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Werewolf Cop ~人狼の雄叫び~ 第2話

↓第1話(前話)はこちらです。




○ 1

 窓から差し込む陽の光に照らされて、上司である大森吾朗の眼鏡が光った。目の前のデスクの向こう。背筋を伸ばした姿勢で座っている。

 「神奈川県警松田警察署沢の北峠分署には、その時5名が詰めていた。当直は3名だが、あと2名は残業中だったそうだ。それが皆、殺害された。通りかかった若者3名も巻き込まれた」

 大森の声が重く響く。デスクのこちら側でやはり姿勢を伸ばしたまま立つ池上航太は、黙って頷いた。

 「分署内は悲惨な状態だったらしい。とても使用できないということで、閉鎖となった。分署とは言え、前代未聞の出来事だよ。警察施設が犯罪によって壊滅させられたわけだ」

 「野生動物の襲撃という可能性もある、と聞きましたが?」

 池上が口を挟んだ。もちろんそんなことは信じていない。状況を聞けば、熊や猿や猪にできるようなことではないとわかる。巨大なヒグマでもいれば別だが、本州には生息していないはずだ。

 「被害者の遺体は、ほとんどがボロボロに切り裂かれていたそうだ。大きな爪痕や噛み痕が残されていたという話もあるが、それはそのような武器によるものではないか、という見立ても出されている。なんと言っても、全員共通で心臓がくりぬかれているんだ。そんなことをする動物などいない。何より、動物なら肉を食らっているんじゃないか? ただ殺すだけ、なんていうのは人間くらいだろう」

 「確かに……」

 溜息とともに応える池上。

 「警察官を多数そのような残忍な方法で殺害する、ということで過激なテロ組織である可能性も考えられている。よって、神奈川県警では捜査本部に公安からも捜査員を参加させる可能性を示唆している。主導は刑事で公安は協力、というわけだが、異例のことだ」

 「まだ正式に協力を要請されてはいないんですね?」 

 「今のところは、な」

 肩を竦めながら大森が応えた。

 神奈川県警警備部公安第三課で自分の班を持つ大森。そしてその大森班に所属する公安捜査官の1人が、池上だった。




 とはいえこの場所は、県警ではない。横浜の中心に位置しているものの、古くから小規模なビルが建ち並ぶ一角で、目立たない。そんな中でも片隅に位置する寂れたビルの一階。外には「森山会計事務所」と書かれた看板が掲げられている。

 公安警察の捜査は、刑事警察のそれとは大きく異なる。同じ警察内でも秘密裏に進められることが常で、秘匿事項も多い。そのため、警察署外にここのような場所をつくり、拠点とする場合がある。

 大森はこの場では森山猛所長で、池上はその直属の会計士の1人、田山光男となっていた。といっても、そちらの仕事が舞い込んでくることなど皆無だ。万が一飛び込みで依頼があったとしても、つながりのある本職の事務所にまわすことにしている。

 「この事件が、半年前のあの火災、そしてそれに巻き込まれて草加が殉職した事と関係があると思いますか?」

 池上は思いきって気になることを訊いた。

 大森の目がギラリと光ったような気がした。もちろん陽の光を反射したのではない。

 しばらく沈黙があった。居心地が悪くなる池上。

 壊滅した沢の北峠分署の近くに、製薬会社の研究施設があった。そこで火災が発生し、当時沢の北分署に出向という形で勤務していた草加恭介という警察官が駆けつけた。

 施設内に飛び込んで行った草加は、火災に巻き込まれて死亡したらしい。

 らしい、というのは、最終的に研究施設が爆発したのだ。それに巻き込まれ、その場にいた数名の身体は跡形もなく破壊された。残された人体の破片からDNAが確認され、草加は死亡したものと見なされている。

 「どちらもあまりにも特異な事案すぎて、わからない、としか言いようがないな。概要からすると関わりがあるとは思えないが、同じ地域で半年間に起こったということを考えると、不穏なものを感じる」

