたらしいと気づく。でも、なぜそこまでしてくれるの? 
根尾は、「今津カホル」(IMAZU KAHORU)という名前が(あずみ・はるこ)のアナグラムになっていると気づいていた。でも、そこから導きだされる今津の身元は、花南子にはすんなりのみこめないものだ。
花南子は、偏見を持ちたくないし、つねに公平でありたいと思っていたのが、思うのと実際の行動がちがうことに気づいた。自分の気持ちを今にもこぼれそうなコップの水にたとえた花南子に、根尾は、コップを大きくすればいいと助言する。「安住さんも勉強しなよ。いろんなことを学んで、本を読んだり人と会ったりしていると、たぶんコップは大きくなるんだ。」(270)と。
 各所に伏線があり、結末にも意外性とほろ苦さがまじる大崎の物語。読んだあとに、読者のコップは大きくなるだろう。

 いとうみく『真実の口』(講談社2024年4月)をかんたんに。
中学2年の周藤律希(すとう・りつき)と青山湊、七海未央(ななみ・みお)は、雪の降る中で迷子らしい女の子ありすをみつける。住所も親の連絡先もわからないため、3人がとりあえず交番へ連れて行くと、母親から届けが出ていたとわかる。母親が迎えにきたところを見届け、3人は交番をでた。自分たちは人助けをしたと思っていたし、後日感謝状を渡されたし、この件はそれで終わると思っていた。
 ところが。高校生になってから、3人はあの夜自分たちがしたことに疑いをもつようになった。ありすの気持ちを確かめずに巡査に預けたことで、もやもやしていたのだ。そんなとき、湊がコンビニの外で母親が出てくるのをじっと待つありすを何度も目撃する。それをきっかけに、3人はコンビニの外で張り込みをして、ありすの家をつきとめる作戦をたてた。
 すると、ありすは(ぱっと見えない状態で)ひもにつながれて外にいた。しかも身体にはあざもある。そしてありすが望んでいるのは、「パパ」に会うことだとわかる。3人は、ありすが持っていた配送伝票をもとに、願いをかなえて、熱海にいる「西村尊」にありすを会わせようと考えるのだが……。
 いとうみくはうまい! 心やさしき高校生が人助けをする――という定型にはまった物語のように思わせておいて、そこからずらしをおこなっている。なかでも、ありすの言葉から勝手に西村尊を「パパ」だと思った3人は、ありすを西村尊に合わせれば彼がありすを引き取り、問題もすべて解決するものと、甘く考えていた。だから、西村尊がありすの母親と同居していた時期があるだけで、ありすとは血がつながっていないと聞かされて、あわてふためいている。彼の話から、ありすの母親にも、考慮すべき事情があることもわかった。とはいえ、どちらにしろ、高校生にはありすを助ける力はない。そのことをみとめた3人は、「児相」つまり児童相談所に頼ること、ありすのためには状況の説明役を果たそうと決断する。西村尊も、説明役での協力を申し出てくれた。
 結末はほろ苦いが、明るさはみえる。

 締めくくりに今年の2月に刊行された『ぼくはういている』(なかがわちひろ作、のら書房)を。
一平くんは、日頃から、ぼんやりしているときや何かに夢中になっているとき、少しだけ浮きあがる。あるとき、クラスメートのほのかさんが自分の同類だと気づく。思い切って話しかけたら、ほのかさんは、胸のなかに風船があるみたいだと教えてくれる。
 ところが、ほのかさんが沈んでいる日があった。話をきくと、飼っていたペットを自分のせいで死なせ、つらい思いをしているそうだ。一平が慰める言葉をまだ見つけられないうちに、何も知らない校長が彼にドロップをふたつくれた。一平はほのかさんに、風船の種だよといって手渡す。
 あれから1週間。ほのかさんは浮いていない。でも、クラスメートとペットの話をしていて、みんなも楽しそうだ。ぼくは、浮くことを自分の特技だと思うようになった。
 一平の声の活字と、ほかの人との会話部分の活字を変えて表現する工夫がみられる。ユーモラスで、ほんわかとした気分が味わえる。なかがわの持ち味が出ていて秀逸な絵物語だ。本日はここまで。  (2024年5月)

