珈琲についての雑談

(このシリーズは個人的な雑感です)

学生時代に珈琲の底深い文化に魅せられて以来、あちこちの珈琲店を訪れてそのお店独特のブレンドや香り立つ雰囲気を楽しんでいましたが、スタバが日本中を席巻して以来、昭和の珈琲文化を支えてきた地域の喫茶店や珈琲専門店がばたばたと閉店してしまって寂しい思いをしていました。

ところが、さすがは流行に飽きやすい日本国民、近頃はスタバにも飽きてきて(?)、コンビニコーヒーが流行ったと思いきや、かつての珈琲専門店とは一味違った珈琲店が各地で復活してきています。アメリカからやってきたサードウエーブなる流れもあり、結果的にスタバは珈琲文化の裾野を広げ、スタバの珈琲の味には飽き足らない人々の欲求を刺激したことになるのかもしれません。

日頃なかなか喫茶店に行けないために好みのお店から焙煎した豆を送ってもらったりしているのですが、久々に時間ができた土曜日の午後、ふらりと近くの珈琲店を訪れました。最近2号店をスタートさせたマスターが、そちらは若いスタッフに任せて?狭い空間で焙煎に勤しむ、そんな職人気質のお店です。

ほかにお客さんがいなかったこともあってマスターと珈琲談義に花が咲いたのですが、彼も最近の珈琲文化の「自由さ」を好ましいものとして認識しているようでした。聞けばマスターはこの地では知らぬ者のいない有名珈琲専門店の焙煎を長年勤めていた方で、先代のオーナー・マスターから厳しく躾られたとのこと。曰く、自分の味覚が完成するまではよそのお店の珈琲を飲むな、飲むなら紅茶か水を飲め、紙袋や買い物袋の音を立てるな(お客さんの味覚に影響するから!?)、兄弟子のお店には呼ばれない限り行かないこと、などなど。職人ならではの徒弟制度で育てられたという感じですね。

確かに、昭和の珈琲専門店には、そういった「お作法」があったような気がします。あまり下手なこと喋れないような、そういう雰囲気を壊してはいけないと、ドキドキしながら珈琲を味わった若き日の自分の姿を思い出しました。

マスターのお話では、最近はコンピューター制御の業務用焙煎機も登場しているそうで、焙煎機の炎の状態と音や匂いといった長年の経験で豆を炒る「修行」は、やがて過去のものになるかもしれないとのこと。

おそらく、お客のほうで見分けがつかないほど、修行いらずですぐに熟練の焙煎士と同様の珈琲豆ができあがるのなら、そういったITの活用は焙煎のような職人技にも取って代わるのでしょう。それには飽き足らない一部の「マニア」や「珈琲愛好家」だけが、職人の焙煎を求めて彷徨う、そんな未来が来るのでしょうか?

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