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ひでさん
2021年8月25日 10:37
奈多氏は豊後安岐郷にある奈多八幡宮の大宮司家である。奈多鑑基は生誕は不明。1522年に田北鑑生(たきた あきなり)の妹をもらっており、大友義鑑(おおとも よしあき)の諱をもらい、鑑基と名乗った。鑑基の娘は大友宗麟の妻(奈多夫人)となり、義統を産んだ。鑑基の子、鎮基(しげもと)は大友宗麟の娘をもらい、両家は婚姻関係で結束した。また、鑑基の次男に田原親賢(たはら ちかたか)がおり、大友宗麟の側近、
2021年7月22日 09:56
大友義鑑(よしあき)、義鎮(よししげ)、義統(よしむね)、中川家に仕えた武将。生誕は不明ですが義鎮の若い時からの補佐役であったことから歳は近かったと思われます。大友宗麟ドラマ化なら間違いなく主役級の配役です。死没は1600年 関ヶ原の戦いの影響で佐賀関の戦いで討ち死にしています。父親は奈多八幡宮大宮司 奈多鑑基(なた あきもと)で兄弟に大友義鎮の正室になる奈多夫人がいます。婚姻前か後か
2021年4月23日 07:10
大友宗麟さんの二番目の正室、奈多夫人です。死亡年は1587年3月。秀吉の九州平定の前ですね。八幡奈多宮の大宮司の娘として誕生。九国一の美女といわれています。先の夫、服部右京亮と死別。奈多夫人は未亡人でしたが宗麟に見初められて1550年くらいに結婚。三男四女をもうけています。姉さん女房といわれています。子沢山で夫婦円満なイメージですが、宗麟さんは女好きで側室七人がいて、宗麟の浮気癖を治る