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美と殺戮のすべて/ローラ・ポイトラス監督

ローラ・ポイトラス監督の「美と殺戮のすべて(ALL THE BEAUTY AND THE BLOODSHED)」を見る。

ナン・ゴールディン(1953年生まれ)がデビューした80年代後半の頃のことは、もちろんよく覚えていて、当時もよく「〇〇カルチャーを牽引する」などと、いくつかの都合が良かろう言葉で紹介されていた。自分はマイノリティ・コミュニティの「囲い込みの」ための「カルチャー」という言葉の使い方が好きにはなれないが、それはともかく「暴力的」とさえも言われたナン・ゴールディンの写真と彼女の眼差しは、自分の「網膜」に焼きついたままになっていた。

最近になり、再び彼女の名を目にするようになった。アートニュースを標榜するウェブ媒体で、抗議活動をするナン・ゴールディンの姿が取り上げられている。それは名画にスープを投げつけるような過激なアクションではなく、どちらかといえば「地味な」活動にも見えた。迂闊だが、実は彼女が何に対して抗議をしているのか、今までよく知らなかった。

多くの人が集まるメトロポリタン美術館のエントランス付近だろうか。仲間とともに抗議活動の場にいるナン・ゴールディンの姿が映る。仲間と言っても、かつての「カルチャー」の住人ではなく、ごくごく「普通」の人たちのように見える。周囲を気にしながら時を待ち、「オキシコンチン」というラベルの大量の薬ケースを噴水に向けてぶちまけ、横断幕を広げてアクションを開始する。映画は抗議活動(P.A.I.N./Prescription Addiction Intervention Now)のリーダーとしてのナン・ゴールディンと、彼女へのインタビューとの間を行き来する。

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姉バーバラの自死が、ナン・ゴールディンの写真への契機だという捉え方はやや軽すぎるかもしれない。ユダヤ人中産階級の保守的な両親のもとで姉妹は育った。優しい姉だったとナン・ゴールディンは振り返る。だが母親と対立し、施設に閉じ込められた「問題児」の姉は、18歳で鉄道の軌道に自らを横たえた。

いかにもアメリカの郊外を思わせるレンガ造りの家の前で、赤いチェックのスカート姿で佇む姉バーバラを、遠景から捉えた写真がとりわけ印象的だ。姉の視線の先は両親のカメラなのか…。ナン・ゴールディンの写真の中で、もっとも静かでエモーショナルな一枚だ。姉の死後、彼女も両親の家を出て行くことになる。

姉のBarbara Goldin

1986年、写真集『性的依存のバラード(The Ballad of Sexual Dependency)』が出版され、ナン・ゴールディンは、一躍時代の寵児として美術界に名を轟かせることになる。もちろんバックラッシュも吹き荒れることになるのだが。

彼女と友人たちの「赤裸々な」私生活をすくい取った写真は、親に愛されることの無かった彼女が(そして姉バーバラと)——おそらく友人たちの殆どが同様だろうが、築き上げた「ファミリー」アルバムであり、彼らの怒りや絶望も、裏切りも逃避も含め、ナン・ゴールディンの写真には、彼女のファインダーを通した彼らへの愛に満ちている。一方で彼女自身もアルコールやドラッグに依存するなか、そのドラッグやアルコール中毒、そしてさらなる差別を誘発するエイズという病が、愛する友人たちを奪ってゆく。

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過去20年間に、米製薬会社パーデュー・ファーマが製造した医療用鎮痛剤(医療用麻薬)「オキシコンチン」による依存症や過剰摂取で、全米で50万人以上が死亡している。この製薬会社のオーナーが大富豪サックラー一族なのだが、彼らはまた世界の名だたる美術館に「多額の寄付」を行う慈善家でもある。メトロポリタン美術館にもサックラーの名を冠する「サックラー・ウィング」という展示室がある。

ナン・ゴールディンはP.A.I.N.のメンバーと共に、「彼女の写真」を所蔵する美術館に対決の矛先を向ける。メトロポリタン美術館の他、ルーブル美術館やテート・ギャラリー、V&Aミュージアムなどに対し、サックラー家とのパートナーシップを解消するよう各美術館に働きかけることで、世論を動かし、アートの側から巨大資本の「責任」を問おうと考えるのだ。

新自由主義の現代アートの活況のなかで、ナン・ゴールディンというアーチストは「何」と戦っているのか。「美と殺戮のすべて(ALL THE BEAUTY AND THE BLOODSHED)」という映画で、行き来する二つの時空の中で考える。彼女の「血まみれの戦い」(bloodshed)とその痛み、その彼女の「美しさ」について。

2022年・第79回ベネチア国際映画祭獅子賞(金最高賞)受賞

監督:ローラ・ポイトラス  
出演:ナン・ゴールディン


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