*以下、ひこです。

【絵本】
『戦争は、』(ジョゼ・ジョルジェ・レトリア:文 アンドレ・レトリア:絵 木下眞穗:訳 岩波書店)
 「戦争」とは何かを次々と語っていきます。「戦争は、何も聞かない、何も見ない、何も感じない」。「戦争は、憎しみ、野心、恨みを糧とする」。「戦争は、物語を語れたことがない」というのが恐ろしい。絵もまた、淡々と「沈黙」を描いていて、「戦争」が伝わります。
https://www.iwanami.co.jp/book/b643142.html

『もし、世界にわたしがいなかったら』(ビクター・サントス:文 アンナ・フォルラティ:絵 金原瑞人:訳 西村書店)
 「言葉」による自己紹介絵本です。それを読んでいるわたしは、「言葉」の存在の様々な顔や機能を知り、改めて「言葉」について考えることが出来ます。そして、それを考えるにはやはり「言葉」が必要なのです。
http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/19043

『漢字なりたち絵本』(谷山彩子 あすなろ書房)
 数々の象形文字のなりたちを解説していますから、親子で一緒に読みやすいです。知らないなりたちも発見できます。わたし、「半」が、牛の頭を半分に切った形とは知りませんでした。これから使うとき、怖くなりそう。
http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751531280

『ひき石と24丁のとうふ』(大西暢夫 ありす館)
 大西さんは、優れた写真家、映画監督であると同時にノンフィクションライターでもあると思っているわたしは、『おばあちゃんは木になった』など、今でも時々読み直して、自分の生きる糧としていますが、本作も震えました。
 岩手県の山奥深くにその豆腐屋さんはあります。豆腐を作って売っているのは小山田ミナさん、九〇歳。お歳と、目がよく見えないこともあって一日に作れる豆腐は24丁。毎日毎日、大豆を煮て、石臼(ひき石)をひきます。「これ以上、何も欲しいものはない」と笑顔で言い切るミナさんにこそ、幸せはあるのでしょう。
https://www.alicekan.com/books/8829/

『あみあみあみちゃん』(麻生かづこ:作 うえのよう:絵 ポプラ社)
 あみちゃんが花を髪の毛に編み込むと、そこにうさぎが編み込まれにやってきて、クマが、リスが、ことりがと、想像力は拡がります。おまけに空にまで浮かんでしまう。この、不思議なわくわく感は春だからでしょうか?
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2083097.html

『エリック・カールのグリムどうわ 5つのおはなし』(エリック・カール:再話・絵 木坂涼:訳 偕成社)
 「しあわせハンス」「りょうしとおかみさん」「おやゆびトム」「3本の金いろのひげ」「7つの命をひと打ち」の5つのお話です。『イソップものがたり』のときと同様、エリック・カールが、楽しそうに絵を付けています。
https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033486505#:~:text

『きみとぼく』(谷口智則 ぶんけい)
 ねずみのチュータとゾウのパオは大の仲良し。大きさが違ったって、重さが違ったって、関係ない。でも、パオが高い木の枝から穫ってくれたリンゴをチュータが独り占めしようとして……。信頼しているだけにがっかりも大きいし、信頼しているだけに仲直りもできますね。
https://common.bunkei.co.jp/books/4511.html

『しごとのどうぐ』(三浦太郎 偕成社)
 2005年ボローニャ国際絵本原画展入選作品をもとに、イタリアで出版された絵本の初邦訳だそうです。これ、やりたかったテーマです。
 道具を見せて、次のページでその道具を使う職人を当てる。シンプルで、楽しい絵本です。色んな道具があるものです。まだ、『ちいさなおうさま』のように単純なパーツ化はされていませんが、すでに今で言うフラットデザイン的な雰囲気はあります。好きだわあ。
https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033286709

『ワレワレはアマガエル』(松橋利光:文・写真 アリス館)
 カエルといえばもう、松橋さんなのですが、本作はアマガエルの暮らしを徹底的にレポートしています。もちろん、アマガエルの暮らしを知らなくったって困らないのですが、松橋さんの情熱に寄り添うことはとても楽しいです。
https://www.alicekan.com/books/8718/

