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富岡駅から木戸駅へ

その4 2024年6月30日 日曜日

承前 ホテルの4階の窓から朝焼けが見える。
富岡駅から出る上り方面の始発は6時過ぎだ。昨日の合歓ねむの花を見るため、早めにホテルを出た。庭木には、時々の「流行り」があり、映像撮影のためにその夏の花を随分探し回ったのだが、うちの近所 は1960年台に開発された大規模団地のためなのかついぞ見たことがない。木戸駅(楢葉町)の周辺にも合歓の木はないが、2021年7月に訪れた大野駅(大熊町)周辺は、そこかしこに花を咲かせていたのを覚えている。

合歓の木。朝。

06時11分、原ノ町から来た始発列車に乗車する。扉の開閉は押しボタン式だ。真っ黒に日焼けした高校生6人ほどが、付かず離れず、互いに干渉しない距離を保ち座っている。揃いのキャップとTシャツから、彼らが広野にある高校の生徒だとわかる。広野には2015年に開校した中高一貫校(中等部は2019年から)がある。震災前に双葉郡内に5校あった県立高校は、この中高一貫校を除き全て休校中の状態だ。

たぶん彼らはサッカー部なのだろう。休校した富岡高校はサッカーの強豪校で、サッカートレーニング施設Jヴィレッジの養成システムと連携していた。そもそも広野町と楢葉町の町堺にあるJヴィレッジは、富岡町と楢葉町の町堺に立地する福島第二原発の「見返り」として建設されたものだ。

ところで彼らは何駅から乗車したのだろうか。
この先の夜ノ森、大野、双葉駅周辺は、まだ高校生のいる家族が充分に住める環境だとはいえないだろう。おそらく浪江駅からではないか。繰り返すが、現在、双葉郡にある高校は、広野にあるこの1校のみなのだ。

木戸駅06時26分着。日曜日の朝。
この駅に何度通ったことだろうか。駅から海にかけてを前原・山田浜地区というのだが、小さなこのエリアは地図を見なくても歩けるほどになった。そして、ここではもう全てが「日常」に戻っている。

自分がこの地でいちばん最初に写真を撮った場所…どうしてもその正確な位置がわからない。もちろんそこには巨大堤防はなかった。だがそういう意味ではなく、ここ数年のどこかの時点で、自分はこの土地を見失ってしまった…のだろうか。

奥は広野の火力発電所

いつもの道を歩き、いつもの堤防の上を歩いてみる。堤防脇に5本あった木は、いずれ2本を残して枯れてゆくだろうと思う。旧堤防の上に描かれたグラフィティのについては、前回4月の訪問の時に書いたと思う。そのことが嫌なのではない。要するに、それが「復興」するということなのだ。それが「日常」というものであろう。そのグラフィティは、もうすっかりと旧堤防に馴染んでいた。ただ自分は、これが震災以前からあったものではないと知っている。ただそれだけの話である。

巨大堤防の上から
旧堤防
富岡町の合歓の木

すっかり小さくなってしまった木戸駅の駅舎のベンチに腰を下ろす。そろそろ下り列車の来る時間だ。07時41分木戸駅発。車窓からは木戸川で釣りをする人が見える。今日は日曜日なのだ。07時50分富岡駅着。 つづく


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