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大友の外交官 臼杵 鑑続(うすき あきつぐ)

生誕 不明。没年が1561年。父は大友義長(おおともよしなが)時代に加判衆を務めた、臼杵長景(うすきながかげ)。臼杵鑑続は正確な活躍の年がわかっていない。長男で、兄弟に鑑速(あきはや)がいる。
父の家督を継ぎ加判衆として大友義鑑(おおとも よしあき)、義鎮(よししげ)の二代にわたり仕えた。
主に外交方面で活躍し、室町幕府への使者。周防、長門国守護の大内氏の和睦交渉などに活躍した。
大友義鎮の婚礼交渉や大内義隆(おおうちよしたか)に大友義鑑の子、晴英(はるひで)を猶子(ゆうし)として養子縁組するなどの功をあげたとされています。吉岡長増(よしおかながます)と同じく策士なタイプだったのかもしれません。また筑前、柑子岳城主(こうしだけじょう)の時には大友の貿易を仕切っていたと考えられています。当時の明(みん)は外国の貿易を禁止していましたから密貿易をしていたのかと思われます。海賊団とのつながりもあったのかもしれません。
死没が桶狭間の戦いの後ですので、織田信長の存在を知っていたとしたら織田家との同盟を遺言にしたためていたらドラマチックだなと思います。
臼杵長景さん子供が沢山いて優秀な子供たちが沢山います。三国志だと確実に馬氏や夏候氏の様な一族ですね。
臼杵鑑続でした。


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