『人間は料理をする生きものだ』(森枝卓士:文・写真 福音館書店)
 動物を皮ごと骨まで食べられない人間は料理をします。消化しきれない植物も料理して食べられるようにします。そんな人間の営みを描いた写真絵本です。「食べるときに、わたしたち人間が大切にしていることがあります。『いっしょに食べる』ということです」。確かに。
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=7352

『あなたにぴったりのふく つくります』(小渕もも 岩崎書店)
 森の奥にある、ことこさんが営む洋服屋さん。森のどうぶつたちが、服を作ってもらいに来ます。ことこさんは柄もサイズもぴったりにしあげます。着るととても気持ちいい。楽しい洋服がたくさん出てきます。
 私も裁縫好きの知り合いにいくつか作ってもらったことがあります。気持ちいいのですが、そのアリジナル性みたいなものはちょっと重かったです。
https://www.iwasakishoten.co.jp/news/n104606.html

『フルーツそっくりイピゴちゃん』(令丈ヒロ子:作 山本まもる:絵 あかつき)
 フルーツそっくりに化けるのが授業だなんてユニークな発想の新シリーズ絵本です。イチゴに変身するイピゴ。パイナップルのパイナップリン。メロンのメロリと、登場人物も超絶分かりやすい設定です。山本まもるの絵は、すぐにもキャラクターにして発売できそうな感じ。
https://www.aktk.co.jp/archives/book/10991

『MAPS+ 新・世界図絵』(アレクサンドラ・ミジェリンスカ&ダニエル・ミジェリンスキ:作 徳間書店)
 前作は大ヒットしましたが、たった42カ国と地域でした。そこで「+」、24カ国と地域の追加です。それぞれの国の文化と歴史を分かりやすく、見やすくイラストで紹介しています。ここから、興味を持った国の知識を増やしていけばいいと思います。ノルゥエー、デンマーク、大韓民国、イラン、トルコ、台湾などなど、まだ紹介されてなかったの?!の国と地域が満載です。
https://www.tokuma.jp/book/b644640.html

『マークのえほん』(児山啓一:監修 林四郎:イラスト ポプラ社)
 企画がいい、「もっとしりたいぶっく」シリーズの5作目です。
 標識やピクトグラムを幼児向けに紹介しています。当たり前ですが、見て意味がわかりやすいのが標識ですから、何の標識かを当ててみたりして遊べます。遊んで覚えるわけ。
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2145005.html

『おすよ おすよ』(よしだるみ:さく エディション・エフ)
 こぐまが、おきにいりがいっぱい入った大きな木箱を押していきます。反対側からもう一匹が、これもやっぱりおきにいりを入れた大きな木箱を押してきます。「ぼく」と「わたし」、二匹はどちらも譲らず、木箱が壊れてしまいます。二匹は自分のおきにいりを拾い集めますが……。
 争いから、仲良しになる過程が、どういうことかをかわいく示しています。
https://editionf.jp/news/1288/

『パンダのおさじと ふりかけパンダ』(柴田ケイコ ポプラ社)
 『フライパンダ』に続く2作目です。このふりかけをかけると、パンダのおさじが現れて、食の好き嫌いをなくしてしまうのです。なんかすごい。守らないといけないお約束があって、当然ながらそれを破って、えらいことになります。じゅもんが楽しいです。
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/2144002.html

『つるわるつ』(林木林:作 岡本よしろう:絵 文研出版)
 「つるわるつ」とは「つるワルツ」。回文です。この絵本は、全ページ回文でできているのですが、つると一緒にワルツを踊る動物たち、横で踊る動物たちが、次々と消えていきます。なんだか、大きなトマトが怪しげ。楽しく、怖いです。
https://www.shinko-keirin.co.jp/bunken/book/9784580824195/

『ウンム・アザールのキッチン』(菅瀬晶子:文 平澤朋子:絵 「月刊たくさんのふしぎ」471号 福音館書店)
 イスラエルで暮らす、キリスト教徒のアラブ人ウンム・アザールの毎日を1週間になぞらえ、曜日ごとに料理人である彼女の美味しいレシピを添えて描いています。極めて微妙な立場にある彼女の毎日を、「紛争」ではなく「日常」の姿として眺めて欲しい、菅瀬の気持ちが伝わってきます。本当はそこから知っていくのが大事なんですね。

