受験小論文記録⑲ 国会にて「民主主義」や「多数決」で決めたことを、裁判所が否定することの是非 

設問 国会で「民主主義」あるいは「多数決」で決めたことを、裁判所が否定することの是非についてあなたの考えを1000字以内で述べよ

設問
現在の日本は、イギリスの市民革命から始まった「基本的人権の尊重」という目的と、「国民主権」の原則の2つのもとに、司法権を裁判所。立法権を国会、行政権を政府に与えて、お互いを監視しあう三権分立を行う政治体制である。
 国会で「多数決」によって決められたことを、裁判所が否定することについての是非については、それが「基本的人権の尊重」に違反しているかどうかということが問題である。
 例えば、ある宗教を国教にしようとすることは、「信教の自由」に反するため、違憲とみなされるし、又輸血を禁止している宗教の信者に許可なく輸血することも同様に違憲となるのだ。ほかの事例だと、統一教会の問題や政治家の靖国神社の参拝の問題などは、政教分離の原則に違反しているため違憲と判断される。
 日本国憲法には、「基本的人権の尊重」と「国民主権」の原則に加えて、「平和主義」の原則がある。米軍基地建設が「戦力の不保持」に違反しているのではないかという問題が起こったが、最高裁判所は統治行為論という論理を使って、判断を避けている。
 これらを踏まえたうえで考えると、裁判所は、経済行為などの「基本的人権の尊重」に本質的に関わらないものは「多数決」で決められたことを否定することができない。一方、「信教の自由」や「政教分離」、「平和主義」などの原則に違反することは違憲立法審査権をもちいて、否決することができる。
 憲法の目的は「基本的人権の尊重」であり、その中核には精神的自由や所有権がある、ただし所有権の場合は公共の福祉に従うことが前提になる、これらは必ず守られるべきである。裁判所とは、人々の自由を守る最後の砦なのだ。 

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