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反骨の武将 田原親宏

大友家の家臣、田原宗家の養子になり田原宗家を継いだ武将。生誕は不明。没年は1579年です。1534年の勢場が原の合戦に参戦していますからこの時10歳だとすれば55歳ぐらいで死んでいます。大友宗麟より何歳か歳上だったのではないかと思います。勢場が原の合戦後9年後、出雲で出奔、大内氏の元に亡命。大友家臣から追放されます。現役バリバリの時に何があったのでしょう?

大友宗麟が家督を継いだ2年後に帰参。大友宗麟時代は対毛利戦で活躍。北九州地方の制圧に貢献しています。実の父の影響か大友を敵対する武将と友好関係を図ったり、耳川の合戦で敗退後は居城に戻ったりしています。そもそも田原親宏が活躍してもあまり恩賞を与えていないので、反骨の気風は宗麟が仕向けたともいえます。耳川の合戦後に挙兵していたら戦国大名として名を残したかもしれません。残念ながら挙兵前に背中の腫れ物が原因で死亡。その後家督を継いだ養子の田原親貫が挙兵して田原の乱を起こしますが制圧されてしまいます。三国志だと魏延みたいなポジションですね。信長の野望では少し過少評価されています。個人的にはもう少し有能な武将だと思います。運ないけどね。

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