『画の悲み』(国木田独歩:文 miya:絵 文研出版)
 「エコトバ」シリーズ最新刊。古典の短編に新進のイラストレーターが挿絵を付ける絵本です。子どもの頃、嫉妬と自尊心を抱いた親友の喪失までを描いていますが、押さえた筆致による叙情が印象を深くします。最後の一行が、きます。Miyaは、様々な構図を駆使して、読者の感情に迫ってきます。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784580826335

『せかいのみんなのパンパンパン!』(クリスティーナ・キンテロ:ぶん サラ・ゴンザレス:え 星野由美:やく ほるぷ出版)
 いろいろある世界中のパンを作ります。男も女も、子どもも大人も、様々な国の人たちがみんな一緒に作ります。その楽しさがパンを一層おいしくします。知らないパンもあるなあ。あ~、食べたい。
https://www.holp-pub.co.jp/book/b643883.html

『ナガノさん まっちゃアイスの巻』(中川ひろたか:作 長谷川義史:絵 アリス館)
 なんと、長野ヒデ子さんを主人公とした絵本ができました。長野さんがどれほど元気で明るくて人間が好きかを描いています。「まっちゃアイスの巻」ですから、続編も期待です。
https://www.alicekan.com/books/8871/

『いつか また あおうね』(パット・ジトロー・ミラー:文 スージー・リー:絵 かみやにじ:訳 偕成社)
 会いたい人に直接会えないのは切ない。電話もあるし、ネットもあるし、手紙だって書けるけど、やっぱり会いたい。誰にもわかる、そんな普遍的な気持ちを描いています。スージー・リーは、その気持ちを絵本として描くに当たって、隣のページとつながるために、あちこちに窓を開けています。
https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784033486604

『はる なつ あき ふゆ クロとシロ』(竹山美奈子:文 田中ゆき:絵 岩崎書店)
 モノクロ絵本です。モノクロで季節の色を感じてもらおうという、攻めた作品。オノマトペを駆使して、リズムもよろしく季節が変わっていきます。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10052985.html

『いないいない ぞう!』(大塚健太:文 山村浩二:え 岩崎書店)
 いないいない ばあ! をぞうさんがやると、おもしろがって、ぞう!にします。まあそれならば、いないいない かば! とかも出てくるのかと思いきや、だれがやっても、ぞうさんしゃしゃりでて、「ぞう!」とやります。ここまで、やられると、おかしくってね。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10052987.html

『はる なつ あき ふゆ おいしいおてつだい』(あおきひろえ おむすび舎)
 おいしい絵本を出版しているおむすび舎の新作。季節ごとの懐かしい食べ物の調理の仕方を、お手伝いの形でご紹介。食で季節を感じるっていいよね。女の子中心ではなく、男の子が中心の絵本も作ってくださいね。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784990951658

『こっちにおいでよ、ちびトラ』(キルステン・ハバード:文 スーザン・ギャル:絵 長友恵子:訳 徳間書店)
 女の子は、ねこをもらいに行って、爪をすぐに出す子ネコに決め、ちびトラと名付けます。家族は、どうして? と疑問。女の子は、ちびトラが自分と似ていると思っているのです。じっとしていられない自分。すぐに怒ってしまう自分。仲良くなれるかな。猫好きにはたまりませんなあ。
https://www.tokuma.jp/book/b643987.html

『アチケと天のじゃがいも畑』(宇野和美:文 飯野和好:絵 BL出版)
 ペルーの昔話を宇野さんが再話し、飯野さんが描きました。宇野さんの解説によると、スペインの植民地であったペルーには、先住民の神話・伝説・昔話と西洋のそれが混じったものがあるそうで、このお話も、ペリーの呪術師アチケと西洋の魔女が合わさっているようです。
 貧しい姉弟が、ジャガイモの花を食わえて飛んでいく鳥を見つけ、ジャガイモ畑を見つけようと追っていくと、アチケと遭遇し、二人を食べたいアチケに追われながら逃げていくお話となっています。最後にアンデスの険しい山々の成り立ち神話も語られます。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784776411222

