忠臣 木付鎮直(きつき しげなお)
木付氏は大友親秀の六男木付親重を祖とする大友氏の庶流。木付氏の16代当主で大友氏の最大の忠臣です。父は鎮秀。生誕は1528年。死没は1593年。自害しています。
大友宗麟の3歳くらい年上でいい意味で大友宗麟の全盛を支えた武将です。1580年の田原親貫の反乱の際は義統の命を受けこれを攻めて、父、鎮秀、弟、鎮之が奈多鎮基(大友宗麟の正室、奈多夫人の兄弟)に背後をつかれて討ち死にしています。それでも反乱を鎮圧。1586年の島津侵攻(豊薩合戦)の際には木付城で新納忠元を退けています。木付城は後の杵築城となり、杵築という地名も残っています。文禄の役で大友義統が改易されるときまると、文禄の役で従軍していた息子の統直が恥じて、帰国の途中、関門海峡で入水自殺。それを知った鎮直は妻と共に自害します。享年66歳。正直、大友宗麟のいいところも悪いところも見てきた武将です。宗麟の死後、義統の乱痴気振りについていけなかったのかもしれません。あれほど島津侵攻されたけど頑張って守った国や城が義統の所為で改易(没収)されるのですから。家族全員で自害を選ぶ所も忠臣ぶりが伺えます。大友義統が後に関ヶ原の戦いの際に上陸挙兵して攻めたのが杵築城。忠臣が守った城が欲しかったのでしょう。しかしながら負けて、また幽閉されます。木付鎮直一族が幽霊で見ていたらやっぱりねーって感じでしょうね。
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