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夜ノ森駅から富岡駅へ

その4 2023年12月10日 日曜日

夜ノ森駅12時32分着。もう取り壊されてしまったと思っていた駅前の黄色い「理想郷」の看板はまだそのまま残っていた。もっとも商店街の入口の4店舗を残して周りは全て更地となった。次の上り列車は約2時間後だ。

黄色い看板と理想郷
さくら通りの入口

ちょっと無謀だとは思ったが、夜ノ森の桜並木の突き当たりから国道6号線を南下し、富岡駅まで歩いてみようと思った。2020年3月に常磐線が全線開通して以降、帰還困難区域を通過する代替バスの経路であった6号線は、車を使わない自分にとっては通過する必然性すらなくなってしまったからだ。あれから3年半…。

今年2023年3月末には満開の桜で賑わっていた「さくら通り」も「夜ノ森公園」も静かなものだ。数日後の4月1日には特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除され、現在この地区には27世帯56人が暮らしている。これで富岡町全体の93%が居住可能となったわけだが、震災前はここ夜ノ森に3800人が住んでいたということだ。

この富岡町夜ノ森地区の地図を読める人がどれくらいいるかわからないのだが、「さくら通り」と6号線が交差する信号には「小良ケ浜」の名前が付いている。小良ケ浜は道路の東側に広がる集落で、未だ人の立ち入りが認められない帰還困難区域として周囲から取り残されている。かつてここに小良ケ浜港という日本一小さな漁港があり、1985年に閉港した。この港の移転先が現在の富岡漁港である。

6号線を南下する。国道をまたぐように復興拠点区域となっているおかげで、立ち入りを制限されずにこのまま歩いて富岡駅まで行くことが可能である。民家の取り壊しは始まっているが、逆に大きな商業施設はそのままの形で放置されていて、代替バスの窓から見えた帰還困難区域の景色のひとつであるK’s電気やかっぱ寿司の看板が間近にあった。

ただなんというのか、ここはもう、かつての凍結された時間の置き場所ではなくなっていて、2017年に居住制限が解除された富岡町の南側半分(それは朝一番ででかけた富岡アーカイブミュージアムを含む地域だが)の町機能と緩やかながら結びついて来ていることがわかる。

桜の植樹

歩道が無い国道の脇に桜の植樹が行われていた。車なら通り過ぎてしまうだろうその場所に、30年後の未来に向けてその1本1本の桜の木に、地元の中学生のメッセージが掛けられていた…。

ここは2015年に来た時と同じ。まだ港も堤防も工事中だった。

常磐線をくぐると富岡川が見える。橋の手前を左折して川沿いを歩いた。富岡駅で汗をかいたシャツを着替え、これから二駅先の木戸駅へ。富岡駅14時47分発。つづく

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