『虫のからだ5 め』(新開孝:写真・文 岩崎書店)
 新開さんの一つの代表作になるであろう、「虫のからだ」シリーズが「め」で完結です。
 虫(昆虫だけではないので)を部位に分けて一冊ずつで比較することで、虫たちの違いがより分かりやすくなります。学習用としてもかなり有効なのは、この「比較」という視点が入ってくるところ。どれが優れているというでなく、それぞれの生存においてそれが選択されていることを実感できます。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10045256.html

『こっちをみてる』(となりそうしち:作 伊藤潤二:絵 岩崎書店)
 怪談えほんコンテスト大賞受賞作です。誰も気付かないけれど、雲に、壁に、床に、あちこちに顔が見える少年。こういうことって、一度そう思うと、どんどん見えてしまいます。そういう怖さを付いていますね。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10040159.html

『うまれたよ! ヤモリ』(関慎太郎:写真・文 岩崎書店)
 とてもかわいい「うまれたよ!」シリーズ48巻目です。今回はヤモリ。卵って二個しか産まないんですね。知りませんでした。殻を割って出てきてからの日々、まだぎこちない餌の採り方とか、脱皮する姿とかと見せてくれます。公園などで体を黒くしているのは、太陽の光を集めるためだそうです。子どもたちが生き物に興味を持ってくれますように。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10045253.html

『落語絵本 ねこのさら』(川端誠 ロクリン社)
 おなじみの落語です。オチの秀逸さは、人間の欲望を鋭く突いているからでしょう。何度聞いてもおかしい。落語絵本といえば、やはり川端さんですね。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784867610138

『鳥がおしえてくれること』(鈴木まもる:文と絵 あすなろ書房)
 もしかしたら、人間の歌やダンスや家や道具など、様々なことは鳥から教わったのかもしれないという空想を膨らませた、楽しい作品です。確かにと思わせる所も多々。さすが、鈴木まもるさんです。その鳥への愛情が気持ちよくいっぱい詰まった絵本。
http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751531815

『このかべどうする?』(二歩:さく・え くもん出版)
 消しゴムくらいの大きさの少年が、何があっても真っ直ぐに進むと決めて歩いて行くと、大きく高い壁が現れ、どうすれば上れるかという、課題絵本です。文房具など、身近な素材で考えることが出来るのがいいですね。柔らか頭が必要です。
https://shop.kumonshuppan.com/view/item/000000003531

『とんとん ももんちゃん』(とよた かずひこ:作 童心社)
 ももの赤ちゃん、ももんちゃんが、泣いている色んな動物の子どもの背中をとんとんとしてなぐさめます。でも、転んでしまったももんちゃんだって、なぐさめて欲しい。そこでキンギョが池から跳びだしてきて、とんとんとするのがすごい。
https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494015948

『はみがきれっしゃと しゅっしゅっぽー』(くぼまちこ アリス館)
 歯ブラシを列車に見立てた歯磨き絵本。合紙絵本になっていて、上に下に開くと歯がきれいになっています。見立てが楽しいですね。
https://www.alicekan.com/books/8726/

『ねこひげぴぴん』(ミース・ファン・ハウト:え ほんまちひろ:ぶん 西村書店)
 ミースが描くネコの様々な表情、仕草を、ほんまちひろが言葉にします。ネコ好きならわかるネコのその表情、その仕草。クレヨン画が活き活きとして、わくわくします。
http://www.nishimurashoten.co.jp/book/archives/18920

『ばったのたんちゃんうまれたよ!』(ねもとまゆみ:作 たけがみたえ:絵 童心社)
 とのさまばったの赤ちゃんが、成虫になって卵を産むまでを描きます。ばったの種類や、捕食しようとする動物など、ばったの知識を得ながら、その冒険を楽しみます。
https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494014699

『きこえないこえ』(内田麟太郎:作 竹上妙:絵 佼成出版社)
 最後の一頭になったアフリカゾウが、遠い沖にいる友であるクジラに、超低周波で語る、滅びまでの物語。人間の欲望……。竹上の絵が、悲しみと怒りを伝えます。
https://books.kosei-shuppan.co.jp/book/b639183.html

