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謎の人物、大友親貞(おおとも ちかさだ)

戦国時代。ジャイアントキリング的な戦といえば東の桶狭間、西の今山合戦といわれています。
有名な「桶狭間の戦い」は今川軍2万5千対織田軍5千といわれています。つまり織田軍が5倍ぐらいの敵を破った戦いです。
一方、「今山合戦」は大友軍6万対竜造寺軍5千です。10倍の敵を龍造寺軍が破るわけですからものすごい快挙といえる戦いでしょう。どちらも決着が戦国時代の戦の象徴、大将首を取られることでついています。

大友親貞は今山合戦の大友家の大将で大友氏の衰退のきっかけをつくった人物です。生没年は生誕不明、死没が1570年9月19日今山合戦での討ち死にです。大友親貞さんは謎多く、さらに父親がよくわかりません。菊池義武と記載しているものもありますが菊池義武は大友宗麟のおじさんで熊本で戦を仕掛けてきた張本人です。宗麟がそんな人物の息子を許すとは思えません。しかも大友の性を名乗らせている。おそらく、自分の子供か、弟だったのではないかと推測します。また、諱からだと、大友宗麟の父義長の父、親治やその兄弟の血筋も考えられるでしょう。

今山合戦とは龍造寺対大友の戦いで龍造寺軍5千対大友軍6万の圧倒的戦力の差があった戦いです。大友家に刃向かう龍造寺を大友親貞を総大将にして、立花道雪(たちばな どうせつ)、臼杵鑑速(うすき あきはや)、吉弘鑑理(よしひろ あきなお)などの大友家重臣が勢揃いし、さらには宗麟自らも後詰めで出陣した合戦です。

六万の大軍を率いた大将ですから宗麟の期待は高いと思います。ただ、龍造寺の5千の兵も少ないながらまあまあの武将揃い。

決着がつかない中、宗麟の援軍と決戦を指示されて、決戦前夜に酒盛り。その酒盛りを目印に鍋島直茂等の猛将が夜襲。見事討ち取られてしまいます。酒盛りとか迂闊な武将だなぁと思いますが、酒盛りが鍋島直茂の策略とか、大友家での妬みからの某略とかあるようです。

そもそも夜襲された時、側に立花道雪さんの陣や大友家臣団の陣あるんですよ。なんで異変に気づかないのでしょうか?

変ですよね。

大友親貞の記載もあまりないようです。あまりの負けっぷりに親貞の記載を破棄したのか?宗麟ならありえます。

ちなみ親貞は占いで出陣の可否を決めていたとか・・・。占いマニア?

角隈石宗さんの弟子だったのでしょうか?

大将務めたぐらいですから、大友が勝てば、後継者の可能性もある武将ですので、今山合戦が大友家の命運を決めたといえますね。

この後、大友宗麟は隠居し、キリスト教に傾倒していきます。



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