 苦々しい表情をしながら応える大森。

 草加は実は、公安捜査官の一人だった。以前は大森の下にいて、池上とは同僚だったのだ。移動により別の班に行き、何らかの捜査のために沢の北分署に地域課の制服警察官として潜り込んだ。そして、数日のうちにあの火災に巻き込まれて命を失った。




 「調べていいですか?」

 徐に訊く池上。却下されても独自に動く、という決意を目に宿していた。大森もそれを感じとっているはずだ。

 火災の後、しばらくして草加が所属していた班が解散という事態になった。異例のことだ。様々な憶測が流れた。

 草加の班は、何か大きな組織犯罪の尻尾を掴み捜査をしていた。だが、相手は想像以上の力を持っていたため排除された、と――。

 公安警察は、刑事警察のように殺人や窃盗といった個別の事件を追って検挙を目指すのとは違う。様々な活動があるが、大森や池上が属する公安第三課は、簡単に言えば、国及び社会に害を成すかあるいはその可能性のある組織、団体、思想家、宗教家等をピックアップし、動向を探る。場合によってはスパイを育成し、対象組織に潜り込ませたりもする。

 相手側がそれに気づいた場合どうするか?

 巨大資本のバックアップを受けている、政治家や海外の政府機関とつながりがある、場合によっては警察組織のトップに支援する者がいる……等の力を持つ組織がそれを駆使し、捜査に対抗してくる場合も当然あり得る。

 草加の班は、その地雷を踏んでしまったのかもしれない。だとしたら、そのままで済ますわけにはいかない。冷徹なイメージをもたれがちな公安ではあるが、仲間がそのような目に遭ったとするなら、意思を引き継ぎ無念を晴らしたいと思うことも、当然あるのだ。

 またしても沈黙。先ほどより長い。

 ふう、という微かな溜息をつくと、大森は池上の顔を見上げた。

 「気持ちはわかる。だが、無理はするな。非常に特異な事案だと思われる。危険を感じたらすぐに報告しろ。場合によっては身を引かざるを得ないかもしれない。それは覚悟しておけ」

 「わかりました」

 そう応え、一礼し退出する。




 ようやく動ける、と身震いした。草加とは同僚というだけでなく、実は同期で警察学校でも競い合った仲だ。同じ公安警察に所属することになり、湿っぽい友情などというものには蓋をしていたが、彼が殉職したと聞いたときの胸の痛みを忘れることはない。

 あの火災についての調査は警察と消防の両面から続けられていたのだが、つい先日、企業側の説明通り薬品の取り扱いを間違ったために起きた事故である、と結論づけられた。その裏に何かあったとしても、調べる術を失ったわけだ。

 それは、納得いかなかった。そこへ持ってきて、沢の北峠分署の大量殺人事件。少々強引だが、その捜査から半年前の火災へとつなげていくことも可能だ。

 当然、今回の大量殺人の捜査本部とは別に、池上個人で動くことになる。名目は、反社会的な者もしくは組織の影が感じられるから、で充分だ。

 まず何をすべきか?

 陽の光を受け、思案しながら歩く。

 研究施設は日の出製薬という企業のものだった。国内外を問わず医療機関へ供給する薬品を主に扱っている。協力しているのは湘南薬科大学で、研究施設の副所長はそこの教授でもあった。当然全て調べなければならない。

 海外へも進出している一流企業であり、理事には政界や財界の大物達も名を連ねている。その一人一人の身辺も探ってみる必要があるだろう。

 草加は何を追っていたのか? なぜ沢の北峠分署に潜り込んでいたのか? なぜ日の出製薬の研究施設の火災に巻き込まれたのか? 

 彼の動きをたどることも重要だ。同じ班だった者、沢の北峠分署の者達に当たってみようか?

 そして、昨日の分署の壊滅。大量殺人。これは、関係性があるのか? あるとしたらどうつながっているのか?