『おにがくる』(あいだのりゆき:文 はすいけもも:絵 めくるむ)
 おにが怖くて節分の豆まきがある幼稚園に行きたくないあおくんが、おにに立ち向かうまでを、雪深い風景の中で描きます。はすいけのえは、あおくんの不安から自信への変化を捉えています。
https://mekurumu.co.jp/books/pg5230895.html

『恋するお三輪』(中村壱太郎:文 網中いづる:絵 くもん出版)
 『妹背山婦女庭訓』から、四段目を絵本にアレンジです。権力者を倒すために素性を隠した同じ男に恋をした身分違いの女二人の物語。判りやすい、ポイント解説あり。アプリを入れると、中村莟玉の読み聞かせも聴けます。
https://shop.kumonshuppan.com/view/item/000000003511

『どっち?』(ひろたあきら 岩崎書店)
 「ただ えらぶだけ!」とありますが、えらぶのが難しいのもあれば、それは選ばないやろうというのもあり、なんでその二つから選ばないとアカンのってのもあって、でもなんだか意地にもなって、アホらしく楽しい。こーゆーの好き。
https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b10080010.html

【児童書】
『海のなかの観覧車』(菅野雪虫 講談社)
 五歳の誕生日の記憶がない透馬は、中三の誕生日に差出人不明の手紙を受け取る。中にはビニール袋に入った黒い砂と、「誕生日おめでとう」というメッセージが入っていた。
 大人の欲望や都合に巻き込まれ、当事者となってしまう三人の若者を描きます。事件が終わった後、幕引きまでの物語のたたみ方が実に良くて、ハッピーエンドではありませんが、希望を見いだすことができるように描かれています。日本のYA小説の枠を拡げた作品です。
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000387700

『空にうかんだエレベーター 安房直子 絵ぶんこ3』(安房直子:文 えがしらゆみこ:絵 あすなろ書房)
 『安房直子コレクション』(全7巻 偕成社)もありますが、「絵ぶんこ」シリーズは、安房の作品一編ごとに豊富な挿絵を付けて一冊として提供しています。一冊50ページほどですから、読みやすく、一冊を読破した充実感も得られるでしょう。全9巻。
http://www.asunaroshobo.co.jp/home/search/info.php?isbn=9784751532034

『チョコかバニラか?』(ジェイソン・シガ:作 岩城義人:訳 アリス館)
 アイスクリーム、チョコかバニラか。チョコを選ぶとお腹が痛くなって、ある研究所にトイレを借りに駆け込むと、三つの発明品を見せられ、どれを選ぶかでまた物語が変わる、コミックゲームブック。3856通りの物語があるそうですから、どれも短いものなので、簡単なプロットを考えるヒントにはなります。
https://www.alicekan.com/books/8608/

『きょうのフニフと あしたのフニフ』(はせがわさとみ 佼成出版社)
 ぞうのフニフとわにのワムくんシリーズ2作目です。フニフはちょうちょが、卵から青虫、青虫からさなぎと変わっていくのが不思議。雲だってまいにち変わっていく。でも、フニフはちっとも変わっていないように思える。どうして? ワムくんが、フニフも変わっていっていることを教えてくれます。育ちの幼年物語。幼年文学と哲学は相性がいい?
https://books.kosei-shuppan.co.jp/book/b643931.html

『スナックこども』(令丈ヒロ子:さく まつながもえ:え 理論社)
 なによりもう、「スナックこども」って発想が好き。親にガミガミ言われたり、学校で嫌なことがあったり、こどもも色々大変。そんなときは、自分の部屋の中にある秘密の通路から「スナックこども」へ参ります。ここは大人用のスナックと違ってお酒は飲めませんが、日頃食べさせてもらえない美味しいものが食べ放題。スナックのママさんもパパさんもこどもだから、みんなの悩みに応えてくれます。これもシリーズになるのかしら?
https://www.rironsha.com/book/20618

