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木戸駅と

その5 2024年4月7日 日曜日

承前 7時40分 木戸駅着。降りたのは自分ひとりだけだ。モニター表示される時刻表だけが駅舎にはある。2013年に初めてこの場所を知り、常磐線の運行が再開されて幾度となくこの土地を訪れてきた。同じ楢葉町でも開発で形を大きく変えた竜田駅前とは異なり、木戸駅周辺の変化は緩やかなものだといえよう。一時は再開した理容室も閉店した。駅前に一軒の商店もないこの地区の有り様は、逆に清々しくさえある。崩れかけた家はもうどこにも存在しないし建て替えが終わった家屋と植えられた庭の草花が、春の訪れを告げる穏やかな日常である。

木戸川に向かって歩く。この季節にはまだ漁協の施設は閉じている。桜並木のある河岸の高い堤防から川辺に降りてみる。河原には場違いにさえ感じる舗装済みの駐車場があり、震災前の賑わいを湛えている。いずれはこの川にも鮭の群れが戻ってくることだろう。

砂利道は前方へと続き、その先の浜と海とに連なっている。ここは別の水源から流れる山田川との合流地点でもある。7メートル程の堤防の急な傾斜をよじ登り、もとの歩道へと辿り着く。海岸線に連なる防潮堤が、別の弧の形を描いている。

前回も気になっていたのだが、震災と津波を生き延びた5本の木立うち、海側の2本が幹のところでポッキリと折れている。陸よりの1本を残し、その役割を終えたのかもしれない。隙間から広野の火力発電所が覗く。

5-2. 承前

巨大堤防の麓に100メートルほど残っている旧堤防跡に、何者かがグラフィティーを描いていた。…しばし言葉を失うが、あえていえばそれが「復興する」ということなのだ。私たちの日常、新しい日常…(本来の意味で)。

しばらくの間、その場所に立ち尽くしていた。しかしそれは自分の「写真を撮る」という行為とどれほどの差があるというのか。後ろから犬を連れた住人が追いついてきた。軽く会釈をした。

海辺に建てられた小さな祠を見守る小さな鳥居の綻びに、赤いペンキを塗り重ねる男性がいた。2021年に建立された山田浜の津之神社河岸稲荷が、このような形で大事に守られていることをはじめて知った。堤防を降り記念碑に一礼して、木戸駅に戻ることにした。

「ほ場を整備しています」という看板がある。圃場ほじょうとは聞き慣れない言葉だが、要するに農産物を育てる場所のことらしい。振り返り、海の方を見る。巨大な堤防に隠された山田浜の海とその波音を感じてみる。この土地の10年のことを、自分はおそらくずっと覚えているだろう。9時57分木戸駅発。続く

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