 様々なことを思案しながら、池上は雑踏の中を進んで行った。


○ 2

 やっちまったなぁ……。

 ハンドルを握っていた佐久間は舌打ちし、助手席の阿久津を見た。彼は渋い顔をしながら肩を竦めている。

 深夜の入り口という時刻。交差点だった。交通量はそれほど多くなく、信号は赤の点滅となっている。相手側の車が右折待ちしていたので、そのまま直進して通り過ぎるつもりだったのだが、お互いに躊躇しながら進んだのが徒となって接触事故を起こしてしまった。

 それぞれの車が、左に寄せられて停まる。

 佐久間が降りると、阿久津もついてきた。相手も男性2人だった。見たところ、普通のサラリーマンという感じだ。

 問題は……。

 佐久間も阿久津も酒を飲んでいた。仕事上のつきあいだが、それなりの量で、間違いなく酒気帯び運転だ。

 「まいったなぁ……」

 向こうの運転していた男が、バツが悪そうに言った。見たところ佐久間達と同年代、40歳前後だろうか?

 それぞれ車を確かめる。バンパーに少し傷がついていた。たいしたものではない。あちらの車も同様だ。

 ん……?

 相手側の助手席から降りてきた男を見る。足下が少しおぼつかない。あれは、酔っているのではないか? もしかして……。

 「あんたも飲んでるのか?」

 佐久間は相手側の運転手に訊いた。

 「いや、俺は違う」

 慌てて否定している。

 「酒臭いぞ」

 阿久津がそう言いながら男に近づき、わざとらしく鼻をひくつかせた。

 夜の闇でよく見えなかったが、目が慣れてきたところ、顔が若干赤いのがわかった。

 「ちっ、お互い様か……」

 阿久津がこぼす。

 「あんた達も飲んでるんだな?」

 相手の運転手が、少しホッとしたような顔で言った。




 「こりゃあ、この場で当事者同士の示談、ってことでいいな」

 肩を竦めながら言う佐久間。

 「運が良いじゃないか、あんた達。悪運、ってヤツかな? お互い様だけどな。なあ、堀内?」

 向こうの助手席から降りてきた男が言った。一番酔っているらしく、どこか戯けている。

 「斉藤、お前はいいから中で寝てろ」

 運転手の方――堀内が言う。舌打ちしていた。

 斉藤と呼ばれた男は、へへ、っと笑いながら歩き出す。だがすぐ、その足が止まった。視線が別方向に行っている。

 他の3人が彼の視線を追うと、思わずギョッとした。

 制服の警察官が立っていたのだ。こちらを見ているようだ。

 まずいな。何とか誤魔化さないと……。

 斉藤以外の3人が目配せし合う。口火を切ったのは阿久津だった。

 「何でもないですよ。ただ休憩しているだけです。すいません。すぐ行きますから」

 「ああ、そういうことですよ。ほら、行くぞ斉藤。戻れよ」

 堀内が続いて言う。

 だが、斉藤は酔いによる気の大きさがあるのか、警官に近づいていった。

 「こんな夜中までご苦労さん」わざとらしく敬礼する斉藤。「そういえば、この近くの警察署、この間閉鎖になったけど、そこの人じゃないよね?」

 ヒヤヒヤしながら聞いている佐久間も思い出した。この道路は沢の北峠へと通じている。そこには警察の分署があったが、何か問題が起きたらしく、つい最近閉鎖になっていた。

 しかし、それならあの警官は、どこから来たんだ? 1人だし、パトカーもバイクもないが……。

 キョロキョロと辺りを見る佐久間。阿久津や堀内も同様に感じたらしく、視線を巡らせている。

 何か、不穏なものを感じた。警察の分署が閉鎖された頃、確か妙な殺人事件もあったような話を聞いたが……。

 「なんだい、無愛想なおまわりさんだなぁ……」

 相変わらずくだけた口調で言いながら、近づいていく斉藤。

 離れて見ていても、大柄な身体の警察官なのがわかる。ただ、不思議なことに、帽子の下の顔は見えなかった。暗い影が覆い隠しているような感じだ。




 「おい、斉藤、戻ってこい」

 堀内も何かを感じたのか、震える声で呼ぶ。

 斉藤は「え?」と振り向いて応えたが……。

 ドシュッと鈍く響く音が聞こえたかと思うと、斉藤の首筋から血飛沫が舞い散った。

 後ろに立った警察官が右腕を素早く翻した直後だ。見ると、腕の先が光っている。

 あれは……?