『けものみちのにわ』(水凪紅美子:作 げみ:絵 BL出版)
 小学校5年生の風花が、祖父が暮らす家の近くにあるけものみちで出会う不思議を描いています。一つ一つのエピソードが魅力的。プロローグとエピローグがちゃんとつながって心地良いです。作者の力量を感じさせます。
https://www.blg.co.jp/blp/n_blp_detail3.jsp?shocd=b11024

『ソリアを森へ』(チャン・グエン:作 ジート・ズーン:絵 杉田七重:訳 すずき出版)
 保護された野生動物を自然に帰す大変さと、それを成し遂げた喜びが描かれるグラフィックノベル。保護活動センターにボランティアとして採用されたチャーンはマレーグマの赤ちゃんソリアの世話をします。甘えん坊のソリアは森に戻れるのか? その前に森はまだ残っているのか。
 ジート・ズーンの主に水彩を使った絵が、チャーンとソリアの関係を鮮やかに描き出します。全編フルカラーのなんて豪華な本だろう!
https://kaiin.hanmoto.com/bd/isbn/9784790254409

【その他】
『ブラームスはお好き』(フランソワーズ・サガン:作 河野万里子:訳 新潮文庫)
 河野さんによる、サガン新訳シリーズの『悲しみよ こんにちは』に続き2作目。というか、やっぱり、この順番で読んだなあ。やっぱり新潮文庫だったなあ。朝吹登水子訳だったなあ。と、なんだかもう、高校生に戻っているのだった。
https://www.shinchosha.co.jp/book/211829/

『気もちのミカタ』(八巻香織:著 ナムーラミチヨ:イラスト 合同出版)
 しんどいとき、自分の気持ちと向かい合い、受け入れ、心を開き、心を守るために役立つ一冊です。八巻の問いかけと解説が分かりやすく、読者に寄り添っています。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784772615563

『ザ・ガールズ』(エマ・クライン:作 堀江里美:訳 早川書房)
 1969年、14歳のイーヴィーは両親の離婚で心の寄る辺を失っています。ある日路上で見た黒髪の少女スザンヌの自由奔放さにイーヴェーは強く惹かれ、彼女がいる、ラッセルを中心とするコミュニティに入り浸るようになりますが……。41歳になったイーヴィーが14歳の自分を語ります。孤独を抱えた「少女」は一体に何に魅了されてしまうのか。それは「今」(1996年)も変わらないのか。
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013695/

【絵本カフェ】
『ねえ、おぼえてる?』(シドニー・スミス:作 原田勝:訳 偕成社)
 思い出作りのために旅行をしたり、写真を撮って残したりする人もいます。それはそれでかまわないと思うのですが、元来思い出とは、なにがしかの出来事や風景や音や匂いが、蘇ってくることを指します。つまり、思い出とはわざわざ作るものではなく、それまでの人生で経験や体験した中から印象深く記憶に残っているものです。
 この絵本は、母と子が、寝物語のようにお互いに「ねえ、おぼえてる?」と相手に問いかけて、二人にとっての大事な思い出を確かめ、共有する姿を描いています。
 「ねえ、おぼえてる?」と母親が聞きます。「パパと3人で、野原へピクニックにいったときのこと」。自然の花々。甘かった野いちご。そして仲の良いパパとママの姿。次は息子の番です。「ねえ、おぼえてる?」。誕生日にパパが自転車を買ってくれたこと。ママに支えられて練習したこと。「わすれるわけないでしょ」とママ。
 穏やかな家族の日々です。ところが……。
 「ねえ、おぼえてる?」と息子が聞きます。「・・・うちを出て、ここへくるまでのこと。ぼくら、ふたりのものを、ぜんぶトラックにつんで、高速道路を走ってきたんだ、こんな遠い町まで」。画面には荷物を箱に詰める母親。息子にぬいぐるみを渡す父親。車を見送る父親の遠くなっていく姿などが描かれています。
 これは、母子二人で暮らす1日目の夜を描いているのです。見知らぬ土地の狭苦しい住まいには引っ越しの荷物が一杯。これもいつか思い出にできるかなと思う息子。きっと大丈夫。だから、そう、人生は怖くない。
 これはノスタルジーではなく、明日を生きていくための絵本なのです。
https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784034254004



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