 鋭く長い爪だった。まるでフォークの先のように見える。

 斉藤は声もあげず、その場にがくりと膝立ちになった。後頭部や首から夥しい量の血を噴き上げている。

 酒を飲むと、あんなに血が出るものなのか……などと状況にそぐわないことを考えてしまう阿久津。

 警官は右腕を更に素早く繰り出し、その鋭い爪で斉藤の背中から胸にかけて刺し貫いた。

 目を見開き一連の出来事を凝視していた3人が、ガクガクと震えだし、後退る。

 斉藤の身体から腕を引き抜く警官。その手が何かを掴んでいた。こぶし大の物だ。ピクピクと動いている。

 警官がそれをポイと足元に捨てる。同時に、斉藤の身体が前のめりに倒れた。もはや命は失われている。

 捨てられた物が相変わらずピクピクと動いていた。それは、何かの医療番組で見たことがあった。手術中の映像で、ドクンドクンと鼓動を繰り返す、心臓――。

 斉藤の心臓……まだ微かに動いているそれを、警官がぐしゃりと踏みつぶした。

 「ひっ、ひぃぃっ!」

 誰が叫んだのかわからない。自分かもしれない、全員かもしれない。とにかくその声とともに、3人は必死に逃げ出す。

 だが、警官は信じられないほど素早かった。あっという間に堀内の首筋に噛みつくと、まるで肉食獣が小動物を扱うように振り上げ、路面に叩きつける。

 堀内の首が食いちぎられ、胴体と繋がっていたはずの頭が転がっていく。

 次の餌食は阿久津だった。

 徐に振り返った警官が、恐るべき速さで阿久津に追いつきその背中を爪でひき裂く。




 「ぎゃぁぁぁっ!」

 闇夜に響き渡る阿久津の叫び声。だがそれは、すぐにやんだ。

 斉藤同様、背中から胸にかけて警官が鋭い爪を突き刺し、貫いていた。その瞬間に、阿久津の命も消えた。

 佐久間は振り返らずに自分の車に戻る。運転席に乗り込み、サイドブレーキを解除しアクセルを……。

 次の瞬間、何かがフロントガラスにぶつかってきた。

 ガシャーンッ!! 

 激しい音を立て、ガラスが粉々に砕け散る。飛び込んできたのは、ボロボロで血まみれになった阿久津の死体だった。

 「う、うわぁぁぁぁっ!!」

 ドアを開け、転がり落ちるように外へ飛び出す佐久間。立ち上がろうとして脚がもつれ、前のめりに転んでしまう。

 その目の前に、巨大な影が立った。 

 見上げると、警察官の制服を着た、何か別の者。怪物……。

 赤い光が二つ灯った。目だ。爛々と輝いている。そして、銀色の毛に被われた顔が次第に見えてきた。異様に突き出した口からは、鋭い牙がいくつも見える。

 人狼……?

 以前やったカードゲームのパッケージに描かれていた絵を思い出す。やけにリアルだった記憶があるが、今目の前にある姿は、それよりずっと生々しい。

 グルルゥ……。

 微かな唸り声のようなものが聞こえてきた。あの牙の奥からだ。

 殺される……。

 どうすればいい? どうすればいい? 助けて。助けて。どうすれば……。助けて!!

 千々に乱れる思考を断ち切ったのは、鋭い爪だった。

 ドシュッっと自分の胸に鋭い爪が突き刺さった感覚を最後に、佐久間の意識は途絶えた。永遠に……。

 警官姿のそれは、佐久間の身体から自らの腕を抜きとると、手にしていた心臓をポイッと投げ捨てる。

 そして、月に向かって大きく咆哮した。


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